004 文香の事務所

 喫茶店を出た俺達は、電車に乗って移動した。

 通っている高校の最寄り駅から一駅進んだところで降りた。


 閑静なオフィス街だ。

 大手チェーンの飲食店とコンビニしかない。


「ここが私の職場」


 文香は雑居ビルの前で足を止めた。

 周囲のビルと何ら変わりない地味な建物だ。

 幅が狭くて縦に細長い。


 彼女は迷うことなく入っていった。

 俺はごくりと唾を飲んでその後ろに続く。


 突き当たりにエレベーターがあった。

 そのすぐ隣に郵便受けが並んでいる。

 どうやら各階に1つしか部屋がないようだ。

 名札を見てもどれが彼女の会社か分からない。


 エレベーターに乗ると、文香は4階のボタンを押した。

 郵便受けの名札に「万」と書いていた階だ。


(本当に大丈夫なのか……?)


 不安になってきた。

 これが俗に言う「美人局」なのではなかろうか。

 都会は怖いと爺ちゃんが言っていたのを思い出す。


「不安?」


 文香が顔を覗き込んでくる。

 艶やかな長い黒髪が流れて甘い香りを放つ。


「そ、そりゃ、不安だよ、こんなよく分からないところ」


「ごめんね」


 チーン、と音が鳴ってエレベーターが止まった。

 扉がぎこちなく開くと、すぐ前に部屋へ繋がる扉。

 彼女はバッグから鍵を取り出して開けた。


「どうぞ」


 文香は中に入れと手で示す。

 俺は「お邪魔します」とビクビクしながら足を踏み入れた。


 中はこれまた特徴の無い空間だ。

 まさにどこにでもある応接間といった感じ。

 古びたローテーブルの両サイドを渋いソファが囲んでいる。

 ソファの奥に執務机があり、その隣に本棚があった。


 小さな窓にはカーテンが閉まっている。

 そのせいで昼なのに部屋が薄暗かった。


「ソファに座って」


 文香が部屋の照明をつける。

 言われた通り、俺はソファに腰を下ろした。


「私がここでしているお仕事は――」


 文香が俺の向かいに座る。


「――よろず屋だよ」


「万屋? なにそれ?」


「平たくいえば何でも屋。迷子の捜索から未解決事件の解決まで、依頼を受ければ何だってする。もちろん、人殺しとかはしないよ」


 文香によると、此処は万屋の〈よろずん〉とのこと。

 困っている人を助ける非営利組織で、従業員は所長の彼女のみ。

 放課後はいつもここで過ごしているらしい。

 ちなみに、このビルは祖父の所有物とのこと。


「万屋の〈よろずん〉か……漫画のような話だな」


 俺の超能力と同じくらいぶっ飛んだ秘密だと思った。


「会社のことで何か質問ある?」


 文香が真っ直ぐに俺を見る。

 相変わらずの無表情で、それがまた素晴らしい。

 彼女の場合、基本的にどんな表情でも最高だ。

 なんなら声もいい。


「迷子の捜索から未解決事件の解決までって言うけど、実際にはどんな依頼がくるの?」


「それは守秘義務だから言えない」


「しゅ、守秘義務……」


 そんなものが存在するのか、と思った。

 〈よろずん〉は言うなれば規模の大きくなった部活に過ぎない。

 言っちゃ悪いがこじらせた中二病の成れの果てである。

 相手が文香でなければ正気か疑っていたはずだ。

 なのに、守秘義務……。


(文香って変人だったんだな)


 競馬場での告白に万屋と、彼女は明らかに変わり者だ。

 俺に告白するくらいだから当然と言えば当然か。


「祐治も一緒に働かない? 非営利だからお給料とかないけど、困っている人を助けるのはすごく楽しいよ。祐治の超能力を遺憾なく発揮できると思うし、何より感謝されるのは嬉しいことだよ」


「分かった、一緒に働こう」


 話を聞いている段階から誘われることは想定していた。

 そして、誘われたら引き受けようと思っていた。


 困っている人を助けるのは俺だって好きだ。

 それに文香と一緒に何かをできるだけで嬉しい。


 相手が変人だろうと気持ちが揺らぐことはなかった。

 むしろ変わっている点すらも魅力に感じたくらいだ。


「やった、ありがとう」


 文香が微笑む。

 可愛すぎて悶死するかと思った。


「もうじき依頼人が来るから、さっそく一緒に仕事しよ」


「いいよ。俺は何すればいい?」


「今は何も。あ、こっちに移動してもらえるかな? そっちはお客さんが座る場所だから」


 分かった、と答えて文香の隣に座る。

 互いの肩が当たる距離だ。

 甘い香りが鼓動を加速化させる。

 幸せでたまらない――が、それはすぐに終わった。


 文香が立ち上がったのだ。

 執務机のリクライニングチェアに移動する。

 本棚から難しそうな小説を取り出して読み始めた。


「………………」


 沈黙が流れる。

 何か話したいところだ。

 しかし、何を話せばいいのだろう。


 そうだ、デートのお誘いをしよう。

 どんなプランがいいのだろうか。


 スターフォースを観に行こうって言ったら嫌がるかな。

 いやいや、スターフォースを嫌いな奴などいないだろう。

 史上最高のSF映画だぞ。


 よし、決まりだ。

 スターフォースで間違いない。


「文香、あのさ――」


 ピンポーン。

 俺が話し始めたタイミングでチャイムが鳴った。


 文香が「来た来た」と立ち上がる。


 俺は「死ね死ね」と心の中で来客者を呪った。


「祐治、お客さんが来たから出て」


「分かった」


 立ち上がって部屋の扉を開けた。


「ここは万屋の〈よろずん〉であっているかな?」


 開けるなりそう言ったのは、スーツ姿のおっさんだった。

 歳は30後半から40前半といったところか。

 中年太りしている。

 スーツは一目で高級品と分かる代物だった。


「そうです、ご予約の鈴木様ですね」


 文香が言う。

 振り返ると、彼女は立っていた。

 落ち着いている。


 鈴木が頷く。


「ソ、ソファへどうぞ!」


 震えた声でソファを指す俺。


「ありがとう」


 鈴木が腰を下ろすと、文香は向かいに座った。

 俺は文香のすぐ隣につく。


(本当に客が来た……! しかも一丁前の大人だ……!)


 文香のことを凄く思うと同時に緊張する。

 万屋に来る依頼ってどういうものなのだろうか。


「友人に紹介されて来たのだが、本当にここは何でもしてくれるの?」


「限度はありますが、可能な限りのことは。お困りしている方を無償で助けるのが〈よろずん〉ですので」


 文香がすらすら答える。


「じゃあ、コレを頼めるかな?」


 おっさんは1枚の紙を取り出す。

 そこには、ある物が印刷されていた。

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