003 喫茶店にて

 状況を確認しよう。


 俺は文香に誘われて競馬場に来た。

 そして仲良く興味のない競馬を観ていた。

 メインレースの最終局面で唐突に告白された。


 ――確認終了。

 オーケー、まるで意味が分からない。


「御代田さん、今、告白したの?」


 文香の頬が赤くなる。

 恥ずかしそうに目を逸らし、「うん」と頷いた。


「駄目……だよね」


「駄目じゃない、駄目じゃないよ! もちろんいいよ!」


 俺は躊躇なく承諾した。

 片思いの相手から告白されたのだから当然だ。

 とはいえ、疑問は尽きない。


「御代田さんの――」


「文香って呼んで。恋人になったから」


「え、いいの?」


「うん」


 思わずニタニタしてしまう。

 いや、そんな場合ではない。


「じゃあ、俺のことも祐治って呼んで」


「分かった」


「それで話を戻すけど、文香が競馬場ここに来た理由って告白の為だったの?」


 文香は頷いた。


「たぶん最初で最後の告白になるから記憶に残るものにしたくて」


「たしかに記憶には残ったが……」


 ロマンチックの欠片もない場所だぞ。

 紙吹雪のような馬券がそれなりの演出ではあったけれども。


「と、とりあえず、そういうことなら此処を出よう。周りが殺気立っている」


「そうだね」


 おっさん共は暴徒化する寸前だった。

 中には近くの人間に八つ当たりして喧嘩に発展した者もいる。

 ビープインパクトのご立派な末脚がよほどまずかったようだ。


 俺達はそそくさとその場を離れた。


 ◇


 近くの喫茶店にやってきた。

 老夫婦が営む小さな店で、レトロな香りが漂っている。

 時の流れがゆったりに感じられる心地よい空間だ。

 時間の問題だろうか、客は俺達だけしかいない。


 俺達は一番奥のテーブル席で向かい合うように座った。

 俺はアイスコーヒーを、文香はホットコーヒーを頼む。


「若いアベックは珍しいからサービスだよ」


 マスターが俺達の間にタマゴサンドを置く。

 作りたてのようで、タマゴから湯気が出ていた。

 美味しそうだ。


「アベックなんて言葉、もう使わないわよ」


「そうなの? じゃあどう言えばいいんだ?」


「カップルよ、カップル」


「なるほどなぁ、若者言葉ってやつかぁ」


「そうよ。新聞を読んでないから頭が昭和で止まってるのよ」


 老夫婦が愉快げに話している。

 俺はアイスコーヒーを一口飲んでから尋ねた。


「文香はどうして俺を選んだの?」


「どうしてって?」


 文香は何も入れずにコーヒーを飲む。

 それから振り返り、マスターに向かって言った。


「すごく美味しいです、いい豆をお使いですね」


「ほぉ? お嬢ちゃん、豆の違いが分かるのかい」


「いえ、分かりません」


 俺は椅子から転げ落ちそうになった。

 文香は表情を変えることなく続ける。


「ただ、すごく美味しいのでいい豆なんだろうなって」


「はっはっは! 素直でいいねぇ! 特別におかわりを無料にするよ! もっと飲みたかったら遠慮無く言ってくれ!」


 マスターは嬉しそうに笑った。

 それに合わせて文香も笑みを浮かべている。

 学校では見たことのない顔だった。可愛い。


「話の腰を折ってごめんね、祐治」


「大丈夫だよ」


「それで、どうしてってどういうこと?」


「だって、文香は色々な男にアプローチされているじゃないか。学校で一番のイケメンって言われている奴のことも振っていた。なのに、どうして俺を選んでくれたんだ?」


 俺が文香に一目惚れするのは分かる。

 同じような男は他にもごまんといた。


 しかし、逆は違う。

 客観的に見て、俺に一目惚れする要素はなかった。

 見た目は地味だし、成績も特筆するものがない。

 運動神経に秀でているわけでもなければ、コミュ力も低い。

 自分で言っていて悲しくなるけれど、魅力は皆無である。

 端的に表現するなら「取り柄のない陰キャ」なのだ、俺は。


「祐治は私のこと、いつも助けてくれるから」


「助ける?」


「うん。私が吉沢さんに絡まれている時、いつも謎の力で助けてくれているでしょ。この前だって背中を痒くさせてたし」


 超能力のことを言っているようだ。


「知っていたのか」


「分かるよ。だって、祐治がいる時だけ、吉沢さんに異変が起きるんだもん。それに、私だけじゃなくて他の人も助けるでしょ」


「他の人?」


「私が祐治とラインを交換した日はお婆さんを助けていた」


「いや、あの婆さんはグルコサミンの力で……」


「そんなわけないじゃない」


 真顔で否定された。


「ま、まぁ、たしかに、あの老婆も俺が助けた」


「そういう優しさに惚れたの。困っている人を助けるのは素敵なことだし、それで威張らないのもかっこいい」


「この俺が……ヒーロー……」


「そこまでは言ってないんだけど、ヒーローだよね、実際」


 ニヤニヤが止まらない。

 視線を宙に泳がせながら「ぐふふ」と笑う。


「ねぇ祐治、恋人になったし秘密は無しでいきましょ」


「あ、あぁ、そうだな」


「じゃあ、祐治の謎の力について教えてもらえる?」


「たぶん信じてもらえないと思うけど――」


 そう前置きしてから俺は言った。


「――超能力が使えるんだ、俺」


「信じるよ。そうじゃないと説明がつかないから。超能力って、具体的にはどういうことができるの? 空を飛ぶことはできる?」


「それは無理だ。足を少し浮かせることならできるけど、自由自在に空を飛び回ることはできない。地味な力なんだ」


 いくつかの例を挙げる。

 文香は好奇心に満ちた目で真剣に聞いていた。


(超能力の話を人にするのは初めてだなぁ)


 親にも話したことがなかった。

 秘密にしていたわけではない。

 言ったところで信じないと思ったからだ。


「俺の超能力はこんな感じ。基本的には見えている範囲の人間にしか使えない。地味でごめんな」


「そんなことないよ。すごく面白いと思う」


「ありがとう。文香も何か秘密とかある?」


 文香は躊躇わずに「あるよ」と頷いた。

 あまりにも堂々としていたので、俺は「あ、あるんだ」と怯む。


「それって、どんな秘密?」


 皆には内緒だよ、と言ってから文香は答えた。


「秘密のお仕事をしているの」


「秘密のお仕事?」


「うん、何でもする仕事」


「何でも……」


 秘密、何でも。

 脳内に「18禁」の文字が浮かんだ。

 俺の文香が、そんな、そんなわけ――。


「興味ある?」


 文香がタマゴサンドを食べる。

 両手で持ってチビチビ食べる姿はシマリスのようだ。


「うん、興味、あるよ」


 俺もタマゴサンドを食べた。

 見た目通りの美味しさで感動する。

 目が合うと、マスターはドヤ顔で親指を立てた。


「じゃあ、このあと私の職場に行こっか」


「いいの?」


「もちろん。恋人だから秘密は無しにしないとね」


 しばらくの間、俺達は他愛もない会話に耽った。

 しかし、どんな話をしたのかは覚えていない。

 秘密のお仕事が何か気になって仕方がなかったからだ。

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