おまけ フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン編3
空にはまあるく青白く輝く月が浮かんでいた。廃ビルの屋上で柵にもたれかかりボケっとしながら月を眺め、仕込みキセルで紫煙を燻らせ無気力に半眼で男はつぶやく。
今宵は月が綺麗だのぉナビさんや。
“まぁ満月ですからね”
身も蓋もないな。そういやさ、スクラッチ前の月ってどうだったんだ?
“どう、と言いますと?”
月開発。俺が飛ばされた2020年の時点ではコロナ騒ぎで有耶無耶になってたけど、その直前だと中国とかアメリカとかロシアの大国が月開発計画ぶち上げてて月利権の奪い合いが始まるって言われてたんだけど。
“ええ、それはもう激しい開発競争が繰り広げられましたよ。アメリカはアルテミス計画により2025年に有人月面着陸させましたが、中国やインドはそれに先駆けて2024年に有人着陸及び月面に月基地の基礎を設置することに成功しています”
すげぇな中国インド。宇宙開発の歴史はアメリカ、ロシアに比べてだいぶ遅れていただろうに。
“そうですね。しかし、冷戦終結後からの両国は米露に追随すべく国家プロジェクトとして宇宙開発に取り組んでいましたから。他にも規模は小さいですが中東諸国、東南アジア諸国、アフリカ諸国はどこも2000年代には宇宙開発機関があったんですよ。あまり錫乃介様がいた当時は知られていませんでしたけどね”
ほぅ〜、俺がいた頃からあったんだ。知らんかった。
“そうでしょうね、その予算はどこも100億円にも満たない程度で、中国や欧州、日本の数千億の予算と比較すると小さいものでしたから”
アメリカはいくらなの?
“2020年でおよそ3兆円、2030年には20兆円まで膨れ上がりました”
ひぇっ、次元が違うな。なんでそんなにって……あ、宇宙太陽光発電か。
“そうです。2025年に実用化された宇宙太陽光発電は今までのエネルギーインフラを一変させました。なかでも天然ガス、化石燃料に依存していた国々は国家運営の大幅な進路変更を余儀なくされたんですよ。特に危機感を抱いたのは中東諸国。それまでの予算を数十倍に上げて宇宙開発に取り組んだそうですよ”
いやぁ、まぁ、多少は俺がいた頃からずっと原油依存はまずいってんで観光とか金融とか色々やってたみたいだけど、そんなんじゃおっつかないくらいの革命的な出来事だよな宇宙太陽光発電って。スクラッチの影に隠れているけどさ。
“月開発の話に戻りますが、月面基地は軍事利用云々は元から考えられていたのですが、それ以上に宇宙太陽光発電衛星の管理保守のために重要な施設と位置づけられたんです。そのため欧米日中印が仲良く手を取り合い、2027年には10人が1年間は生活できる月面基地第一号が早々と完成し、その後あらゆる分野の研究開発基地として2035年のスクラッチ前には100名前後が長期生活できる基地に発展しました”
なに、その意味深な “仲良く手を取り合い” って
“だれが主導権を握るかで合意に至るまでバッチバチの殴り合いがありましたから”
だろうな、笑える。
ところで全然ロシアの名前がでてこなないけど?
“ロシアは2022年の侵略戦争で疲弊して宇宙開発競争はおろか大国としてのポジションから脱落しました”
戦争? ロシアなんていっつもどっかで戦争してんだから今更だろ。疲弊するほどの戦争ってどことしたんだよ、アメリカか?。
“当たらずとも遠からずですが、ウクライナです”
ウクライナ? ウクライナってロシアの属国ってイメージだけど、それこそ今更なんで?
“それを話すと夜が明けてしまうので、当時のテレビ映像をダイジェストで流しますのでどうぞ”
あ、池上彰だ────ほぅほぅ────なるほどね────だいたいわかった。
ロシア「最近ウクライナちょーしこいてね? クリミアだけじゃ躾けがたりねぇみたいだな。もういっちょシバキ倒してやるか」
ウクライナ「お、やんのか? 昔の俺とは一味ちがうぞ。欧米!」
欧米「ステロイド剤(武器供与)! カンフル剤(軍事訓練)! 輸血(物資)!輸血(資金)!輸血(人材)!ロシアには毒薬(経済制裁)だ!」
ウクライナ「キタキタキタキターーー!」
ロシア「な、なに⁉───チャ、チャイナーーー!」
中国「あなた誰アル? 気安く触らないでほしいアル」
ウクライナ「オ゛オ゛オ゛ラ゛ァ゛!!!」
ロシア「ほげぇぇぇぇぇっ!!!!!」
ってな感じか。
“まあ、だいたいそんな感じです。戦争は2024年まで続きプーチンは退任後失踪、天然資源利権を各国に切り取られ、ロシア連邦のを構成する国々は独立し事実上の崩壊、国連常任理事国の地位は除名、経済制裁戦後処理の莫大な費用と徴兵による現役世代の喪失で国民生活の低下、などなど惨憺(さんたん)たる有様でした”
どうしようもないな。せっかく宇宙開発は米露でリードしてたのに、くだらねぇことしなけりゃそのまま月面基地利権の一つや二つ自由にできただろうに。なぁ、ふと思ったんだけどスクラッチの時には月面基地に人いたわけだよな。
“いましたね”
その人達って生き延びて今もまだ子孫とか生きてるのかな?
“どうでしょうか。全く情報が入ってきませんからなんともいえませんが、地球からの補給もない状態で生存は難しいのではないでしょうか?”
だよな、故郷に帰れないままで生涯を終えることを可哀想と偲ぶべきか、月で亡くなるなんてロマンがあるとポジティブにとらえらるかわからないけど、なんせよ地球の崩壊を眺めながら死ぬことには変わりないのを思うと切なくなるな。にしてもスクラッチ前後の地球を記録とか観察してた人はぶったまげただろうな。
“グラウンドスクラッチの原因が月に行けばわかるかもしれませんね”
月面基地の人達の墓参りも兼ねて行ってみたいものだな。
“あら、意外に殊勝な心がけじゃないですか”
口ではなんとでも言えるからな。それに……
廃ビルの屋上から月を眺めていた錫乃介は、視線を下の砂漠に移すと、ゆったりと優雅に泳ぐ数頭の砂シャチが月光に照らされ煌めいていた。こんな状況でなければその幻想的な風景を肴に日本酒でもというところであったが、そんなものはとうに飲み尽くしていたのでせめてもの反抗に立ち小便をする。
「行けるもんなら今すぐ連れて行って欲しいね」
ぶるんぶるんと粗末なものを振ってしまうと、月に向かってため息と共につぶやくのであった。
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