第223話 温もりと安らぎ

「うおお! ヤバイ!」


 日曜日の朝、俺は大急ぎで駅へと向かっている。

 というのも、今日はせっかく先輩がデートに誘ってくれたっていうのに、待ち合わせ時間の一時間前に遅れそうなのだ。


 まあ、普通に歩いて行っても待ち合わせ時間四十五分前くらいには到着するんだけど、先輩ときたらキッチリ約束の一時間前には待ち合わせ場所に来るはずだし。


『はうはうはうはう! 最近のマスターは根を詰め過ぎなのです! だから遅刻しちゃうのです!』

「うぐ!?」


 [シン]の鋭い指摘に、俺は思わずうめいてしまった。

 そ、そりゃあ俺も、今度の交流戦で中条シドとメイザース学園生徒会が何かしでかさないようにって、色々と対策を練っていたのは事実だけど


 で、でも、[シン]だって毎朝寝坊するじゃんかよ!


『とにかく! 桐姉さまを心配させないためにも、急ぐのです!』

「お、おう! そうだな!」


 俺は全力で走り、十字路の角を右に曲がろうとして……っ!?


「おっと」

「うわっとおっ!?」


 通行人にぶつかりそうになり、慌てて避けた俺は、勢い余って見事に道端にダイブしてしまった。


「イテテ……」

「大丈夫か? ……って、望月か?」


 名前を呼ばれ、俺は顔を上げると。


「あ、あれ? 賀茂?」


 なんと、通行人の正体は明日の交流戦の代表の一人である、“賀茂カズマ”と、その精霊ガイストである[瀬織津姫せおりつひめ]だった。


「そんなに慌ててどうしたんだ?」

「あ、そ、そうだ!」


 俺は急いで身体を起こして立ち上がると。


「ス、スマン! 人を待たせてるんだ! じゃあな!」

「あ、ああ……」


 呆けた表情の賀茂を置き去りにし、俺はまた駆けだした……って。


「ア、アレ? なんでアイツ、精霊ガイストなんか召喚しっぱなしにしてるんだ?」

『はう! そういえばそうなのです!』


 などと[シン]は相槌を打っているが、そもそもお前だって、俺が召喚もしてないのにほぼ出ずっぱりじゃねーか。


「ウーン……ま、いいか」


 俺はそんな賀茂が気になったものの、今はそれどころじゃない。

 首を傾げつつ、俺は駅前へと急ぐ。


 そして。


「せ、先輩! お待たせしました!」


 俺は息を切らしながら、先輩に挨拶をした。

 と、とりあえず五分遅れまでリカバリーできたぞ……!


「ふふ……待たせるも何も、まだ待ち合わせ時間の五十五分前だぞ? そんなに慌て……望月くん、それはどうしたんだ?」

「へ……?」


 先輩に指摘され、俺は思わずキョトン、としてしまう。


 すると。


「あ……」

「全く……こんな、顔にすり傷なんて作って……」


 先輩はカバンからハンカチを取り出し、俺の頬を優しくぬぐってくれた。


『はう! マスターは大慌てで走ってきたせいで、来る途中に転んだのです!』

「[シン]!?」


 [シン]に暴露され、俺は思わず赤面してしまう。

 いや、俺が遅刻しそうになってたの丸分かりじゃん!?


「ふふ……本当に、しょうがないな」

「す、すいません……」


 苦笑しながらハンカチで擦り傷の汚れを拭きとってくれている先輩に、俺は恐縮しっぱなしだった。


 それにしても……うん、今日の先輩のコーデも、最高かよ。

 白の長袖ブラウスに、黒のストラップワンピース。足元はバックルのついた茶色のエンジニアブーツという、まさに俺好みといっても過言じゃない。というか先輩ならどんな服を着ても似合うんだけど。


「うむ、これで綺麗になった」


 そう言うと、先輩はニコリ、と微笑んだ。

 くそう、やっぱり先輩は可愛すぎる!


「ふふ、では行こうか」


 先輩はくるり、ときびすを返して手招きする。

 俺は先輩の隣に並ぶと。


「先輩……そ、その……今日の服も、すごく似合ってますよ……」

「あう……あ、ありがとう……」


 先輩は頬を赤らめながら少しうつむいた。


「そ、それで、今日はどこに行くんですか?」

「ん? ふふ……それは着いてからのお楽しみだ」


 そう言うと、先輩が俺のほうを見ながら悪戯っぽくはにかんだ。


 ◇


「おおお……」


 先輩に案内され、着いた場所は美術館だった。


「望月くん、では中に入ろう」

「あ、は、はい!」


 先輩に呼ばれ、俺は慌ててその後について行く。

 ……自慢じゃないけど、実は俺、美術の成績が壊滅的だったりする。


 うう……的外れな感想とか言って、先輩に幻滅されてしまったらどうしよう……。


「ほら、望月くん。あれが有名な『テューダー共和国の大麦畑』という作品だ」

「へ、へえー……」


 先輩に勧められて見てみると、かなり大きなキャンパス一面に、青空と黄金色の麦畑が広がる絵だった。

 何だろう……絵心は全くなくて、どこがすごいとかっていうのは分からないんだけど……それでも、この胸がすくというか、心地よいというか、何とも不思議な気分だった。


「ふふ……これを、君に見せたかったんだ」

「へ? この絵を、ですか……?」

「ああ」


 ウーン……やっぱり、ド素人の俺でも何かしら感じるほどの絵だから、かなり有名なんだろうなあ……。


 だけど。


「はは……いつかこの絵にあるような場所に、行ってみたいですね……」

「そうだな……」


 それからも、先輩に色々と絵について教えてもらいながら見て回っていると、あっという間に美術館の出口についてしまった。


「いやあ! 俺、あんまり絵のことって知らなかったんですけど、先輩が説明してくれるからすごく楽しかったです!」

「ふふ、それはよかった。そうだ、歩いて少し疲れただろうから、併設されている公園のベンチでのんびりしよう」

「はい!」


 俺と先輩は、美術館の隣にある公園へ向かい、いちょうの木の下にあるベンチに腰掛けた。


 すると。


「も、望月くん……そ、その、少し横になるといいぞ……?」

「へ……?」


 先輩の言っている意味が分からず、俺は思わず呆けた声を漏らしてしまった。


「こ、こういうことだ!」

「うああ!?」


 先輩にぐい、と引き倒され、なんと、まさに膝枕の体勢になってしまった。

 えええええ!? こ、これ、なんのご褒美ですか!?


「せ、先輩!?」

「そ、その……君がいつもすごく頑張っていることは知っている。そ、それも、この、私のために……」

「あ、え、ええと……」

「だけど……ここ最近の君は、交流戦のこともあるせいか、心が少し張りつめすぎているんじゃないか……?」


 そう言うと、先輩は心配そうな表情で俺の顔をのぞき込む。

 ひょっとして先輩、俺の様子に気付いて、それで今日はデートに誘ってくれたのか……しかも、俺が少しでも休めるようにって、美術館と公園をチョイスして……。


 はは……なんで先輩は、そんなに俺のことを見てくれるんですか……。

 なんで先輩は、そんなに最高なんですか……!


「だから……今日はゆっくり休むんだ」

「……はい」


 俺は先輩の優しさが嬉しくて、思わずこぼれそうになる涙を必死でこらえる。

 その時……先輩が俺の頭を優しく撫でてくれた。


 ああ……幸せ、だなあ……。


 俺は先輩の膝から伝わる温もりと、先輩のその手から伝わる優しさで、いつの間にかそのまま眠りについた。

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