第33話 スギコとアキコ(8)

 スギコは幾日か後、アキコに一つの薬を手渡そうとした。

 それは堕胎剤。

 手渡すスギコの手が震える。

 本当にこれを渡すほうがいいのだろうか。

 だが、アキコのやつれていく姿を見るのは耐えられない。

 スギコは、自分の罪から逃げるかのように、アキコに確認する。

「これを飲めばおなかの子はいなくなる。でも、本当にいいの? それでいいの? あなたはそれで後悔しないの?」

 分かっていた。

 こんなことを言うのは、スギコ自身が、その責任から逃れたいためなのだと。

 アキコ自身が決めたことと言って、その責任から目を背けたかっただけなのだ。

 だが、私ならどうする……

 分からない。

 そんなの分かるわけがない。

 でも、これだけは分かる……

「アキコ……あなたは何も悪くない……あなたは、苦しんじゃダメ……苦しむべきじゃないんだよ……」


 堕胎剤を受取ろうとするアキコの手も震えていた。

 これを飲めば、この苦しみからは解放される。

 もう、あの忌まわしい日々を思い出すこともない。

 そう、何もなかったかのようにリセットすることもできるかもしれない。

 いや、リセットしたいのだ。

 だが、おなかの子には罪はない。

 日々、おなかの子の存在を感じる。

 一人ではないと思える時がある。

 だが、だがである。

 この子が生まれたのち、自分はこの子を育てることができるだろうか。

 無理やり犯されたこの子の顔を見るたびに、あの出来事を思い出す。

 もしかしたら、咄嗟的に首を絞めてしまうかもしれない。

 もしかしたら、叩きつけてしまうかもしれない。

 そもそも私は、ケロべロスの赤ちゃんを殺した女……

 きっと、この子も殺してしまう……

 この子を愛せる自信がない……

 そう、この子は産まれても幸せになれないかもしれないのだ。

 そんな不幸なことはありはしない。

 ならば、今、幸せのうちに……幸せのまま……天国に……

 涙がボロボロとアキコの目からこぼれていた。

「ごめんね……ごめんね……ごめんね……ごめんね……ごめんね……」

 アキコはつぶやくと一気に堕胎剤を飲み干した。


 途端に、アキコの下腹部に激痛が走る。

 まるで、腹の子がその錠剤を嫌がるかのようにうごめくかのようである。

 腹を押さえてうずくまるアキコ

「誰か! 誰か来て!」

 スギコは叫んだ。


 それから、三日三晩アキコは呻き続けた。

 まるで、自分自身の罪への贖罪かのように、激しい出血がアキコを襲う。

 スギコはアキ子を懸命に看病する。

 そして、そのそばで懸命にアキコの手を握り続けた。

 四日目の朝、アキコが目がうっすらと開いた。

「おはよう……」

 その横には、スギコが手を握ったまま微笑んで座っていた。

 だが、そのスギコの頬には幾重もの涙の後、そして泣きはらし疲れた目が赤くなっていた。

 アキコは思う。

 この女は、ずっと私を見てくれていたのか……

 そして答えた

「おはよう……スギコ」


 アキコの容態は、日々よくなっていく。

 だが、周期が乱れまくった生理の時には、決まってアキコを苦しめた。

 だが、アキコはその痛みを受け入れた。

 これは私が殺した二人の赤ちゃんの痛み……

 心が汚い私に与えられた罰なんだ……


 一方、ユウヤの容態はどんどんと悪くなっていく。

 気力を吸い取られたユウヤは、今やベッドから立ち上がることさえできなくなっていた。

 ベッドのわきの窓から差し込む日差しに、ベッドで横たわるユウヤ顔を優しく照らす。

 窓の脇に置いてある花瓶の花を入れ替えるスギコ。

 そんなユウヤを眺め、不安な気持ちにって行く。

 もし、ユウヤがいなくなったらこの世界はどうなるのだろう。

 おそらく、ユウヤの気力を吸えなくなったモンスターたちは、再び、人間たちを襲いだす。

 そうすれば、この世はまた地獄のような時代に戻ってしまうのではないだろうか。

 いや、そんなことはもうどうでもいい。

 スギコのそばで優しく微笑むユウヤがいなくなることがスギコ自身、耐えられなかった。

 それは心の中にぽっかりと穴が空く、いや、心半分が切れ落ちていくような感覚だった。

 そんなのいや……


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