第78話 軌道修正フラグ
執務室から飛び出したあと、私はシロに乘ってゆっくりと侯爵邸へ向かっていた。
上空の涼しい風を受けていると、少しずつ心が落ち着いてくる。ヨガだけでなく、たまには空中散歩もいい。心のデトックスになりそうだ。
『オリヴィア~』
「なぁに、シロ」
たなびく髪を押さえながら返事をすると、シロはちらりと顔を後ろに向けた。
『あの王太子こわぁ。婚約者は選んだほうがいいと思うよぅ』
「え? ああ、躾の話を聞いてたのね。大丈夫。彼なりの冗談よ」
『絶対冗談じゃなかったと思う……』
元気づけようとシロの頭を撫でる。
けれどその柔らかな毛並みに元気づけられたのは私のほうだった。
「ねぇシロ。私ってそんなに頼りないのかな」
『う~ん。頼れるって感じじゃないかなぁ。また何か変なこと考えてるなって、ぼくでも思うしぃ。頼れるっていうより、危なっかしい?』
遠慮のない物言いに、さすがに撫でる手も固まってしまう。
「シロにまでそう思われてる私って……」
『まあ、ぼくはお互いさまだと思うけどねぇ』
「お互いさまって?」
『オリヴィアもノアも、お互いを心配しすぎて、相手の主張を聞かないんだよぉ』
だからケンカするんでしょ。
やれやれ、と神獣に首を振られ、こんな仔犬神獣に言われるなんてとショックを受ける私だった。
◇◆◇
学園の回廊を歩く王太子ノア。その左斜め後ろをユージーン・メレディスは静かについていく。
ここ三日ほど、ノアは非常に機嫌が悪い。先日、婚約者である神子オリヴィア・ベル・アーヴァインと仲違いをしたからだ。
実はあの日、隠れ家から王太子宮へ移ったあと、執務室の前でふたりの話が終わるのを待っていると、ふたりが口論している声が聞こえてきてしまった。
どうやら自分のせいで言い争っているようだと気づき、立ち去ろうかとも思ったが、同じく廊下で待機していた異母兄、ヴィンセントがいたせいで動くに動けなかった。
あの男も聞いている状況で自分が立ち去ると、まるで自分に非があり逃げるようで嫌だったのだ。 ヴィンセントのほうは、気にも留めていないような無表情だったが。
そうこうしているうちに、神子は神獣に乗って王宮を去ってしまった。
その後ノアが執務室から出てきたときの表情といったら、ひどいものだった。特にユージーンとヴィンセントのことは、親の仇かのように睨みつけてくる。
冷たい、というより王の瞳は憎悪に満ちていた。
ユージーンにとってノアは聡明で理知的な王子だ。彼がこの国の王になれば、名君と謳われるようになるだろう。
だが、未来の名君もまだ若いということだろうか。こと婚約者に関しては余裕のないただの男と成り下がる。神子オリヴィアの一挙手一投足に感情を揺さぶられ、政務に影響まで出る有様だ。
いや、政務に影響と言うと語弊がある。
仕事の質や速度に関しては問題ない。問題があるのは周囲だ。ノアの機嫌によっては指示や判断が厳しくなるので、王太子付きの文官は戦々恐々としている。
オリヴィアに振り回されるノアに、ユージーンたちもまた振り回されるのだ。いい迷惑である。
婚約や結婚など、ユージーンにとっては貴族の責務のひとつに過ぎない。
愛だの恋だの、実にくだらない。血の繋がる人間でさえ裏切り傷つけ合うというのに、赤の他人にそこまで心を明け渡すなど、狂気の沙汰だ。
宰相である父も、半魔のくせに騎士となった異母兄も、優秀な王太子も尊い神子も憐れな聖女も、すべては駒だ。それ以上でも以下でもない。
それが一番合理的で、間違いのない考え方だと思っている。
ふと、目の前でノアの足が止まった。ぶつかる前にユージーンも止まり、何かあったのかと前方と見る。
すると、回廊の奥からこちらに向かって歩いてくる女子生徒の姿があった。後ろにはユージーンにとって忌むべき存在の騎士がついている。
(神子オリヴィアか……嫌なタイミングだ)
今朝はノアが侯爵邸に王宮の馬車で迎えに行くと先ぶれを出していたのにも関わらず、オリヴィアはひとりで先に学園に行ってしまったらしい。おかげでノアの機嫌はすこぶる悪い。
このままでは鉢合わせするがどうするのだろう。
黙って見ていると、オリヴィアもこちらに気づき、一瞬立ち止まった。だがそのまま方向転換し、回廊から庭園へと降りてしまった。
誰の目にも明らかな、完全なる拒絶である。
(午後の政務では雷の雨が降るか……)
先日、隠れ家でノアに雷の精霊魔法を落とされたことを思い出し、内心ゾッとしながら一歩距離を取る。
そのノアはというと、オリヴィアとヴィンセントの姿が見えなくなるまで、ただ黙って立ち止まったまま見送っていた。
「……よろしかったのですか」
手紙の返事ももらえず、避けられ続けていた相手と、やっと会って話せるチャンスだったというのに。
案外あっさり諦めるものだな、と思っていると、ノアは庭園に視線を止めたままぽつりと呟いた。
「僕らの気持ちは変わらない」
「気持ち、ですか」
「ただ、お互い頭を冷やす時間が必要なだけだ」
言葉とは裏腹に寂しさを含んだ声で言うと、ノアは再び歩き出す。
黙ってその背を追いながら、ユージーンは失笑した。
(変わらない? 馬鹿馬鹿しい。人の気持ちほど柔く、変わりやすいものなどないというのに)
◇◆◇
中休み、ヴィンセントの勧めで庭園に向かった。
気分転換にでも、と言われ、あのヴィンセントに気を遣われるほど自分は落ちこんで見えたのか、と軽い衝撃を受けた
(だってヴィンセントって、自分の世界で生きてるというか、思いやりって言葉からはほど遠いイメージなのよね)
何を考えているのかよくわからない無表情。侯爵邸の自室での護衛時には微動だにしない姿は、まるでよく出来た騎士の置き物のように見えてくるほどだ。
少しはヴィンセントも心を開いてくれてきたということだろうか。そう思いたい。
「……セレナ様?」
庭園の東屋に着くと、そこにはすでに先客がいてテーブルに着いていた。
私を見て、慌てた様子で頭を下げる。
「こんにちは、オリヴィア様!」
「いついらっしゃったんですか? 今日はてっきりお休みかと」
朝は教室にセレナの姿は見当たらなかった。ギルバートも休みのようだったので、王宮で何か用事があるのだろうと思っていたのだ。
「はい。休みの予定だったんですけど、ええと、その……」
セレナがちらりと私の背後に立つヴィンセントに目をやる。
「……ヴィンセント卿?」
「申し訳ありません。俺が聖女様をお呼び立てしました」
なぜヴィンセントがセレナを? と思ったところでハッと気づく。
もしかして、今になって主人公と攻略対象者としてのフラグが立ったのでは?
もしかしてもしかして、ふたりの物語が正しい方向に軌道修正され始めたのでは!?
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