第53話 ふたり目の攻略対象者


 私の護衛として専属騎士をつける話がまとまり、父が仕事に戻っていったので、私も王太子宮をあとにした。


 元々、今日は王宮で約束があったのだ。ノアに「もう少しふたりきりでゆっくりしてもいいじゃないか」と捨てられた仔犬のような目で言われたが、先約束を破るわけにもいかない。


 それに約束の相手が聖女セレナだと言うと、ノアは仔犬からすぐさま猛禽類の目になった。聖女とお茶をするだけなのだが、自分を優先してもらえなかったのが気に入らないのだろうか。



「聖女の貴賓室まで送るよ。ついでに聖女に挨拶しておこう」



 セレナはいまも聖女として王宮の一室を与えられ、そこで生活している。シモンズ子爵家では警備の面で心許ないのと、国を挙げて聖女をもてなすことで、創聖教団を牽制しているのだ。

 教団としては聖女の身を教団に移し祀り上げたい。王室としては聖女と婚姻を結び権威を盤石なものとしたい。教団は王室の権力の及ばない不可侵の神域扱いなので、ふたつの勢力は敵対し合っているとまではいかないが、良好な関係とも言い難いのだ。



 ちなみに私も神子として教団が接触したがっているらしいが、ノアが全力で阻止してくれている。さすが業火担同担拒否。



「私ひとりでも大丈夫ですよ? ノアさまは政務でお忙しいでしょうし」


「オリヴィアを安全に送る使命より重要な政務などないよ」



 にっこりとノアは笑顔を見せたが、星空の瞳は笑っていなかった。


(むしろ重要な政務しかないのでは……とは言っちゃいけないのよね)


 こういうときのノアには、素直に従うに限る。何せオリヴィア強火担から業火担に恐怖のランクアップをした男なのだ。下手に突っぱねるとどんな暴挙に出るかわからない。



「最近学園を休むことが多くてすまない。寂しい思いはしていないかい?」


「ノアさまのお立場では仕方がありません。すでに国王陛下のお力になられているノアさまは、本当にご立派だと思います」


「オリヴィアに褒めてもらえるのは嬉しいが……」



 王宮の回廊に差しかかったところで、ノアがぴたりと足を止める。

 私もつられて立ち止まれば、不意にあごに指をかけられた。



「僕に会えなくて寂しい、と言ってくれるのを期待してたんだけどね?」



 息がかかるほど近くで囁かれ、私は一瞬で顔が熱くなった。



「さ……寂しくは、もちろん……思っておりますが、その……」



 こんなところで色気をだだ洩れにしないでほしい。心臓に悪い。

 ドキドキしすぎて上手く答えられずにいると、回廊の奥からこちらに歩いてくる人影が見えて、慌ててノアの胸を押し返した。



「ノ、ノアさま。誰かがこちらに来ます」


「そんなお邪魔虫の存在なんて気にしなくていいよ」



 私の腰を抱き寄せ、ますます密着してくるノア。業火担の辞書には自重という文字はないのだろうか。

 さすがにそろそろ怒るべきかと思ったとき、甘い空気を切り裂くような冷たい声がした。



「気にしなくていい、とは聞き捨てなりませんね」



 淡々とした声に、ノアが顔を上げる。私もノアの視線を追うと、私たちの前にひとりの男性が立っていた。

 彼を目にした瞬間、私は自分の心臓が止まったように感じた。


 そこにいたのは、印象的なモスグリーンの髪に、銀縁の眼鏡をかけた若い男だった。私たちとそう変わらない年齢の男が、眼鏡の奥で琥珀色の瞳をスッと細める。細い鼻筋、薄い唇、尖り気味の顎。整ってはいるが神経質そうなその顔立ちには、嫌というほど見覚えがあった。



「何だ。君か、ユージーン」



 そうだ。彼の名前はユージーン。

 ユージーン・メレディス。王家に連なるメレディス公爵家の嫡男で、私たちの通う王立学園の二年生だ。


 一度目の人生でも彼には度々遭遇した。聖女に仇なす害虫として、鋭利な視線と辛辣な言葉でいつも私を苛んだ。私が悪役令嬢オリヴィアなのだから仕方ないのかもしれないが、正直私はユージーンが苦手だった。


「オリヴィア、紹介しよう。彼はユージーン・メレディス公子だ。先日、王太子補佐として僕の側近になったから、これから顔を合わせることも多くなるだろう」

「……え? そ、側近、ですか?」


 先の聖女毒殺未遂事件の際、側近候補の貴族子息たちはノアの意向を尊重せず、私を蔑ろにし、ノアの傍から排除しようとした。その為ノアの逆鱗に触れ、側近候補たちは選考対象外となり、新たな候補を選出し直すことになったという話は聞いていたが——。


(側近て、思いっきり攻略対象者じゃん……!)


 笑顔の裏で、私は白目を剥いて倒れたい気分だった。

 ユージーン・メレディスは乙女ゲーム【救国の聖女】のメイン攻略対象者のひとりだ。

 腹黒鬼畜眼鏡キャラとしてコアな人気はあったものの、若干ヤンデレ要素を持つ攻略対象者だったので、そういったタイプは好みではなかった私は、彼の攻略を後回しにしてしまっていた。


(なんでユージーンがノアの側近に? 逆行前は、ギルバートの側近だったのに!)


 そう、ユージーンはギルバートの側近で、後の宰相候補と言われていたのだ。だからゲームでもギルバートが後見する聖女との接触が多かったというのに、聖女とあまり接点のないノアの側近になるなんてどうなっているのだ。好感度アップイベントが起きにくいではないか。

 王太子の側近、という肩書は変わらないかもしれないが、乙女ゲームのシナリオ的には破綻する可能性もある大変革だ。これも私のせいなのだろうか。私が一度目の人生とはまるで違う道を切り開いてしまったからなのか。

 私のせいでユージーンルートが消滅してしまったのだとしたら……。


(申し訳なさすぎて、メレディス公爵邸に足向けて寝られないわ)


「ユージーン。彼女はオリヴィア・ベル・アーヴァイン。アーヴァイン侯爵の溺愛するひとり娘で、僕の最愛の婚約者だ」

「存じ上げております。神子オリヴィアさまですね。お噂はかねがね。ユージーン・メレディスです。以後お見知りおきを」


 胸に手を当て頭を下げながら、心のまるでこもっていない挨拶をするユージーンに、私は「よろしくお願いいたします」と返すのが精いっぱいだった。

 おかしい。私はもう聖女に嫌がらせをしたり毒を盛ったりする愚か者ではないのに、ユージーンは相変わらず害虫を見るような目を私に向けている。私が悪役令嬢オリヴィアだから、何もしなくても彼には嫌われる運命なのだろうか。


「ユージーンは現宰相の息子で、本人もいずれ宰相になるのでは、と既に噂される優秀な男なんだ」

「お褒めに預かり、光栄です」

「ふふ。冷めて見えるかもしれないが、意外と優しいところもあるから、嫌わないでやってくれ」

「それは、もちろん——」

「だからと言って、好きになるのもダメだよ?」


 ぐいと顔を近づけ、そんなことを言うノア。笑顔だが、目が笑っていない。


「そんなことになったら、また僕は一から側近候補を選び直さなきゃいけなくなるからね。嫌わず、好きにもならず、あくまで普通で頼むよ」

「ふ、普通、ですか……善処します」


 普通、というのが一番難しい注文だと思うのだが、どうしたものか。好きにも嫌いにもならないためには、距離をとっておくのが正解な気がする。

 なるべくユージーンを視界に入れないようにし、会話も必要最低限にしよう。


「ユージーンも。もし君がオリヴィアに邪な思いを抱いたとしたら……」


 ノアの作り笑顔の輝きが五割ほど増した。比例して圧が、支配者のオーラが強まり、辺りから空気を奪っていくように感じた。


「公爵家もろとも、この国から消えることになるから、気をつけてくれ」

「……肝に銘じます」


 ユージーンは無表情のままだったが、声に緊張の色が滲んでいた。

 私はユージーンが苦手だけれど、思わず彼に同情してしまう。


(ユージーン。この人、私の業火担だから、ほんと気をつけて。お家もろとも国から消えるって、たぶん冗談じゃないから)


 挨拶が済み、ユージーンは逃げるように去っていった。遠ざかるモスグリーンの髪を見つめていると、ふと疑問が沸いた。


(メレディス公爵って、巻き戻り前は王妃率いる貴族派じゃなかったっけ? だから息子のユージーンがギルバートの側近になった流れだったはず……)


 いまは貴族派ではないのだろうか。ユージーンは、本当にノアの味方なのだろうか……?


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