第15話 定番の展開

 なんで? という疑問を抱く間もなく、日向は食器をシンクに移動させてちゃぶ台は片づけられた。六畳間の狭い部屋にちょっとした空間が広がる。が、六畳間の約半分は俺のベッドに占拠されているため、本当に猫の額ほどの狭さだ。


 少しだけ広くなった部屋の中心に立った日向は相変わらず無表情のまま、俺のスマホを床から拾い上げた。そして、何やら操作をするとスマホから音楽が流れ始める。


 どうやらダンスのBGMのようだ。なんてぼーっと考えていた俺だったが、不意に俺は彼女が当たり前のように俺のスマホを操作していることに気がつき目を見開く。


「おい待て、なんで俺のスマホが操作できてるんだよっ」

「スマホの操作ぐらい私にもできますが」

「いや、そうじゃねえよ。ロックがかかってたはずだぞ」

「ああ、ご主人様の誕生日のことですか?」

「…………」


 どうやら俺の単純すぎるスマホのパスワードは日向に完全に看破されていたようだ。俺はそんな彼女に何か諦めを感じながら「そ、そっか。了解」と答えると、日向は俺に向かって左手を差し出した。


「手に掴めってことか?」

「犬なら手を乗せるはずですが……」

「じゃあ人間だから掴むぞ」


 と言って彼女の手を掴もうとしたが、不意に俺は我に返る。


 そう言えば目の前にいるメイドは美少女だったという事実に……。


 あまりに俺をイジメるものだからすっかり忘れてたぜ。普段はなんとも思わないのだけど、一度意識し始めると、必要以上に意識してしまう。


 俺はわずかに震える手で日向の左手に触れると、彼女はぎゅっと俺の手を握りしめた。


 が、どうやら彼女には緊張という概念は存在していないようで、俺の手を握りしめてもなお無表情のまま、俺のことをじっと見つめている。


「足を意識しないでください。私に体を預けるように動けば足は勝手についてくるので」


 と言うや否や、日向は俺の肩に右手を回して動き始めた。


「お、おいちょっと待てよっ!!」


 いきなり動き始める日向にしどろもどろする俺だが、彼女はそんな俺を無視して踊る。


「ご主人様、体が固いです」

「いや、だから俺はこういうのは下手だって」

「知ってます。下手なら変に体に力を入れようとしないでください」


 と、簡単そうで難しい注文をする日向に、俺はなんとかリラックスを心がけてみる。日向が自分の方に体重をかけると、俺はそれに逆らおうとはせずに後ろに下がる。すると、日向は引いた足の前に自分の足を置く。なるほど、上手いとか下手とかはわからないが姿見に映った自分は確かに踊っているように見えなくもない。


 が、すぐにそのまま自然にダンスができるようになるかと言われればそうは問屋が卸さない。何せ、俺は名だたる名コーチを泣かせてきたという自負があるのだ。確かに日向は社交ダンスの心得があるようだった。が、やはり、俺のエスコートに四苦八苦してはいるようだ。


 その証拠に日向の呼吸はわずかではあるが、乱れ始めているのが分かったし、頬もわずかに上気している。


 俺に体を寄せたり離したりしながら、暴れ馬でも乗りこなすように、それでいて優雅さを大切にしながら踊る日向。彼女がくるりと体を回すと、彼女の紺色のスカートがふわりと揺れる。狭い部屋のせいか彼女の息遣いや、服の擦れる音がよく聞こえる。


 俺は彼女に申し訳なく思いながらも、なんとか体の力を抜いて彼女の動きに合わせようとした。


 のだが……。


「きゃっ!?」


 と、不意に日向は短い悲鳴を上げた。


 俺は謝って彼女の足を踏みつけてしまった。


「わ、悪いっ!!」


 と、慌てて彼女から足を離そうとするが、ちょうど彼女の方に体重をかけていたせいで、上手くいかない。


 結局、俺は日向に覆いかぶさるように倒れ込む。そして、彼女もまたそんな俺の体重を支え切ることができず、ベッド目掛けてバタンと倒れ込んだ。


 それは傍から見れば、まるで俺が彼女を押し倒したような格好だ。


 ベッドで仰向けになる日向と、その上に覆いかぶさる俺。つまり俺の目の前には日向の顔がある。


「わ、悪い……」


 と、ひきつった笑みで日向に謝る。そんな俺に日向はしばらく目を見開いたまま俺を見つめていたが、


「なるほど、これがお金持ちのやり方ですか……」


 と、言うと俺から顔を背ける。


「おい待て。完全に誤解だぞ。ただ俺のダンスが下手だっただけだ。他意はない」

「じゃあ、そうやって私の胸を鷲掴みし続けているのにも他意はないわけですね?」


 と言われて初めて俺は自分の手の感触に気がついた。


 なんか柔らかい、温かい、幸せな感触がする。その時点で俺は自分が何に触れているのか理解したが、認めるのが怖かった。恐る恐る自分の手に視線を向けると、俺の手はがっちりと欲張るように日向の双丘の左側を鷲掴みしていた。


「わ、悪いっ!?」


 と、あまりにもエロ漫画のような展開に驚きつつも慌てて、彼女の胸から手を放す俺。日向を見やると、彼女の頬がわずかに紅潮しているのがわかったが、それがダンスに熱中していたせいなのか、異性に胸を鷲掴みされたせいなのかはわからない。


「私に、こっちのダンスのエスコートまでさせるつもりですか? これが熊谷家おなじみの女の踊り食いですか?」

「おい、想像力が無限大か」

「ご主人様」

「なんだよ……」

「雇ったメイドを押し倒す気持ちはどんな気持ちですか?」

「いや、だから……」


 日向がこの状況に乗じて水を得た魚のように俺を口撃してくる。さすがにこのまま彼女に覆いかぶさったままだとマズいような気がするので、俺は彼女から体を離した。


 日向はゆっくりと身体を起こして乱れた服を治し始めた。その姿がなんとも艶めかしくて、俺が頬を赤らめると、日向は俺の心を見透かすように俺を見つめた。


「権力に抱かれました」

「いや、抱いてねえよっ!!」



※ ※ ※



 結局、その後も日向と一緒にしばらくダンスの稽古をした俺だったが、正直なところ上達したのかはわからなかった。が、幸いなことにその後、俺が日向をベッドに押し倒すという失態もなんとか防ぐことができた。


 そして翌朝。


 たった数十分ダンスをしただけなのに、普段使わない筋肉でも使ったのか俺は全身を筋肉痛の痛みに苛まれながら高校へとやってきた。日向はというと今日は友人に一緒に学校に行こうと誘われたらしく、俺よりも早く家を出ていった。


『ご主人様と友達だと思われると、私まで仲間にされてしまうので、登校中見つけても私には話しかけないでください』


 という捨て台詞とともになっ!!


 そして、一人寂しく学校へとやってきた俺が、いつもの用にげた箱から上履きを取り出していると、ふと視線を感じた。


「ん?」


 と、視線を感じた方へと顔を向けると、廊下の壁からひょっこりと顔を覗かせる金髪碧眼の少女を見つけた。


「どうかしたのか?」


 と、声をかけると彼女はこちらへと歩いてくる。そして、鞄を開けると中から饅頭を取り出して俺に差し出した。


「おはようございますですわ。あげますわ」


 どうやら今日も饅頭をくれるらしい。俺はありがたく饅頭を受け取って鞄に入れると彼女を再び見やる。


「なんか俺に用でもあるのか?」


 すると、彼女は少しそわそわした様子で、頬を赤らめた。


「ら、来週はパーティにお邪魔しますわ……」

「パーティ? あ、あぁ……」


 どうやら来週のパーティには桜井未菜瀬も参加する予定らしい。どうやら彼女はそのことを伝えるためにわざわざ俺のもとへとやってきたようだ。


 まあ、俺はまだ参加するとは言ってないけどな。


「そ、その……熊谷さんの家のパーティは社交ダンスがあると聞きましたわ。わ、私、あまりダンスは得意ではないですが、機会があればぜひお手合わせしていただきたいですわ」

「あ、あぁ……そ、そうだな。タイミングが合えばな……」


 と苦笑いを浮かべていると、桜井は何やら目をキラキラと輝かせながら俺を見上げた。


「熊谷さんはダンスがお上手だと伺いましたわ」


 おうおう、とんでもない誤情報つかまされてますな……。


「誰に伺いましたの?」

「日向さんですわ」


 と、桜井は目をキラキラさせたままそう答える。その目は完全に羨望の眼差しだった。

 あの女は抜かりなく俺を追い詰める気らしい。


「そ、そんな話は存じませんわね……。ダンスの腕前は大したことはありませんわ」

「なんでも著名なコーチの方からレッスンを受けておられたとか」

「そ、そうかもしれませんが、コーチがいくら良くても本人に才能がなければダンスは上手くなりませんわ」

「またまた熊谷さんはご謙遜がお上手ですわ。当日、熊谷さんの華麗なダンスを拝見できるのを楽しみにしてますわ」


 そう言うと、桜井は教室へと歩いていってしまった。


 そして、俺はその場に崩れ落ちた。


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我が家の腹黒メイドが俺の高校に転校してきた結果、天使のフリしていつのまにか学園のアイドルになってやがるんだが あきらあかつき@5/1『悪役貴族の最強中 @moonlightakatsuki

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