第9話 致命的な勘違い
な、なんでこんなことになってますのっ!?
いつの間にか未菜瀬は眠っていた。どうして眠っていたのかは彼女にもわからないが、目が覚めると彼女は手足を縛られた状態で、おんぼろアパートの六畳間のど真ん中に転がっていた。
確か、日向さんの淹れてくれたお茶と一緒におまんじゅうを食べていたはずですのに……。
そこから先の記憶は曖昧だ。が、今、彼女の手足が縛られているという事実は変わらない。そして、そんな彼女の顔の前でメイド服姿の日向がしゃがみ込んでいた。
「ごめんね未菜瀬ちゃん。痛くない?」
と、おそらく自分を縛り上げたであろう日向は、何故か未菜瀬を心配するように眺めていた。
「日向さん……こ、これはどういうことですの?」
情報量が多すぎて、未菜瀬の小さな頭ではこの状況を理解することが全くできなかった。未菜瀬に理解できるのは、痛い、怖い、悲しいの三つの感情だけだ。
「私はね、大好きな未菜瀬ちゃんと争うようなことだけはしたくないんだ。私、未菜瀬ちゃんのこと大好きだし、できれば昔みたいにずっと仲良しでいたいなぁ……」
ど、どの口が言ってますの!?
そのあまりの言動と言葉の不一致に未菜瀬は空いた口が塞がらない。
「私は未菜瀬ちゃんに敵意がないということだけは理解してほしいな」
だからどの口が言ってますのっ!?
とにかくこんなことをしておきながら、あくまで未菜瀬に対して申し訳なさを出してくる日向。
だめですわ。この現実をどう受け止めればいいのかわかりませんわ……。
「と、とにかく、この縄を今すぐにほどいて欲しいですわ」
「ごめんね。それはできないの」
「どうしてですのっ!?」
「未菜瀬ちゃん、教室で寂しい思いをさせたよね。ごめんね」
ダメですわ。会話が成立してませんわ……。
一向に埒が明きそうにない。どうして彼女は自分を縛っているのだろうか。そして、どうして自分に謝罪を繰り返すのだろうか。
日向の表情を見る限り、彼女の表情に偽りがないようにも見える。が、申し訳がない顔をしつつも自分を縛り付けているのもまた事実だ。
「だけどね。未菜瀬ちゃんが私の秘密を知ってしまった以上、そのまま帰すわけにはいかないの。できれば穏便に話を済ませたいな……」
それはこっちのセリフですわっ!!
本当にわけがわからなかった。どうして自分は幼馴染に縛られているのだろう。
秘密を知った? いったい秘密とはなんのことなのだろう。未菜瀬はない頭で必死に考えてみる。
わざわざ自分を縛り上げているのだ。きっと日向の言う秘密というのは生半可なものではないはずだ。
となるとやはり考えられるのは日向と一二巳が同棲をしているという秘密だろうか? が、だとしたらわざわざ彼女が未菜瀬を自宅に招き入れる理由がわからない。秘密も何も未菜瀬はこの家に来るまで、そんな事実は知らなかったのだ。
となると日向が一二巳からメイド服を着せられてあんなことやこんなことをさせられているという秘密だろうか? が、それもおそらく違うと未菜瀬は思った。理由は一緒で、未菜瀬はこの家を訪れるのは初めてなのだ。それなのに未菜瀬がそんな破廉恥な秘密を知っていると日向だって思わないだろう。それにわざわざ自分の前にメイド服姿で現れる理由もない。
「わ、私、日向さんの秘密なんて知りませんわ……」
と、言ってみるが日向は悲し気に首を横に振る。
「私だって未菜瀬ちゃんがここまで私のことを詳しく知っているなんて思わなかったよ。熊谷くんだって知らないあの漫画の隠し場所を一発で探し当てるなんて……」
え? たまたまですわよ?
と言いたかった。が、日向の表情から察するにそんな言い訳をしても信じてもらえそうになかった。
が、少なくとも日向の秘密にあのエロ漫画が大きく関わっていることは理解できた。となるとやはり一二巳の性癖のことなのだろうか?
未菜瀬は泣きたかった。せっかく大好きな幼馴染と再会できたのだ。本当は失った時間を取り戻すようにお話だってしたかったし、『桜井まんじゅう』の新商品だって食べてもらいたい。
それなのにこんなことになるなんて……。
「私、日向さんのことが大好きですわ。日向さんとこれからも仲良くしたいですし、その日向さんの秘密とやらを口外するつもりはありませんわ」
日向さん……信じてくださいませ……。
未菜瀬は訴えるように日向を見つめた。するとそんな未菜瀬の思いが通じたのだろうか、日向は少し動揺したように目を見開いた。
そして、
「み、未菜瀬ちゃんの言葉……信じてもいいの?」
「いいですわ。私、桜井家の令嬢としてそのことを保証しますわ」
「私、もう昔みたいな私じゃないよ? 未菜瀬ちゃんはこんな風に落ちぶれちゃった私のことも受け入れてくれるの?」
「受け入れますわっ!! だから、私のことを信じてくださいませ……」
とは言ったものの、未菜瀬は日向の言葉が少し引っかかった。
落ちぶれたとはどういうことですの?
未菜瀬にはその言葉が理解できなかった。少なくとも日向は一二巳と同棲して愛を育んでいるようだ。少々歪んだ愛ではあるようだが、未菜瀬には一二巳と交際はおろか同棲までしている事実のどこが落ちぶれているのか理解できなかった。
お、落ちぶれるどころか、私には手の届かない高みに上られている気がしますわ……。
未菜瀬は与えられたヒントを頼りにもう一度、日向の秘密について考えてみる。
メイド服姿の日向と例のエロ漫画。そして落ちぶれて、昔みたいな私じゃないという発言。さらに言えば自分を縄で縛る彼女。
それらを総合的に考えてみる。
そして、
「はわわっ!?」
未菜瀬の頭の中で点と点が唐突に線で繋がった。
ま、まさか日向さん……。
未菜瀬は導き出された真実に言葉を失う。
そうだ。きっと自分は根本的な勘違いをしていたのだ。未菜瀬は日向がずっと歪んだ性癖を持つ一二巳から強要されて、こんな姿をしていると思っていた。が、それが彼女の根本的な勘違いだった。
あの本は一二巳の所有物ではなく、日向の所有物なのだ。
考えてみればそうだ。あの本は料理本の中に隠されていた。きっとあの料理本は日向の物に違いない。それに仮に一二巳が変態でその変態性を日向に強要しているのであれば、わざわざ漫画を隠す必要なんてない。
あの漫画は一二巳にバレないように料理本の中に隠しているのだ。ということは本当に変態なのは一二巳ではない。日向の方なのだ。
ひ、日向さんはずっと自分の本当の気持ちを胸に秘めて生きてこられたのですわ……。
きっと彼女は未菜瀬が自分の気持ちを受け入れてくれると信じていたのだろう。誰にも言えない、ましてや熊谷家の御曹司になんて口が裂けても言えない彼女の気持ち。
申し訳ありませんわ日向さん。私、そんなことにも気づかずに日向さんの幼馴染だなんて名乗っていましたのね?
「日向さんっ!!」
未菜瀬は彼女の名を呼んだ。日向はその決意に満ちた未菜瀬の声に動揺しているようだった。
「ど、どうしたの?」
「私のことをあの漫画ようにしていただいて構いませんわっ!!」
「え? ど、どういうことっ!?」
「私の決意が固いということを日向さんに知っていただきたいですわっ!!」
「だ、だけど、あの漫画は……」
「私、本当はああいうのに憧れておりましたの。だから、むしろ嬉しいぐらいですわ」
これは未菜瀬なりの優しい嘘だった。きっとこれなら日向だって心置きなくやれるだとうという彼女の精いっぱいの配慮だった。
そんな未菜瀬の言葉に日向は「そ、そうだったのっ!?」と面食らっているようだった。が、それでも未菜瀬は日向を見つめると、彼女は「わ、わかった……」と答えた。
そして、
「じゃあ私も本気でいくね」
と言って「ふぅ……」と深く息を吐くと未菜瀬を冷めきった目で見下ろした。そして、ポケットに手を入れると何かを取り出す。
「こ、これはなんですの?」
彼女が手に持っていたのは猫の首輪のような道具だった。が、首輪とは違い、ベルトの真ん中には穴の開いたボールのようなものが取り付けられている。
「見てわかりませんか? 猿ぐつわですよ」
「さ、さる……ですの?」
「白々しいですね。本当は知っているくせに」
と、彼女は唾でも吐きかけそうな声でそう言うと、そのベルトを未菜瀬の頭に回す。そして、ボールの部分が彼女の口にすっぽりと入るようにベルトをきゅっと締めると、彼女は口を閉じることができなくなった。
「ふ、ふがっ!! ふがっ!!」
な、なんですのこの道具はっ!! 上手くお話ができませんわっ!!
必死に何かを話そうとすると、口の中の唾液が玉に持っていかれてしまい、よだれが口から垂れてくる。
は、恥ずかしいですわ。こんな姿、見ないでくださいませっ!!
と、彼女は日向に目で訴えるが、日向は未菜瀬を相変わらず冷めきった目で見つめるだけだ。そんな日向を見ているうちに未菜瀬はふと思う。
な、なんだか恥ずかしい姿をじろじろと見られると……頭がぼーっとしてきますわ……。
未菜瀬は羞恥心の中になんとも形容しがたい新しい感情が芽生え始めていることに気がつく。
この感情はダメですわ……恥ずかしいのに……私、なんだか変な気持ちになりますわ……。
「もしかしてお嬢様、喜んでおられるのですか?」
「ふがっ!! ふがっ!!」
「いいんですよ? 私とお嬢様は幼馴染ですし、私に全てをさらけ出していただいても、嫌いになったりしませんよ?」
そう言って日向は無表情のまま首を傾げた。
そんなことを言われてしまうと未菜瀬は、全てを日向にさらけ出してもいいような気がしまう。
「ふ、ふがっ……(日向さん……)」
未菜瀬の気持ちが日向に本気で傾きそうになった……その時だった。
不意にガチャリとドアの開くような音がしたので、未菜瀬は慌ててドアを見やった。
そこには彼女のクラスメイトにして熊谷家の御曹司、熊谷一二巳の姿があった。
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