第3話 突然の崖っぷち

 なんというか学校での柊木日向さまは天使であらせられた。学校内での彼女は家では見たこともないような天使のような笑みを終始お浮かべになられ、男女問わずクラスメイト虜にしていた。休み時間のたびにクラスカーストを駆け上がっていく彼女を、クラスカースト中の下の俺は指を咥えて眺めていることしかできなかった。


 本当ならばすぐにでも彼女に事情を聞きたかったが、当然ながら俺は家にメイドがいることなんて誰にも話していないし、彼女もクラスメイト達に俺と知り合いであることを伏せていた。だからクラスカーストの頂に立つ彼女に迂闊に声がかけられなかったのだ。


 それでも昼休みに彼女が一人になった瞬間を見計らって、なんとか彼女を体育館裏に呼び出すことができた。


 のだが、体育館裏へとやってきた彼女はさっきまでの天使の微笑が嘘のような冷めきった表情を浮かべている。


「ご主人様、試しに今ここで悲鳴を上げてみてもいいですか?」

「なんでいいと思ったんだよ。あと、それをやったら俺はここを退学になって、お前も職を失うことになるぞ」


 どうやら彼女は俺と二人のときは一切、愛想を振りまくつもりはないらしい。そんな彼女を見て少し安心している自分がいるのが腹立たしい。


「ところで、ご用はなんですか? できればご主人様のような地味な生徒と二人きりでいるところを見られたくないのですが……」

「悪かったな。どうせ俺は学校では地味だよ」

「学校では……ですか?」

「学校でもだよっ!! しまいには泣くぞ……」


 と、いつものように俺をイジメる姿勢の彼女。


 が、いつものメイド服姿ではなく制服姿なのが少し新鮮だ。


 ブレザーの胸元には彼女が二年生であることを示す赤いリボンがついており、膝上丈のプリーツスカートからはストッキングに覆われた脚が伸びている。彼女は転校初日にして制服を完全に着こなしてやがる。



 中身が腹黒なのはわかっていても、思わず見惚れてしまうのが何とも悔しい。


「そんなに私が可愛いですか?」


 と、そこで彼女が恥ずかしげもなく、そんなことを言うので思わず顔が熱くなる。どうやら彼女には俺の心がお見通しのようだ。


「別にご覧になられても構いませんよ。メイドと主人という立場をご利用になられて、命令に背くことのできない私を、卑猥な目で嘗め回すようにご覧になってください」

「お前の目に俺はどう映ってるんだよ……」

「私と同棲したせいでメイド属性がついてしまい、はけ口としてメイドモノの卑猥な漫画を読み漁り、挙句の果てには私のいぬまに――」

「すみません。全面的に私が悪かったことを認めますので、それ以上はおやめください……」


 だめだ。口論でこいつに勝てる気がしねえ……。


「ところでご用はなんですか?」

「そ、そうだ。どうして、お前が俺の高校に転校してきたのかを知りたい」


 と、紆余曲折あったが、なんとか一番尋ねたかった質問を彼女に投げかけた。


「ご当主様からのご命令です」

「ご当主様? あ、ああ親父のことか」

「はい、ご当主様から私も学校へと通い、ご主人様を陰ながらサポートするように命じられました。そのため、これまで通っていた通信制高校を辞め、こちらの高校へと転校してまいりました」


 そこで俺は初めて彼女が通信制高校に通っていたことを知った。どうやら彼女は俺の知らないうちに課題やらなんやらをこなしていたようだ。性格は最悪だがメイドとしての彼女はかなり要領がいいのだ。悔しいけどそれは認める。


「それにしても……高校生活というものは少々面倒なものですね……」


 と、そこで日向は胸元が苦しいのか胸元のリボンを緩めると、少し気だるそうに俺から視線を逸らす。


「ご友人の少ないご主人様にはわからないかもしれませんが、愛想をよくして周りの生徒と仲良くするのは面倒なものです」

「気持ちはわからんでもないが、最初の一言は余計だぞ」


 そう答えると日向は少し驚いたように目を見開く。


「ご友人の少ないご主人様にも、私の気持ちがわかるのですか?」

「いや、だから最初の一言が余計だって言ってんだろ……」

「申し訳ありません。私、何か誤ったこと申し上げてしまったでしょうか?」

「誤ってないから腹が立つんだよ」


 徹頭徹尾正論なんだよっ!! だけど、その現実を受け止めるのにもう少し時間が欲しい。


「実はご当主様からもう一つ、命じられていることがあります」


 俺が泣きそうになっていると、日向はそう言って不意に俺に近寄ると俺の顔を見上げた。


「実はご当主様から、ご主人様にもう少し社交性が身につくようサポートしろと命じられています」

「社交性? そんなものが俺に身につくとでも思ってるのか?」

「いえ、まったく」

「でしょうね……」


 自慢ではないが、俺は社交性のなさには少々自信がある。幼い頃から俺は人見知りで、親父に連れていかれたパーティでもいつも母の背中に隠れて、同じ年の子どもたちとの会話に参加しようとはしなかった。今でこそ、同性の友人であれば最低限の付き合いはできるようになったが、それでも相対的に見ればかなり人付き合いは苦手な方だ。


 そして、そのことを親父は以前から口酸っぱく俺に指摘してきた。親父曰く大人の世界は人付き合いというものが一番大切らしい。


 いかにも親父が命じそうなことだ。


「ご当主様のお考えでは高校生活の間に一人や二人の交際相手を作り、異性とも積極的にお付き合いできるお方におなりになって欲しいとのことです」

「それはさすがに無理だな」

「そうですか。もしも今年中に交際相手を見つけることができなかった場合は、ご主人様が三年生にご進学されると同時にご実家に戻され、ご当主様ご指定の高校に転入されることになっております」

「はあっ!?」


 なんだよそれっ!!


 俺は寝耳に水のその言葉に目を丸くする。


「お、おい、親父がそんなこと言ってたのか?」

「はい、ご当主様はご主人様の童貞くささ――いえ、社交性のなさをひどく憂慮されております」

「ふざけんな。今年中に彼女を作れだとっ!? そんなことできるわけないじゃねえかよ」


 さっきも言ったように俺に社交性なんてものはない。できたところで男友達を一人か二人作るのが関の山だ。そんな俺に彼女なんて作れるわけがない。


 その無理難題に焦る俺。が、そこで俺はようやく親父がわざわざ同い年のメイドを寄越した理由を理解した。どうやら日向と一緒に生活して、少しでも異性と接することになれろということらしい。


「私が他のご学友の前でニコニコしているのもそれが理由です。私がご主人様と他の女子生徒との懸け橋になれればと考えております」

「いや、それにしたって……」


 いくら日向が他の女子と仲良くなったところで、俺自身に社交性がなければ、女子と仲良くなんてなれっこない。無理やり輪に入ったところで惨めになって終わりだ。


 俺は思わず頭を抱える。すると日向は彼女には珍しく俺の背中を摩ると俺の顔を覗き込んだ。


「ご主人様、交際相手の一人や二人ぐらい簡単にできます」

「おうおう、ずいぶんと簡単に言ってくれるな」


 見た目のいい日向ならまだしも、俺はお世辞にも見た目がいいとは言えない。おまけに社交性のない俺がどうやって彼女なんて作るというんだ?


「ご主人様には強い武器があるじゃないですか?」

「武器? なんだよ」

「いざとなったら適当な女子生徒を押し倒して、そのあと札束を握らせればいいんです」

「俺はそういう大人になりたくないから、この高校に進学したんだよ……」


 かくして俺の平穏な高校生活は一気に崖っぷちに追いやられることとなった。

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