⑶叱咤激励
魔法界の中心部に位置する王都は、政治や経済の中枢である。凡ゆる物資の集結する都は宝箱のようでありながらも、堅牢な檻にも見えた。
革命戦争の終結後から、王都は死んだように静まり返っている。確然としたヒエラルキーを形成する魔法界の富裕層は、労働者の利益を
物流の盛んであっただろう美しい都は見る影も無い。昴は、閑古鳥の鳴く虚しい街並みをぼんやりと見下ろしていた。
王宮ーー、嘗ては昴の生家である。
女中も士官も沈痛な面持ちで作業的に労働し、廻廊は深い諦念に染まっている。染み一つ無い白い壁がやけに虚しく、主人の不在を嘆いているようだった。
魔法界の王、支配者、最高権力者。レグルスは牢獄の中にいる。投獄されたのではなく、自ら牢へ入ったのだ。
革命戦争の責任は誰かが取らなければならない。例え、彼自身に何の非が無く、優れた人格者であり、賢王であったとしても。
罪人を裁くのは王の責務である。ならば、その王が罪人となった場合、誰が裁くのだろう。
相談と多数決を信念にしていたあの子供ならば、早急に裁判の用意をしたのだろう。しかし、昴は、明らかに情状酌量の余地のあるレグルスの生死を多数決で決めることに抵抗を覚えていた。
最高裁であるレグルスがいなければ、次席の者が立つしかない。しかし、革命が起きた以上、それまでの支配階級は覆り、誰が其処へ立つのか人々は決め兼ねていた。
白羽の矢が立ったのは、犠牲の魔法使いである昴だった。本来、犠牲の魔法こそが王冠に成り代るものであった。王家にも革命軍にも属さない昴にしか出来ない。
突然、大舞台に立たされた心地で、昴は動転を超えて穏やかな心地であった。今までの出来事を冷静に振り返る余裕すらある。そして、昴個人の意思としては、レグルスも革命軍も許して終わりにしたかった。
復讐や革命を望んだ訳ではない。これ以上の責任追及は最早無意味だ。
湊に似てる。
牢獄から出て来ないレグルスを指して、ウルが言っていた。曰く、賢い癖に進んで
彼等は、やることがあると言って何処かへ行ってしまった。少し前なら断固として阻止したが、既視感のある彼等の強い目を見てから、不要な心配だと悟った。
ヒーローは、生きていたのだろう。
会いたいと強く思う。助言を仰ぎ、当てにするつもりは無いが、顔を見て安心したかった。
ウルは何も言わなかった。
昴が決めることだと一点張りで、何かを問い掛けようとすると雲隠れしてしまう。
ロキは相変わらず黙って様子を伺っているばかりだ。
「ちんたらしてると、無駄な血が流れるぜ」
ロキが言った。
革命によって齎されたのは平和ではなかった。それまで秩序を保って来た王家が転覆したことで、各地では略奪や強盗が頻発している。しかも、その大多数が大義名分を失い、血に飢えた革命軍の残党である。指揮者を失った王の軍勢は動けず、魔法界は混迷を極めていた。
「レグルスと話したい」
やはり、魔法界には彼が必要だ。
王の軍勢はレグルスの生命と尊厳を守る為に活動しているが、本人にその意思が無い以上は無駄なことだった。
レグルスの意思を変えられるか?
革命が成立してもなお、彼が玉座に座ることを民は受け入れるか?
今のレグルスは誰の意見も聞き入れない。彼が心を開くとしたら、それはあの子たちしかいない。
締め切っていた部屋を出て、地下牢へ向かう。
途中、すれ違った大臣は死人のような顔で目も向けなかった。
昴は早足に回廊を進んだ。斜め後ろを付いて来るロキは、いつもの飄々とした態度を崩さない。
「湊と航は?」
「ガキを当てにしてんじゃねーよ」
昴は返す言葉が無かった。
未来の展望が希薄だった為に、いざという時に何も出来ない。この計画性の無さはヒーロー譲りだと、自嘲した。
地下牢へ向かう途中、格子窓越しに中庭が見えた。
緑の絨毯は無粋に踏み
兎に角、レグルスに会わなければ。
使命感に駆られて階段を駆け下りる。重く湿った空気が肺を満たし、気圧の為か耳鳴りがした。
「来たぞ」
唐突にロキが言った。
数瞬と経たない内に床へ転移魔法陣が描かれた。蕾が花開くように仄かな光を放ち、二人の子供が出現する。
湊と航だ。
昴が何かを問うより早く、航が状況を詰問した。
陽の光の届かない地下階段の踊り場で、昴は知り得る限りの情報を伝えた。見る見る内に航の眉間には
叱責も覚悟の上で、昴は助けを求めた。
「どうしたら良いのか分からないんだ」
「それは、やることが沢山あり過ぎて、何から手を付けたら良いか分からないって意味?」
何も感じてないような顔で、湊が言った。
「やることは沢山あるだろ。王家に代わる政権体制を立てなきゃ。法律を変えることになるんだから、専門家を集めて話し合うべきだし、民主化するなら民選議員を選出しないといけないし、中庭の王の軍勢もどうにかしなきゃ」
「待て、湊。そっちは俺がやる」
湊を制して、航が言った。
それを聞いた湊は頷いて、地上への階段を駆け上がって行った。
残された航は、苛立ちを隠しもせずに貧乏揺すりをしている。湊が何処に行ったのかも気になるが、目の前の航が怖い。
航は深く息を吐いた。
「ウルは何処行ったんだ?」
「分からない」
「お前は何してたの?」
「……」
答えられずにいると、航は再び溜息を吐いた。
「議会を開くにしても人がいないんだろ。王の軍勢は纏まらないし、各地の治安は悪化してる」
航はつまらなそうに天井を眺めて、なあ、と言った。
「昴は、レグルスのこと、憎んでるか?」
昴は素直に首を振った。
過去に起きたことは覚えているが、もう終わったことだ。
「現時点、レグルスを超えるリーダーはいねぇ。この混乱はレグルスにしか纏められない」
「僕に白羽の矢が立ってるんだけど」
「トチ狂ってんな」
航は口汚く吐き捨てた。
酷い言い様だが、反論も無い。
航は切り替えるように空咳を零した。
「さっさとレグルスを地下牢から引っ張り出して、この騒ぎを収めるぞ」
そう言って航は背を向けた。
昴は其処にいつか見たヒーローと透明人間の姿を重ね見て、泣きたいような、縋りたいような胸の痛みを覚えていた。
20.ジャイアントキリング
⑶叱咤激励
階段を下り切った先、堅牢な鉄格子が現れた。壁は冷たい石に囲まれ、武装した兵士が物々しい警備を行なっている。
最奥の牢、扉は開け放されていた。簡素なベッドに腰掛ける青年は、囚人には見えぬ凛とした佇まいで背筋を伸ばしている。
航は鉄格子を掴むと、恫喝するような低い声で呼び掛けた。
「レグルス」
牢獄の主人は、藍色の瞳で一瞥すると、最期の時を迎えた死刑囚のように項垂れた。
此処が地下牢であることも忘れる程に、彼からは凄まじい威圧感が放たれている。これが魔法でないのなら、それは正しく王者の風格だ。
「こんなところでいじけてないで、さっさと出て来い」
流石、航だ。
魔法界の王、レグルスに対してこんなことを言えるのは、人間界を含めたって航しかいない。
レグルスは仮面のような無表情だった。
「革命は成った。王家は終わったのだ。誰かが責任を取らなければならない」
「マジで頭固いな。湊かよ」
具体的な意味としては、融通の利かない偏屈者を指す。
航は開け放されたままの扉を潜ると、レグルスの正面に立った。自然と見下ろす形で、航は言った。
「上で何が起きてるか知ってるか。あんたに戻って来て欲しいって、王の軍勢が一大運動を起こしてるよ。お蔭で、各地の治安維持の為の人員不足で、みんなが苦しんでる」
「……」
「次に何が起こるか分かるか。頭を失くした群衆は、偶像を崇拝するようになる。一人一人は悪い奴じゃねぇかも知れないが、集団になると制御が利かなくなる。戦乱は終わらない」
こういう役回りは湊の専門だと思っていたが、航を
「前に言っただろ。トップの無能はそれだけで罪だ」
「だが、俺はもう王ではない」
「王でも人でも何でも良いよ。でも、あんたは求められてんだ。望まれている以上、応えなきゃならねぇ」
非情な言葉だ。
航はレグルスに、
「責任の取り方は一つじゃないだろ。この革命の本質は古臭い支配体制の転換で、あんたの処刑じゃない。世界が求めてんのは公平な政治だよ」
「詭弁だな」
「事実だ。革命戦争を停戦させたのは、俺や湊や昴でもなく、アンタだろ。やるなら最後までやり切れ」
そうだ。
革命戦争を止めたのは、レグルスの号令だった。
レグルスの胡乱な瞳に、微かな光が宿るのが見えた。
地上から聞こえる王権復古の大号令が、まるで遠くで聞こえる雷鳴のようだ。
航は足元を睨み付け、苦渋に満ちた声で言った。
「ーーあの停戦の日、アンタは部下を庇って前線に出ただろ」
唐突な話題の転換に、レグルスは面食らっていた。
しかし、航は構わず続けた。
「俺は、他人の為になんて命を危険に晒せない。絶対に立ち止まるし、躊躇する。でも、あんたは迷いも怯えもせずに躍り出た。馬鹿だと思ったし、無謀だと思ったよ。だけど、アンタはそれが出来る人だ」
「……」
「俺の兄貴に似てるよ、アンタ。頭は回る癖に、無駄に責任感が強くて、貧乏籤ばっかり引く」
レグルスは湊に似ている。
勇猛と無謀は違うけれど、それでも、誰かの為に一瞬の躊躇も無く命を晒せる人間は強いと思う。
航はレグルスの胸倉を掴み掛かった。
憲兵が動揺して食って掛かるが、彼は止まらなかった。騒がしい牢獄がまるで別の世界のようだ。
鼻が着きそうな程の近距離で、航が鋭く言った。
「全部を一人でやろうとすんなよ。仲間や部下を信じてみろ。それが最善なのか独善なのか、よく考えろ」
これは航なりの叱咤激励なのだろう。
昴は、いつかの四大精霊会議の時のように、拍手を送りたかった。この小さな少年の成長と、真っ直ぐな意思の強さが何よりも嬉しかった。
彼の言葉には、湊とは異なる熱がある。
それは前も見えない暗闇の中、先陣を切って走って行くような心強さを持っていた。
無計画で見切り発車で浅慮で無謀でありながら、彼にはいつも折れない芯がある。
航はレグルスを突き放すと、苛立った顔で踵を返した。そのまま弾丸のように牢獄の外へ出て行くので、昴は追い縋るのに精一杯だった。自分達が背中を向けた先でレグルスがどんな顔をしていたのか確認すらしなかった。
勢いよく階段を駆け上がる航は呼吸一つ乱さない。地上からの光に目が眩むが、航は迷いの無い足取りで歩き出していた。
「今度は何処に行くんだ!」
すっかり息の上がった昴が声を上げると、航は
「湊のところだよ」
「湊は?」
「書庫に行った。確認したいことがあるんだってさ」
「何なんだよ、それ」
知らねぇ。
航は舌打ちを漏らした。
「分かんねぇけど、湊は意味の無いことはしねぇ。あいつがやるって言うなら、それは必要なことなんだよ」
口は悪いが、其処には確かな信頼がある。
航はいつもそうだった。無鉄砲で他人の意見に耳を貸さないように見えるのに、信じた相手には驚くくらい素直だ。
他人の為に命を危険に晒せるか。いざという時に引き金を引く覚悟があるか。彼等はもう駄目だと思った時に一歩を踏み出す力がある。それが昴には眩しく見えた。
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