19.神様はサイコロを振らない
⑴答え合わせ
魔法界の果てにある永遠の虚無。
ブラックホールに似た重力の塊。
魔法界と人間界の時間経過の違いや、身体能力の差異はこの超巨大な重力の影響である。これを科学的に解明することが出来るなら、凡ゆる事象は操作可能である。
湊がつらつらと語る大半は聞き流していた。
航は初めて見る巨大なエネルギーを呆然と眺めていた。それは最早、人知を超えた神の領域なのではないだろうか。
このエネルギーを利用することで、或る程度の時間を調整出来る。つまり、以前の自分たちのように、浦島太郎にはならずに済むということだ。
湊は相談をしない。殆どの結論は自分の中で帰結する。不測の事態に自分一人が責任を負う為に。
異世界を渡る為にはエレメントを召喚する必要がある。二人はウルの転移魔法によってウンディーネの泉へ行き、精霊界へ渡った。
考える時間が欲しかったのだ。気を落ち着けて、腹を割って話せるような時間と場所を求めていた。
精霊界は相変わらず静かで美しく、退屈だった。此処には争いも無いけれど、何も無い。
ウンディーネに出迎えられ、二人は応接間で着替えを済ませた。
「情報を共有しよう」
湊の提案に、航は頷いた。
思えば、二人でゆっくり話すのは久しぶりだった。産まれる前から一緒にいた。互いの考えなんて分かり切っている。それでも、言葉にしなければ伝わらない。
「ジェミニの街で、貴族の非道なゲームに巻き込まれただろ」
「ああ」
「俺、あの時、人を殺したんだ」
それは懺悔だった。
今にも消えそうな声で湊は続けた。
「自分やプロプスを守るには、それしか無かった。俺は最善を尽くしたつもりだった。でも、本当はもっと別の方法があったのかも知れない。隠れて遣り過ごして、助けを求めることも出来た。でも、しなかった」
「そうか……」
仕方の無い状況だった。でも、それは褒められる遣り方ではない。
レオの村で集団自決に巻き込まれた時もそうだった。
項垂れる湊に、航は言った。
「俺も、一人殺した」
瞼の裏に浮かぶのは、紫色の美しい瞳をした子供だった。レオの村で過酷な異端者審問を受け、自分の名前も言葉も知らず、革命軍の手先となって立ち塞がった。
「俺だって、最善を尽くしたつもりだったよ。でも、もしかしたら、他の方法があったのかもな」
それが後悔と呼ばれる感情なのかも知れない。
最期の時、アルデバランは柔らかに微笑んだ。きっと、悪人ではなかった。
分かり合えた。ーーあんな場所でなければ、友達になれたかも知れない。
室内は沈黙に包まれた。
居た堪れない苦痛な静寂だった。
湊は思い出したかのように顔を上げた。
「タウラスの街で、ノームのお爺さんが力を貸してくれたよ」
ノーム。あの偏屈なエレメントか。
航はぼんやりと頷いた。
「俺も、サラマンダーが力を貸してくれた」
エレメントは敵じゃない。ーーいや、この考え方すら、おかしいのかも知れない。
航は不意にそんなことを思った。自分たちは何か根本的なことを見落としている。そんな気がした。
「親父って、本当に死んだのかな」
「分かんねぇ」
航は正直に答えた。
生きていて欲しい。今はそう願うしかない。けれど、死んだという確証が無いように、生きているという証拠も無いのだ。
湊が言った。
「予定調和だったのかな」
「何が」
「俺たちって、親父が死んでないと信じてただろ」
そういえば、自分たちは龍を探しに出掛けたのだ。
親父が死んだなんて認めない。そう祈るしかなかった。
「それがいつの間にか、死んだって思い込んでいた。ーー何でだっけ」
頭が痛い。
拍動に合わせて、じくじくと痛む。
何故だ。どうして。何処からおかしくなった?
始まりは、そうーーシリウスの一言だった。
死んだ親父を生き返らせたくないかい。湊も航もその甘美な誘いに乗ってしまった。
それなら、これはシリウスの掌の上なのか?
自分たちはシリウスの策略に踊らされていた?
何故だ。
シリウスの狙いは何なんだ。俺たちを巻き込むことに何の意味がある。
「もしかして、これを恐れていたのかな」
「これ?」
「親父が生きているかも知れないって、俺たちに思わせること」
「其処にどんな意味があるんだよ」
「俺たちが思い込んでいれば、昴もそれを信じる。昴は犠牲の魔法を使うことを躊躇っていた。その考え方を変えられる可能性があった」
「分かんねぇ」
つまりさ。
湊は勿体振るように空咳をした。
「シリウスの目的は初めから昴の犠牲の魔法なんだよ。その為には親父の存在が邪魔だった」
「なんで親父が関係あるんだよ」
「昴は親父を信じてた。それこそ、神様みたいに」
そうか。
航は理解した。
親父の存在が昴の精神を繋ぎ留めた。でも、死んだなら、後は転がり落ちるだけだ。
精神のバランスを崩した者は、御し易い。シリウスは昴を操り、犠牲の魔法を使い、何か想像も付かないことをしようとしている。
「でも、昴は俺たちに出逢っても、犠牲の魔法に否定的だった」
「親父の息子だったからだろ」
「俺が思う最悪のシナリオは、俺たちが死ぬことだった」
湊の声は冷たく乾いていた。
「俺たちが死ねば、昴は犠牲の魔法を使っただろう。精神的に追い込まれた昴を操ることは、容易い。犯人を王家に仕立て上げれば良いんだ」
「それで、俺たちは分断されたのか」
「でも、イレギュラーが起きた。ノームとサラマンダーが力を貸したこと、俺が反魔法陣を扱ったこと、そして、俺たちは死ななかった」
あの時、シリウスは本当に自分たちを殺すつもりだったのだ。しかも、自ら手を下すのではなく、王の軍勢であるかのように仕立て上げ、昴を復讐者にしようとした。その為の乱戦だった。
「昴の精神世界に親父が現れたことはよく分からない。でも、昔、プラトンという哲学者はイデア界というものを提唱した。人々は知識で繋がっている」
「親父と昴はイデア界で再会したって?」
何処のファンタジーだ。
航が笑うと、湊も困ったように微笑んだ。
「分からないことが多過ぎて、頭がパンクしそうだ。こういうこと考えるのは、湊の方が得意だろ」
「いや、今の俺は冷静じゃないかも知れない」
湊が弱音を口にするのは珍しい。
ふと目を向けると、すっかり着替えを終えた湊が小難しい顔をしていた。
「まあいいさ。人間界に行けば分かることだ」
湊は吹っ切れたように笑った。流石に空元気だと分かる。航はシャツに腕を通しながら、問い掛けた。
「人間界に戻った後、どうやって探すんだよ」
「これさ」
湊が見せたのは、あのネックレスだった。
魔力を付与してもらったらしい。空間を転移したり、炎を操ったりする魔法があるくらいだ。人探しくらい朝飯前なのだろう。
悪戯っ子みたいに笑う兄が、随分と懐かしく見えた。
冷静じゃないかも知れない。昴は子供だから仕方無いんだと諭して来たが、本来、湊は理性的だ。冷静な判断が出来ない程に追い詰められていたのかも知れない。側にいたのに、気付けなかった。きっと、自分も冷静じゃないのだろう。
今は兎に角、母に会いたい。
酷く叱られるだろうが、甘んじて受けよう。
全ての答え合わせは、それからだ。
19.神様はサイコロを振らない
⑴答え合わせ
かちこち、かちこち。
秒針が歩いて行く。静まり返った家の中、二人がいたのは風呂場だった。
異世界転移の為に二人は風呂場でウンディーネを召喚した。もしかすると時間経過はずれていないどころか、あの日から変わっていないのではないか。
そんな希望を持ちながら、カレンダーを捲った。
季節は秋だった。
深夜の家屋は肌寒く、フローリングの冷たさに驚いた。センサーが作動し、辺りが暖色に包まれる。
嗅ぎ慣れた我が家の匂いが、酷く懐かしい。
「誰?」
明かりに気付いたのか、二階から降りて来る足音が聞こえた。母の声だった。
詐欺なのではないかと思うくらい若作りなので、時間経過に実感が湧かない。カレンダー通りならば、自分たちは三ヶ月、家を空けていたことになる。
怒鳴られるかな、泣かれるかな。
二人が覚悟を決めていると、母は呆れたように肩を落とした。
「今度は三ヶ月だったか」
おかえり。
それだけを言って、母はリビングの暖炉に火を点けた。
肩透かしを食らったような心地で、二人は顔を見合わせた。叱られもしないというのは、少々気味が悪い。
リビングには南瓜のリゾットが用意された。
久しぶりの母の手料理だ。何故だか涙が出そうだった。母は頬杖を突いて眺めていたかと思うと、唐突に言った。
「それで、何があったの?」
二人は答えに迷った。
自分たちの身の周りに起きたことを上手く説明出来る自信が無い。魔法界だなんて信じないだろうし、ましてや、父が生きているかも知れないだなんて不確定な情報を言えるはずも無い。
二人の沈黙をどのように受け止めたのかは分からないが、母は大きな溜息を吐いて、皿の後片付けを始めた。
「訊かないの? 怒ってないの?」
カウンターキッチンの向こうで、母は食器を洗う手を止めて、うんざりしたように言った。
「家出は蜂谷家の男の病気でしょ。もう慣れたわよ」
なんと逞しい母だろう。
二人は感動した。けれど、母は目を釣り上げた。
「でもね、心配してたんだから」
釘を刺すように睨め付けて、母は欠伸をしながら寝室へ戻って行った。
二人は暫し呆然としていたが、何故だか無性に可笑しくなって、声を殺して笑っていた。
ベッドは綺麗に整えられていた。
いつ帰って来ても良いように、準備してくれていたのだ。当たり前のように用意されている自分たちの居場所を眺め、母へ心から感謝した。
懐かしい家の匂いと温かい布団。気付くと、二人は泥のように眠っていた。
目を覚ました時、香ばしい匂いがした。
母が朝食を用意してくれたのだろう。誘われるようにリビングへ行くと、誰かの誕生日かと思う程の御馳走が並べられていた。
本当に、心配を掛けたのだろう。
朝食を取っていると、呼び鈴が鳴った。それすらも懐かしい。やって来たのは葵くんだった。
少し痩せたような気がする。
「やっと帰って来たのか、この悪ガキ共」
二人に一つずつ拳骨を落とし、葵くんは笑っていた。
あの頃のままだ。ーー此処に、父さえいれば。
壁に掛けられた写真には、生前の父の笑顔があった。まさか、紛争地で焼死するだなんて、夢にも思っていなかっただろう。
朝食を平らげ、二人は自室へ篭った。
湊が人探しの魔法陣を描いている間、退屈だった。
その時、ノックもせずに扉が開けられた。
葵くんが立っていた。
三人分の麦茶を持って、持て成すどころか居座るつもりだ。航は湊を見遣ったが、既に集中状態に入っている湊には何も聞こえていない。
「お前等、三ヶ月も何してたの? 捜索依頼を出すか悩んだんだぜ」
「心配掛けたのは、悪かったよ」
「だからさーー」
葵くんが何かを言おうとした時、湊の手元の魔法陣が光った。人探しの魔法は発動したらしい。
白い光を浴びながら、葵くんが怪訝に眉を寄せる。
「何なんだよ、それ」
「魔法だよ」
此処まで来て、知らぬ存ぜぬでは躱せない。
怪訝に眉を寄せる葵くんを前に、航は意を決して答えた。
「親父が生きているかも知れない」
「はあ? 和輝は死んだんだよ。葬儀も済ませて、遺骨は墓の中だ」
「でもねーー」
湊が魔法陣を指差した。
父の形見であるネックレスを掲げると、魔法陣にはレーダーのような赤い点が浮かんでいる。
「これは人探しの魔法なんだ。反応がある。多分、誤作動じゃない」
「つまり?」
「親父は生きてる」
赤く光る点が妙に目を引く。
探し人は此処にいる。親切な魔法だ。こんなことならもっと早く試せば良かった。
葵くんは納得したようではなかったが、本棚から地図を引っ張り出して広げた。赤い点は丁度、中東の紛争地帯であった。これでは、生きているのか死んでいるのかも分からない。
葵くんは溜息を吐いた。
「五年前だぞ?」
「其処は今、廃墟になってる。これが親父の遺体を指し示しているのか、そうではないのかも分からない」
二人の考えは決まっていた。
葵くんは再び大きく溜息を吐いて、頭を抱えた。
「どうせ、納得しなけりゃ、二人でどうにかしようとするんだろ。ーー良いぜ、俺が保護者として引率してやる」
もしも和輝が生きていたなら、言ってやりたいこともあるからな。
そう言った葵くんは、犯罪者も真っ青になるような凶悪な笑みを浮かべていた。
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