⑶イデオロギー

 四人でカジノを出た。

 ゲートを潜った瞬間、ウルのまやかしの魔法が解けて、ドレスコードは消え失せた。其処等で雑魚寝でも出来そうな見窄みすぼらしい服装だ。昴は自分の姿を見て溜息を吐いた。


 街を彩る毒々しい光は、濡れたアスファルトのような街路に眩しく反射している。寄せては返す波のように人が交錯し、溺れてしまいそうだった。


 湊の活躍によって貨幣を手に入れたので、折角だからと普段なら避けるような高い宿を選んだ。

 魔法界の食事が不味いと文句を言う航は、食材と調理場の付いている部屋を要求した。


 航は手際良く青椒肉絲チンジャオロースと中華スープもどきを作った。魔法界の食事は空腹を満たす為だけに存在している為、総じて味が淡白である。航の料理を横から見ていた調理人は、初めは嘲笑うように口角を釣り上げていたが、完成し、味見してみると、顔面を喜色に染めて白旗を振った。


 四人でテーブルを囲み、夕食を取る。

 ウルと湊は先程の受付嬢について真剣に討議していた。カプリコーンでの一件以来、元気の無かったウルが笑っているのは嬉しい。昴は彼の話し相手になれなかったと思うし、空元気であっても、笑わせることは出来なかっただろう。


 湊と航は、胃袋がブラックホールにでも繋がっているのか、側から見ていると食欲が失せる程の量をぺろりと平らげた。成長期と言って、成長の為に必要な栄養を摂取する時期なのだそうだ。それにしても食べ過ぎだと思うが、二人が行儀良く食事している様は微笑ましい。


 夕食を終えると、湊と航は片付けまできっちりと済ませて部屋へ篭った。昴とウルがだらだらと微睡み始めた頃になって運動着に着替え、ジョギングに行くと言い出した。


 湊が言うには、魔法界は人間界に比べて重力の影響が少ない。だから、普通に生活しているだけでは筋力が弱り、人間界へ戻った時に大変なことになるそうだ。


 其処等の魔法使いより、彼等の方が強いだろう。

 二人揃ってどうにかなるとは思えないが、子供だけで夜の街へ出して良いのか。彼等の体力に付き合える自信も無いが、昴は付いて行こうと腰を浮かせた。


 しかし、既に其処に二人の姿は無かった。

 置いてけぼりを食らった昴は、浮かせた腰をすごすごと下ろした。


 なんて勝手な奴等なんだ。

 理不尽な怒りを抱きながら、昴は貧乏揺すりしていた。


 唐突に、ウルが言った。




「あいつ等ってさ、なんで魔法界に戻って来たんだ?」




 ウルは何でも無い世間話の態を取りながら、白湯さゆを啜っている。カップから柔らかな湯気が立ち昇り、ウルの姿を隠してしまう。

 ウルは続けた。




「悪い奴等じゃねぇってことは知ってる。でも、目的が分からねぇ。前と同じように、犠牲の魔法を目的としてるのなら、遅かれ早かれ方向性の違いから衝突するだろうぜ」

「……」

「俺の経験から言うなら、湊みてぇのは絶対に信用しちゃいけない人間だ。目的の為なら笑顔で刃を振り下ろせる人間だ。ふところに入れれば、内側からじわじわ侵食される」

「酷いな」

「航だってそうさ。スコーピオのトーナメントで、革命軍から勧誘を受けていた」




 初めて聞く情報だ。

 航が、革命軍に勧誘?


 だが、分かるような気もする。あの頃の航は苛烈な性格から、周囲を常に威嚇し、子供らしかぬ攻撃性ばかりが目に付いた。情緒不安定だった彼を利用しようと思えば、勧誘するのは赤子の手を捻るより容易かっただろう。




「でも、航は断ったんだ?」

「ああ。王家も革命軍も、頭が挿げ替わるだけで同じものだって言ってた。あの頃の航にとっては、王家も革命軍も正義ではなかったんだよ。でも、今は違うかも知れない」

「カプリコーンで、航は革命軍と戦った。王の軍勢とも」

「それは、信用の根拠にはならねぇんだ。敵の敵は味方とは限らない。多分、あいつ等は独自のイデオロギーを持ってる。ただの子供じゃねぇ。あの頃とは違う」




 確かに、昴は彼等のことをよく知らない。何の為に魔法界へ戻って来たのか。水が流れ落ちるようにして昴は彼等を当たり前のように味方だと信じていたが、其処には根拠なんて無い。


 カプリコーンの一件があるまでは、ウルもそうだった。過去の情報を開示せず、ただ信じてくれと言った。昴は愚直に信じたが、それが間違っていたとは思わない。


 湊も航も、信じてくれとは言わない。味方であるとも明言していない。だから、疑えと言うのか? 十四歳のヒーローの息子を?

 自分には、無理だ。ヒーローの意志を継いだ彼等が正義を訴えるのなら、昴は自分の理想すら曲げてしまうかも知れない。




「僕は、湊と航を信じるよ」

「……お前はそう言うと思ったよ」




 ウルが苦い顔で言った。

 昴は申し訳無い思いで一杯だった。




「ウル、ありがとう」




 ウルは鼻を鳴らしてそっぽを向いた。照れ隠しだろうか。

 昴は彼等を疑えない。想像したくもないが、もしもあの双子が裏切る可能性があったとする。その最悪に備えて、ウルは昴の為に警戒しているのだ。汚れ役を引き受けてくれている。


 昴は、今頃、走り込んでいるだろう二人を思い浮かべた。ヒーローの面影を確かに残した二人の少年。


 彼等は、何の為に魔法界へ戻って来たのだろう。









 15.捻くれ者の美学

 ⑶イデオロギー








 湊と航は、貧民街の路上を走っていた。

 カジノのある表通りとは打って変わり、辺りは薄暗く肌寒い。ぼろ切れを纏った貧困層の人々が当ても無く彷徨っている。


 湊や航の姿を物珍しそうに見ているが、襲って来る元気も無いようだ。スコーピオやカプリコーンでの活躍を知っているのか、遠巻きに眺め、囁き合っている者もいた。


 航は、すぐ横を並んで走る兄に声を掛けた。

 一定のリズムを崩さず、体幹もぶれず、脇目も振らず前へと走って行く。漏れ出したカジノの明かりが丁度前方を照らし、眩しかった。


 表通りから離れ、人気の無い路地裏で小休憩を挟む。オーバーワークなんて馬鹿のすることだ。湊は腰に下げたポーチからドリンクを飲んでいる。

 航は薄っすらと滲む汗を拭い、問い掛けた。




「犠牲の魔法って、どう思う」




 湊はドリンクから口を離し、何処か遠くを見ながら答えた。




「全ての魔法の頂点に立つ魔法だと思う。練度が上がれば、犠牲の対象を択べる。それはもう、人間の領分じゃない。命と引き換えに望みを叶えるなんて、悪魔と一緒だ」

「解析出来るか?」

「或る程度はね。でも、トーナメントの時に昴が見せた魔法陣だけでは不完全だ。多分、足りない情報は昴自身に魔力構造として刻まれてる。犠牲の魔法は昴にしか使えない」




 息継ぎもせず、湊が冷静に言う。

 敵に回すと恐ろしいが、味方にいれば頼もしい。


 今の魔法界ってさ。

 湊が言った。




「今の魔法界って、人間界の歴史をなぞってる。俺たちは未来から来たようなものだから、特異点なんて呼ばれてる。でも、別段すごいことをやってる訳じゃない」

「まあな。でも、遣り方次第では王様になれるな」

「未開のジャングルの奥地でチンパンジーの群れの王様になって、楽しいか? 俺は馬鹿みたいだと思う」

「お前、口悪過ぎ」




 言いながら、航は笑っていた。

 湊は屁理屈を正論みたいに論じることが多いが、例え最低な誹謗ひぼうであっても取り繕っていない分、今の姿の方が誠実だと思う。


 航はふと思い出して言った。




「そういえばお前、カジノでイカサマしただろ」

「バレてた?」

「いや、俺以外は気付いてなかった」




 湊は白い歯を見せて笑った。




「イカサマが何処まで通用するのか確かめたかったんだ。魔法っていうものがどれだけ万能なのかも知りたかったし」

「結論は出たか?」

「うん。魔法は確かにすごいけど、使い手が人間である以上、隙が出来る。カードにはディーラーが魔法を掛けていたけど、俺がイカサマで予想外のことをしたら混乱して、あっさり負けた」

「どいつもこいつも魔法に頼り過ぎなんだよな」

「そう。皆、魔法が万能だと思い込んでる」




 チンパンジーの群れだろ。

 嘲笑うように湊が言った。




「カプリコーンの自治権獲得は各地に影響をもたらした。自由競争社会が始まる。次に重要になって来るのは情報だ。報道機関が発展すれば、民衆は多数決に従うようになる。そうすれば個々の信念や正義なんてゴミと一緒だ。煽動は容易い」

「お前、政治家になれば? 素晴らしい独裁者になれると思うぜ」

「独裁者は民衆に打ち倒されるのが世の常だ。権力とか革命とか、俺はそういうの興味無いんだよ。分かってて言ってるだろ、航」




 湊は笑っている。




「魔法の使えない俺たちが、王家や革命軍に打ち勝つ術があるとするなら、情報戦だ。戦力差を埋めよう」

「まずは同じ土俵に立たなきゃな」




 湊が頷いた。

 自分たちの目的は、変わらない。

 納得出来ない現実には徹底的に抗う。王家の支配なんでどうでもいい。ただ、革命軍ーーシリウスには、言ってやらなきゃならないことがある。父の死だって、理解は出来ても納得出来ない。


 これが子供の駄々で、我儘で、自己満足であることも知っている。けれど、此処を譲ったら、自分じゃない。


 自分たちの前に立ち塞がるのなら、王家でも革命軍でも昴でも、打ち倒して行く。




「取り敢えずは、打倒、革命軍だな」




 航は言った。

 シリウスの金色の瞳が蘇る。今の自分たちには彼の強大な魔法に対抗する術が無い。情報や経済を利用して民衆を味方に付けたところで、革命軍が強硬手段を取るのなら自分たちは無力だ。


 やはり、力がいる。

 目に見えない圧力ではなく、直接的な武力。エレメントの加護とやらがどの程度のものなのかも分からない。


 裏工作は、湊の得意分野だ。自分よりも遥かに効率良くこなせるだろう。それなら、自分は力を付けなければならない。

 シリウスに対抗し、不条理な現実に抗うだけの力がいる。湊が、手を汚さなくても済むように。


 湊は引き金を引かない。銃を眉間に押し付けて恫喝することはあっても、命までは奪えない。それを優しさと言う人もいるだろうし、甘さと笑う人もいるだろう。けれど、航にとっては、それは正義なのだ。


 誰も殺されない世界。

 湊は机上の空論を実現しようとしている。言論だけでは太刀打ち出来ない壁もあるだろう。その時、湊が引き金を引かずに済むように、力を付けよう。




「俺が暴走した時には、止めてくれよ?」

「お前、暴走してない時あるのかよ」

「うーん。じゃあ、崖から落ちる前には止めてくれ」

「突き落としてやるよ」

「酷ぇ」




 湊はからからと笑った。


 二人で立ち上がり、帰路を辿る。キャンサーという街は地下にある為、太陽も月も昇らない。不夜城のような街では時間が分からない。


 魔法界と人間界の時間の流れには違いがある。湊は重力とか時空の歪みとか数式で説明しようとしていたが、単純に一日の長さが違う。磁場の影響なのか、時計が機能しないので正確には分からない。航が体感する限りでは、一日が人間界の倍くらいある。北は夜が異様に長く、南は短い。荒れ果てた大地や貧相な食事も、その辺に理由があるのだろう。


 二人が貧民街を抜けた時、目の前を煌びやかな馬車が横切って行った。手綱はあるのに、馬は見えない。何の意味があるのか、サンタクロースの雪車みたいに鈴の音を響かせている。白亜の壁とプラチナゴールドの金具が目に眩しく、航にはそれが下品な成金趣味に見えた。

 人混みも構わず駆け抜ける馬車の前に、小さな少女が立ち竦む。隣で湊が地面を蹴った。しかし、航の方が早かった。


 航は少女を抱え込んで路上を滑った。

 けたたましい音と罵声を投げ掛けた馬車が通り過ぎて行く。周囲からは馬車への罵声と、航への賞賛が飛び交った。


 航は口汚く悪態吐いて、腕の中の少女を見下ろした。五歳くらいだろうか。突然の不条理に怯えていた。両親らしき男女が駆け寄って来る。

 呆然と座り込む少女へ手を差し伸べ、航は舌打ちした。湊が走って来るのが見えた。




「ーー避けろ!」




 湊の手が伸ばされる。

 その瞬間、周囲で硝子の割れるような音がした。航の目にはそれがスローモーションに見えた。


 空が割れ、その破片が雨のように降り注ぐ。

 悲鳴、怒号。湊の手が伸ばされる。航は咄嗟に腕の中の少女を見た。フランス人形のような青い瞳に、刃となった空間の破片と恐怖が映る。

 脊髄反射で航は少女の背を押していた。湊が少女を抱き止める。次の瞬間、耳をつんざく轟音と身体中を切り刻む激痛に襲われ、航の意識は途絶えてしまった。

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