⑷ 窮途末路

 水音が反響している。

 陽の光を遮る石壁に囲まれ、昴は何が起きているのか分からなくなっていた。


 窮屈に拘束された昴は、街の片隅にある王の軍勢の駐屯地へ引き摺られて行った。蔑む人々の白い目がやけに鮮烈に見えた。

 そのまま地下牢へ押し込まれ、どのくらい時間が経ったのかも分からない。


 自分はつくづく、無力だ。

 犠牲の魔法を使おうか。否、此処で使えば街の人を巻き込む。だが、応援に期待は出来ない。こんな時、少し前ならロキが都合良く助けに来てくれたが、今はその気配も無い。エレメントは気紛れだから、仕方が無いのだけど。


 焦りは無かった。

 自分が捕まったということは、王の軍勢や革命軍が街を襲撃する理由が無いということだ。生かして捕らえたということは、利用価値があるということだ。


 今の自分に出来ることは、一つしかない。

 絶対に屈しない。


 その時、鉄製の扉が軋みながら開かれた。其処にいるのがレグルスでもシリウスでも驚かないと思った。

 立っていたのは、金色の髪を川のように流す美しい女性だった。陰鬱いんうつな地下牢との対比が余りにもアンバランスで、自分は夢でも見ているのかと思った。




「ベガ」




 治癒魔法を使う魔法使い。トーナメントでは、大怪我を負った湊と航を助けてくれた心優しい女性だった。

 ベガは昴を冷ややかに見下ろし、後ろ手に扉を閉めた。


 牢の中は二人きりだった。

 昴はどうにか身を起こし、ベガと向き合った。




「ウルはどうなったの」




 ずっと気になっていた。

 昴が問い掛けると、ベガは苦い顔をした。




「そんなの、私が知りたいわ」




 溜息を吐き出して、ベガは壁へ凭れ掛かった。

 捕まってはいないらしい。それは安心するべきことなのか、昴には分からない。

 何処かで水滴が落ちる音がした。昴は沈黙を埋めるようにして、問い掛けた。




「ウルは、貴方の仲間だったの?」




 ベガは冷たい無表情だった。




「広い意味ではね。王直属の諜報部隊は、王の軍勢とは別の独立した組織だった」

「暁の蝙蝠」

「そんなことまで知ってるの?」

「革命軍の魔法使いが言ってたんだ」




 ベガは肩を落とし、抑揚の無い声で語った。


 暁の蝙蝠とは、王直属の諜報部隊の名称である。

 情報収集を目的に凡ゆる場所へ潜入し、暗殺を含む秘密工作を生業なりわいとする。その部隊の全貌は不明で、隊員は過去を持たず、王家の為に命を尽くすことに躊躇いが無い。そして、王族の血腥ちなまぐさい継承権争いには暁の蝙蝠が必ず関与しているという。


 目的の為ならば手段を問わない非道さと、味方をも容易く裏切る冷酷さを持つ。彼等は人ではない。忠義を重んじる王の軍勢からは疎まれる暗殺集団。


 記憶の中にある、屈託の無いウルの笑顔からは想像も付かない。彼は甘さと優しさを履き違えない強い人だった。コソ泥と名乗りながらも人としての誇りを失わず、真に相手を思い遣ることが出来る。




「裏切りは、彼等の常套手段よ」




 築き上げて来たものが一気に瓦解するような衝撃と虚しさが襲った。昴は信じられず、無力感に項垂れた。


 ウルが裏切るはず無い。断言出来る。

 だが、ベガやリゲルの言葉を否定するだけの根拠が無い。証明出来ない。それが歯痒く、悔しい。




「僕は、ウルを信じる」




 絞り出すように昴が言うと、ベガは碧眼を見開いた。まるで、信じられないものを見るみたいに。


 誰が言ったって、昴はウルが裏切り者だなんて信じない。例え、此処にいない湊や航が縋るように訴えたとしても、昴は反証を探して奔走するだろう。

 信じると決めたのだ。揺らいだら、それこそが裏切りになる。


 ベガは昴をじっと見詰め、息を吐いた。




「あの頃、貴方みたいな仲間がいたなら、違った結末があったのかもね」




 ベガの目は何処か遠くを見ていた。それはまるで、届かない過去を見て嘆いているようだ。




「この街、カプリコーンはね、ウルの故郷なのよ」




 知っている。

 昴は黙っていた。


 ウルは西の孤児院の生まれだと言っていた。それが何故、王直属の諜報部隊に入隊したのかは分からない。けれど、常に冷静で要領の良いウルは、何処でも素晴らしく活躍したのだろう。




「カプリコーンは一度、滅んだの。王の軍勢と革命軍の衝突によって、大勢の人が亡くなった」





 とても、信じられなかった。

 この街は美しい。人々の顔は明るく、陰惨いんさんな過去の影は一つも無い。アルゲティの雑貨屋、勇ましい酒場の女主人、酒を酌み交わす屈強な男達、鮮やかなドレスを纏った女達。あれは全て、上部だけだったのだろうか。


 すねに傷の無い人間なんていない。

 透明人間の声が聞こえた気がして、昴は目を伏せた。

 どんな人間にも過去がある。そして、過去からは決して逃れられない。昴が、そうであるように。




「今から五年前、革命軍が名乗りを上げたばかりの頃よ。暁の蝙蝠は、革命軍がこのカプリコーンに潜伏しているという情報を掴んだ。王の軍勢はその報告を受けて夜襲を掛けたの。私達は、暁の蝙蝠が掴んだ情報を鵜呑うのみにして、疑いもしなかった。結果、一つの孤児院が消し炭になった」




 昴は息を呑んだ。

 先を聞くのが、怖い。孤児院。嫌な情報だ。




「ウルの育った孤児院だった」




 昴は、気力や活力が根刮ねこそぎ奪われ、目の前が真っ暗になるような錯覚に陥った。




「カプリコーンの街は戦場になった。双方共に甚大な被害を受けたけれど、最も多く犠牲になったのは、民間人だった」




 ベガは全くの無表情だった。

 昴はそれを見ると、泣きたいような、怒りたいような、自分でも説明出来ない感情に支配された。


 誰が悪い。誰を憎む。誰を責めたら救われる。

 王の軍勢か。暁の蝙蝠か。革命軍か。昴には分からない。




「その後、ウルが何を思ったのかは分からない。でも、或る日突然、姿を消した」

「……」

「死んだと思っていたの。だから、トーナメントで会った時は驚いたわ」




 昴は拳を握っていた。爪が食い込み、皮膚が破けても気付かなかった。


 ウルに会いたいと思う。会って話がしたい。過去に何があったとしても、自分はウルの味方だ。何度でも言い聞かせてやりたい。


 その時、昴は嫌な予感を覚えた。

 虫の知らせだったのか。第六感だったのか。昴の脳裏に過ぎったのは、リゲルの存在だった。


 どうして、革命軍がこの街にいたんだ?

 まさか。




「此処から出してくれ」




 昴は言った。

 ベガは怪訝そうに眉を寄せていた。昴は拘束具が食い込むのも構わず、力を込めた。ぬかくぎを打っているようでまるで手応えが無いけれど、こんなところで捕まっている訳にはいかない。




「革命軍がいるんだ。ーー五年前と同じことが起こるかも知れない」




 革命軍は、昴が此処に捕まっていることを知っている。襲撃する理由がある。王の軍勢と革命軍が衝突した時、巻き込まれるのは力の無い民間人だ。




「誰にも、過去を無かったことになんて出来ない。でも、人は過去の過ちから、より良い未来を築くことが出来る」




 あの頃には理解出来なかったヒーローの正論が、形を成して凛然と立ち塞ぐ。


 ーー全部を救って、皆が幸せになれたら良いと思う。でも、それは難しい。だから、俺はいつも自分の納得出来る、最小の不幸で済む方法を考える。




「誰も死なない方法があるのなら、僕はそれをえらぶ」




 昴の声は、もう二度と聞くことの叶わないヒーローの言葉と重なっていた。例えもう二度と会えなくても、届かなくても、ーー同じ夢を見ることは出来る。


 ベガは何かを考えているようだった。彼女の中で天秤が揺れているのが分かる。人それぞれの価値観は違う。優先するものがある。人は理解し合えない。でも、認め合えると思う。




「……付いて来て」




 ベガが掌を翳すと、昴の自由を奪っていた拘束具は音も無くほどけ落ちた。

 無理な体勢でいた為に身体中がぎしぎしと軋んでいる。だが、立ち止まっていられない。


 ウルを探さなければ。

 絶対に生きている。希望的観測ではない、確信があった。あんなところで死ぬような男じゃない。そして、生きているのなら、きっと自分を救出する為に動いているはずだ。ウルは何度も言っていた。見捨てない、と。


 ベガの導きで、昴は地下牢から出た。

 此処はカプリコーンの街中にある王の軍勢の駐屯地だ。戦場になれば、確実に民間人が犠牲になる。


 せめて、此処から離れなければならない。自分は此処にいないと知らせなければ。自分が此処にいる限り、王の軍勢と革命軍の争いに理由を、大義名分を与えることになる。


 薄暗い地下通路は湿気に満ちている。何処から化物が出て来ても不思議じゃない。昴は丸腰で、ベガは戦闘手段を持たない。

 慎重に道を選び、巡回の魔法使いを避け、二人は出口を目指した。だが、その時、笑い声が聞こえた。闇に染まる回廊に似つかわしくない、鈴を転がすような少女の声だった。




「スバル」




 酷い既視感に目眩がした。

 この声を知っている。忘れない。だが、こんなところにいるはず無い。

 祈るように目を向けた先、昴は恐怖で体が硬直していた。


 初めに見えたのは、可憐な少女の顔だった。だが、首は無い。血の気の無い頭部から、直接蜘蛛の手足が生えている。

 化物と呼ぶのなら、正しくその通りだった。




「スピカ」




 昴は思いがけず、その名を呼んでいた。


 人間界で出会った少女。犠牲の魔法を行使する為に創られた肉の器。視肉。

 その顔はスピカそのものだった。だが、それは最早、異形の化物だ。泉から水が溢れ出るように、スピカの顔をした化物がわらわらと現れる。




「スバル」

「スバル」

「スバル」




 堪らず、昴は声を上げた。




「何だこれ!」




 ベガは庇うように躍り出た。翳された掌に水色の魔法陣が広がる。水魔法だ。ウンディーネが言っていたことを思い出す。水魔法は攻撃に適さない。この状況を切り抜けることは出来ない。


 ベガは苦渋を前面に押し出して言った。




「視肉の失敗作よ」




 昴は、後頭部を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。

 王家は犠牲の魔法を効率良く行使する為に、犠牲となる命を創った。それがスピカだった。人間界で、昴は止む無く彼女の命を使って王の軍勢を退けた。

 視肉という概念そのものが理解出来ない。受け入れ難い現実が、牙を剥いて襲い掛かる。


 回廊はあっという間に、スピカの顔をした化物に埋め尽くされた。逃げ場が無い。

 スピカの顔をした化物は、歯をがちがちと鳴らし、今にも喉笛に噛み付こうとしている。


 スピカの顔で、スピカの声で、スピカが昴を呼ぶ。


 頭が真っ白になった。

 犠牲の魔法を此処で使えば、ベガはもちろん、カプリコーンの街が巻き込まれる。どうすれば良い。逃げ場が無い。


 絶望の闇が辺りを包み込む。

 もう、駄目だ。


 足元が光ったのは、その時だった。











 14.悔ゆる道を辿る

 ⑷窮途末路きゅうとまつろ










 ウルは焦っていた。

 目の前で昴が連れて行かれ、街は吹き飛び、巻き込まれた少女が泣き叫ぶ。過去のトラウマを抉るような酷い状況に、頭が割れそうに痛む。


 こんな時、いつも思う。

 力が欲しい。不条理で理不尽な現実に抗うだけの強さが欲しい。


 住民が、顔を真っ青にして逃げ惑う。混乱に乗じた革命軍や王の軍勢がちらほら見える。ウルは怒りと無力感に包まれ立ち尽くしていた。


 自分達の存在が利用されていることが分かった。

 王の軍勢も革命軍も、民衆を味方に付ける大義名分が欲しいのだ。どちらかに汚れ役を押し付けて、正義になろうとしている。

 ヒーローとは、守るべき弱者がいなければ成立しない。ーー五年前と同じだ。


 どいつもこいつも汚くて、吐き気がする。


 ウルには、何も出来ない。

 王の軍勢から昴を奪い返すことも、革命軍を退しりぞけることも、混乱する民衆を安心させることも出来ない。


 右も左も分からない程の混乱の最中、何処からか声が上がった。




「王の軍勢の暴虐を許すな!」




 澄んだ青年の声が、辺り一帯に響き渡る。家財を担いで逃走する民衆が足を止め、声の主を探して視線を巡らせる。

 誰だ。敵地の真っ只中で、一体誰が。


 ウルが見上げた先には、太陽を背にした人影が一つあった。


 リゲルーー革命軍だ。

 混乱に乗じて民衆の支持を集めようというのだろう。王の軍勢の暴虐を受けた民衆は、一縷いちるの希望へ縋るように耳を澄ませる。嫌な空気が満ちて行く。リゲルが叫んだ。




「王家を打ち倒せ!」




 ウルの隣にいた少年が、拳を握る。

 奇妙な熱気が広がっていた。誰かが声を重ねた。




「王族を許すな!」

「革命だ!」




 風見鶏かざみどりだ。民衆は、風が吹けば其方を向く。

 洗脳だよ。記憶の中で、凛とした少年の声が蘇った。


 ーーこの世界の人は洗脳されている。王族支配しか救いが無いと思っている。煽動せんどう容易たやすい。


 まるで、予言だ。

 ウルは胸の中を冷たい風が吹き抜けるような虚しさを覚えた。


 駄目だ。止めなければ。このままでは、また悲劇が起こる。罪の無い人々が争いに巻き込まれ、大勢が死ぬ。


 ウルは制止を訴えようとした。どんな言葉でも、例え後ろ指差され笑われても、自分が志半ばで倒れたとしても、黙っている訳にはいかない。

 だが、声が出ない。まるで、見えない掌が首筋を押さえているかのようだった。


 リゲルの掌から、水色の魔法陣が広がっていた。

 状態異常ではない。これは、精神干渉だ。対象の意識に介入し、意のままに操る。あたかも、それが自分の意思であるかのように錯覚させる。

 ウルには覚えがあった。暁の蝙蝠は、反乱分子を粛清し、洗脳して来た。その恐ろしさは誰よりも知っている。


 精神干渉の魔法を使う時、術者は無防備になる。しかし、今のリゲルは、防御の必要が無い程に、民衆の心を掌握していた。


 狂気に支配された人々が武器を取る。

 身体が動かない。くそ、くそ、くそ。俺はまた、何も出来ないのかよ。


 誰か助けてくれよ。

 もう嫌なんだよ。


 ぶつけようの無い怒りと後悔が押し寄せて、鼻がつんと痛くなる。急速に目頭が熱くなり、何かが溢れてしまいそうだった。


 なあ、ヒーロー。

 此処にいるよ、と声を上げてくれよ。


 ウルが絶望に目を閉じた、その時。

 耳元で空気を切り裂くような音が鳴り響いた。

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