⑵仮説検証

 チャイムが鳴ったので玄関を出ると、真っ赤な髪をした男が軽薄に笑っていた。


 騒動に巻き込まれる確信があったので、葵はそのまま扉を閉じようとした。けれど、赤い髪の男――ロキは忍者のように横を擦り抜けて、あがり込んだ。

 追いすがる間も無かった。リビングへ到達したロキは、片手にぶら下げていた網目あみめの球体をかざして笑った。




「見舞いに来たよ」




 網目の球体は、差し込む日差しによって艶々つやつやと緑色の光沢を放っている。彼の掲げるものが人間の頭部であったとしても、葵は今更驚きはしないと思った。


 見舞いというからには、目的は和輝なのだろう。

 和輝の視線はロキではなく、その手にあるメロンに奪われていた。




「綺麗な丸だね」




 どういう感想なのだ。

 葵は内心で突っ込みを入れる。ロキはへらりと笑っている。


 和輝は何も追及せず、ロキをソファへ促すと、メロンを切り分ける為に席を立った。残された葵と昴は言葉も無かった。


 正体不明のロキや底抜けに馬鹿な和輝と比べると、精神病と診断されている自分や昴の方が余程、真面まともに思える。


 程無くして、和輝はメロンを飾り切りにして運んで来た。昴はまるで魔法を見たかのように目を輝かせている。

 四人でローテーブルを囲む。和輝は来客用のグラスに麦茶を入れていた。




「お見舞いに来てくれたの?」

「まあ、積もる話もあるし」




 ロキが意味深に言う。彼はそれが素顔なのか口元は常に皮肉っぽい笑みを浮かべている。浮雲のように飄々ひょうひょうとして掴み所が無く、葵は純粋に苦手な相手だと思った。


 そんなロキが何を口にするのか予想も付かないが、余計なことは言わないで欲しい。ましてや、先日の事件の詳細など、和輝には聞かせたくない。


 葵が冷や冷やしていると、ロキは知ってか知らずかはぐらかすようにして世間話を始めた。




「調子はどう?」

「身体の節々ふしぶしが痛くて、起きているのもしんどい。食事ものどを通らないし、本当は入院でもしていたいんだ」




 和輝が意味の無い嘘を吐く。彼は救出された時点でほとんど無傷で、入院中もぴんぴんしていた。今朝だって時間を持て余し、何故かドミノの大作を作り上げるといった有様だ。

 けれど、彼は必要の無い嘘は吐かない。




「メロンを食べたら、帰って欲しい」




 常に肯定的な和輝には珍しいことだ。本当に体調が優れないのかと懸念するが、先程、朝食に白米を山盛り三杯食べていたことを思い出し、それが嘘だと分かる。

 ロキは何を考えているのか分からない顔で、口角を釣り上げている。




「釣れないことを言うなよ。お前だって、訊きたいことがあるだろ?」

「訊きたいことはあるけど、個人的なことだ。この場で訊きたいことはないよ」




 やはり、かわし切れていなかったか。

 葵は、舌打ちを零した。


 これまで全ての事情を伏せて、和輝を巻き込むまいとして来た。だが、このヒーローは野生動物みたいにかんが鋭過ぎる。




「一応、客だろ。持て成せよ」




 葵は早々に開き直った。

 和輝が聞くと言うのなら、それで良い。だが、自分の知らないところで傷付くのは見たくない。傷付くのなら、自分の目の届く範囲にして欲しい。


 和輝はやれやれといった調子で立ち上がった。ふと見ると、彼の皿のメロンが空になっていたので、まるで手品を見たような気になってしまった。何時の間に食べ終えたのだろう。

 キッチンで湯を沸かし始めた和輝を横目に、昴が声をひそめて言った。




「ロキに訊きたいことがある」




 昴はキッチンの和輝を一瞥いちべつして、慎重に言葉を選んでいるようだった。




「僕が――、仮に魔法使いだとして。それを制御する方法はあるのか?」

「どういう意味で?」

「例えば、なるべくその力を使わない方法とか」




 ああ、成る程。

 葵は理解した。昴は先日の事件を受けて、その身の丈に合わない強大な魔法を制限したいと思ったのだ。もう二度と、誰かを犠牲にするようなことがないように、不本意な魔法の発動を阻止したいのだろう。


 ロキは腕を組んでうなった。そして、何かをひらめいたらしく指を鳴らした。何処か演技掛かった仕草だった。




「魔力を制限するレアアイテムなんて、どうだ?」




 葵は呆れていた。

 どうだなんて言われても、そんなものがあるとは思えないし、納得も出来ない。下手な詐欺師みたいだ。


 昴は神妙な顔で聞いている。丁度、和輝が紅茶を淹れて持って来た。呑気な顔で首をひねっている。誰の為にこんなに骨を折っていると思っているのだ。此処に拳銃があれば、葵は今頃、彼の眉間に突き付けている。


 置いてけぼりの和輝が手持ち無沙汰ぶさたなのかテーブル下で蹴って来た。当然、葵も遣り返す。


 ロキの説明を聞く昴と、テーブル下で小競こぜり合いをする自分たちは、果たしてどちらが正常なのだろう。ふと我に帰って、葵は咳払いをした。




「そろそろ、この話は終わりにしよう。此処には病人がいることだしな」




 ちらりと和輝を見遣れば、不思議そうに目を丸めるので苛々した。まるで、病人って誰のことと言わんばかりだ。

 お前が言い出したんだろう。此方の厚意は全て無駄になってしまう。

 こいつのことは底抜けの馬鹿だと認識していたが、本当は病名のある精神状態なのではないだろうか。




「せっかく紅茶を淹れたのに」




 葵は無性に腹立たしくなり、手を出す代わりに口を開いた。




「お前、なんでそんなに馬鹿なの?」




 何が、と問いながら和輝は勝手に葵のメロンを食べ始めている。其処には邪気の欠片も無い。つつのような単純さがあるだけだ。これ以上、何かを言えば自分の方が馬鹿になってしまうような気がして、葵は黙った。


 もしも自分が教師なら、こういう馬鹿になってはいけませんと教育したいくらいだ。









 3.ヒーローと魔法使い

 ⑵仮説検証









 メロンを食べ終えたロキが退出してから、和輝が水盤の前に立っていた。客用のティーカップを磨いているらしかった。


 葵は換気扇の下に陣取じんどり、マグカップを揺らしている。深い夜の色をしたコーヒーに、疲れた自分の顔が映っていた。

 特に会話も無いまま、リビングから聞こえるテレビの雑音が遠く響いている。


 ティーカップを磨き終えた和輝が、それを丁寧に棚に片付ける。こういうところに育ちの良さを感じる。

 和輝はマグカップからコーヒーメーカーにそそぎ、唐突に言った。




「あの子は何者なの?」




 和輝の指す人物が分からず、葵は目を瞬いた。




「あの子って誰」

「あの赤い髪の子」




 和輝の指すあの子が、ロキであると気付き、相変わらず人の名前を覚えない男だと呆れてしまった。


 ロキの持つ強大な魔法を見た葵からすると、あの子という何処か平和的な響きとは余りにかけ離れている。だが、事情を知らない和輝にとっては、ただの不思議な青年にしか過ぎないのだ。


 嘘は看破されると分かっているし、此処であざむく必要も無い。




「俺だって知らねーよ。昴の友達の魔法使いなんだろ?」




 其処で、思い出す。

 昴は元々身元不詳の記憶喪失を精神異常者だった。名前を持たない彼の名付け親は、和輝だろう。

 だが、初めて魔法使いに襲われた時も、スバルと呼ばれていた。――これは、偶然か?




「昴の名付け親って、お前?」

「うん。名前が無いと不便だろ」

「なんで、昴?」




 和輝は微笑み、何処か誇らしげに言った。




「惑星探査機のすばるが、最近になって帰還しただろ。それにあやかって」

「それは、はやぶさだ」

「そうだっけ?」




 やはり、馬鹿は馬鹿のままだ。

 葵が嘆息たんそくを漏らしそうになると、和輝が言った。




「でも、あの夜空みたいな瞳に、微かな光を見た気がしたんだ。それが、昴――プレアデス星団みたいで、綺麗だったから」




 詩人だな、と葵は嫌味っぽく吐き捨てた。

 深い意図は無いのだろう。綺麗だと思ったから、相応しい名前を付けた。ただ、それだけのこと。

 問題なのは、敵が同じように呼んでいたということだ。ロキが訂正ていせいしないのは、何故なのか。


 和輝は舐めるようにコーヒーをすすり、つとめて明るく笑ってみせた。




「お前も昴も、あの子が来ると、途端にピリピリするよね」




 それは当然だ。

 彼は強力な魔法使いで、しかも得体が知れないのだ。それに、彼があの事件の舞台裏を口にするような事態は避けねばならない。警戒する理由としては、充分だろう。


 其処で、気付く。

 この御人好しで博愛主義をうたうヒーローは、葵と昴の為にロキを遠ざけたかったのだ。それが例え一時的なものであったとしても。


 和輝は困ったように眉を下げた。




「あの事件で、何があったんだ?」




 葵は舌を打った。


 なんと答えるべきか、迷っていると、和輝は確信があるみたいにつらつらと話し始めた。




「あの日、俺は四肢に怪我を負っていて、避難なんて到底不可能だった。そんな俺が奇跡的に助かって、目の前でかばった筈の子は死んだ。犠牲者の遺体は全て四肢を損失していたのに、何故か俺の怪我は何事も無かったみたいに治癒していた。……無関係とは、思えないんだ」




 当然の疑問だ。

 嘘と屁理屈で煙に巻くことは難しくない。ただ、和輝でなければ。

 此処で葵が嘘を吐いたり隠し事をすれば、和輝には分かってしまう。本心から真実を知りたいと望めば、どんな行動を起こすのか予想も付かない。




「昴の様子がおかしかった。まるで、何か大変なことを仕出かしてしまったみたいに。……もしも、俺の知らないところで何か最悪の出来事が起きていたとするのなら、葵が平然としているのは不自然だ」

「俺が不自然?」

「まるで、昴を許そうとしているみたいだった」




 このヒーローは他人の嘘を見抜くことが出来る上に、此処まで推論出来るのなら、それは最早他人の心が読めるも同然だ。


 真実を伝えるべきか、否か。

 伝えたところで、普通は信じない。だが、常識の通じないこのヒーローは既に何かしらの確信を持っているのだ。




「昴は何かと引き換えに、俺を助けたんだ。そして、それは引き換えにしてはならないものだった」

「へえ、何と引き換えにしたって?」

「あの病院倒壊に巻き込まれた262名の命だ」




 正確な数字を出されて、葵は不覚にも戸惑った。

 和輝が知っている筈がない。だが、彼ならば知ることも可能だった。何しろ、彼はあの事件の一番の関係者なのだから。


 その一瞬の戸惑いを見逃す筈もなく、和輝は自分の導き出した結論を真実と確信したらしかった。




「俺の為に昴は魔法を使った。彼等を犠牲にするしか、無かったのか?」

「違う。昴は、知らなかったんだ。その行為が他者の命を必要とするものだと」

「それなら、遺族の責めるべき相手は、俺だ。俺が自分の身くらい守れたら、そんな事態は起こらなかった」

「お前に何の罪がある。お前が不注意で大怪我を負って入院し、身勝手な行動で倒壊に巻き込まれたのなら兎も角、あれは誰にも防ぎようが無かった」

「――そんなことは、分かってる!」




 和輝が声を上げた。その反動でマグカップの中のコーヒーが大きく波打ち、床に零れ落ちた。

 けれど、和輝はそれに構うことなく、うつむいたまま声を震わせていた。




「お前、遺体を見たか? 全員、両手両足ががれて、見付からないんだぞ。巻き込まれた人には家族だっていた。被害者は亡くなった人だけじゃない。遺族や救出に関わった救急隊員、医者、マスコミ、全てが被害者だ。彼等が心に負った傷は、二度と消えることはない……」

「ああ」




 葵は短く肯定した。

 葵には、遺族の気持ちが痛い程に解る。葵もかつて、頭のおかしい猟奇的殺人犯に兄を殺された。身体は滅多刺しで、最期は首を切断された。葵は唯一の肉親の遺体を見た。きっと、二度と忘れることはない。


 あれから十年以上の時が経ったが、未だに夢に見る。そのお蔭でPTSDを発症し、今も精神科医の診察と監視が無ければ社会生活すらままならない。


 終わることのない苦しみだ。

 きっと、それは死ぬまで終わらない。


 和輝はヒーローになりたかった。

 目の前にいる誰かを救うヒーローに。

 その為ならば、自分の命くらい投げ出しただろう。


 葵は天井を見上げた。すすけた石膏せっこうボードは目に映らず、兄を失った日のことが鮮明に思い出された。


 真っ赤な夕陽、回転灯。黄色い規制線に押し寄せるマスコミ。だるような熱波の中で搬送される、兄の遺体。自分を保護した捜査官の腕が微かに震えていたこと。


 あの時、感覚が麻痺して、何一つ自分のこととして受け入れられなかった。何もかもが夢みたいで、泣くことすら出来なかった。そうして平然と生活を送り始めた自分を、社会はサイコパスと呼ばれる異常者だとラベリングした。


 兄を殺した殺人鬼と同じレッテルを、葵にも貼ったのだ。


 事件から十年以上経って、その診断に異を唱える者が現れた。それが、和輝だった。


 ヒーローになりたいと子供のような幼稚な願いを叶える為に、危険も構わず何度でも手を伸ばし、葵を救ってくれた。今の葵があるのは、和輝のお蔭だった。


 葵は神を信じない。――けれど、自分すら犠牲にして、他人を救いたいと願って来た彼に、こんな酷い仕打ちをするなんて、あんまりじゃないか。




「俺が目指したものは、間違っていたのかな?」




 和輝が震える声で、しぼり出すように言った。

 葵は間髪入れず答えた。




「間違ってはいないだろ」




 辛い。ただ、やり切れない。

 誰を責める。誰を恨む。誰が間違っていたのだ。――そんなこと、誰にも解らない。

 あの日、和輝の伸ばした手は届かなかったのか。意味が無かったのか。間違っていたのか。それはどうして?


 正解や不正解があるのなら、こんなに迷う必要も無かった。


 マグカップを置いた和輝が、堪え切れないと言うようにひたいを押さえてしゃがみ込んだ。周囲の空気がよどみ、そのまま闇の中へ呑み込んでしまうような気がした。


 苛立ちが静電気のように顳顬こめかみで爆ぜる。葵は手にしていたマグカップを置き、しゃがみ込む和輝に歩み寄った。




「諦めるのか?」




 和輝がにわかに顔を上げたその瞬間、葵はその首を掴み掛かった。気道が潰れ、空気の抜ける音が虚しく聞こえる。和輝は咄嗟とっさに身を守ることも出来ず、葵の両手に爪を立てることしか出来なかった。




「お前が諦めるというなら、




 和輝を殺すことくらい、訳無い。このまま首を折ってやっても良い。




「ヒーローなんだろ?」




 反論も、真面な呼吸も許さない。

 葵は詰問した。




「何度でも言う。お前に罪は無い。これ以上、俺の前でそんな腑抜ふぬけた姿を見せるなら、お前を殺してやる」




 その時、和輝が喘ぐように言った。




「お前を残して、死ぬ気は無い」




 葵は笑った。

 そうだ。それでこそ、俺のヒーローだ。

 彼が諦めると言うのなら、俺が殺す。そして、俺も死ぬ。分かっている筈だ。俺たちは運命共同体。和輝が背負うと決めた以上、途中で投げ出すことは許さない。


 首から手を離すと、和輝は激しくせ返った。葵は側に置いたマグカップを拾い、再び啜った。


 血の気の無い真っ白な顔で、和輝は弱々しく笑った。




「諦める気は、無いけどね」




 その細い首には鬱血うっけつした掌の跡が残っている。

 そうだ。彼は諦めない。


 葵は満足して、キッチンを出て行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る