第802話 誤字脱字ご指摘の感謝回 新鮮な春の魚を大量の油(菜種油)で冒涜する屏風キッチン

※春祭りのちょっと前の話となります。




 さわらはその字に春とあるように春を告げる魚である。


 当然としてその旬も春であり、つい先ほど下々から旬の一番おいしい時期のさわらが御前への献上品として白猫城に届いたらしい。


 送り主の名は何故か伏せられている。ろくろちゃんがコソっと漏らしてくれた話では藍ノ国に属する寒村からだそうな。


 冷戦状態の藍から送られてきたものなんて大丈夫かと思うのだが、その村は過去に御前から受けた恩義によって潜在的にメッチャ白寄りなんだそうで。


 そして現在も陰ながら白がその村に援助しているらしい。その変わらぬ支援を感謝しての秘密の献上品なのだという。


 そういえば赤ノ国に物資運搬をする際、積み込む物資の吟味の場で東名山様からその辺りの裏事情を聞いたかもしれない。


 あのときお茶目なあの方は副官のフリをされていて、屏風覗きはすっかり騙されたっけ。真面目なとばり殿が東名山様を苦手とする理由が分かった気がしたものである。


 確か売り物にならないくらい苦くなってしまった塩を、どこかの寒村から白が買い付けてやったとかなんとか聞いたな。たぶんその村からの献上品と思われる。


 ただ当の塩はグルメな妖怪が多い白ノ国ではとても使い物にならず、そのまま何年も蔵の中で死蔵されることになったらしいが。処理が悪くてにがりが残ってたんだろう。


 在庫処理のついでに持ってけと、赤にタダで投げ込む物資が増えたのはよかったのか悪かったのか。


 猩々緋しょうじょうひ様から『食べ物が苦い』という愚痴は届いていないので、別の誰かに割り振られたのかもしれない。南無。


「聞いておられるか白石殿」


 失礼しました。つい懐かしい思い出が。いや懐かしいというほど立派なもんでもないけどさ。つい思考が散らかってしまう。


 リアルニャンコの姿で前足を腰に当てて立腹するという身体的ミラクル。これが妖怪である。普通の猫では関節の可動域的に出来ない姿勢を平然と行うから、カワイイけどビックリだ。


 黒頭巾の猫は『相変わらずしょうがねえなこいつ』みたいな顔で小さく溜息をつくと、つい聞き惚れてしまいそうになるイケボで話を締めた。


「ではお任せいたしましたぞ。他に用立てるものがあるなら必ず頭巾に申し付けますよう。それ以外の者からの水や油、食材に調味、その他の一切の使用は許されませぬ。当然、器もです。場を離れてもなりません」


 ウッス。


 痛くないけど最後に流れるような動作で足を踏んでいくなや、元みるく様よ。


 こうして場に残された立派なさわら


 そろそろお昼の献立をどうしようと考えるような午前のいいところ。朝からよく晴れてその日差しを受けた鮮魚の輝きが実に美しい。


 いやホントに鮮度高いな? 藍の浜から狐の社を使って釣れたてを最速で運んできたのかね?


 お城の台所の一角をお借りして、紐で袖まくりをしながら本日の食材とにらめっこを開始する。


 和装はこういうとき大変だ。料理人用の袖なし服を借りたいところだが、生憎と着れるサイズが無い。


 まあ突然の話だし屏風覗きに合う作業着が無いのは当然だろう。


 何より幽世の人型妖怪はほとんど背丈が小さいからね。逆に体格が大きい方はこれまた極端に大きいからやっぱり合わないのだ。


 ――――なんで屏風覗きが料理人みたいな事を要求されているのか。今現在まで屏風これもさっぱりです。しかし上にやれと言われれば喜んでやるしかない。


 オリジナルのポエムを朗読しながら反復横跳びをしろと言われたら、春のあたたかい朝を表現した爽やかな詩を語り。額に汗を光らせ笑顔で横っ飛びを続けるしかないのである。


 体育のテストくらいでしかやった事ないなぁ、反復横跳び。ポエムに至っては未知の領域である。披露するなら俳句のほうがまだマシだ。


 罰ゲームみたいなポエムと反復横跳びはともかく。


 どうも本日の御前ボスは春の陽気に誘われて、いつもと違うメニューがお食べになりたいらしい。

 そのため『お城での定番の調理方法以外で、このさわらを使ってなんか作れ』と元みるく様を通じて屏風これに命令が下ったのである。


 言ったらアレだがすごい迷惑。お城の台所を預かる皆様から睨まれたじゃん。黄の時もそうだったけど、こういう職人の仕事場に入り込むときのアウェー感は半端ないわ。作るけどさ。


 今回作るのは下ごしらえも特にしなくていい簡単メニューにした。というか気まぐれでいきなりやれと言われて入念な下準備がいる料理はできねえよ。


 用意するのはたっぷりの油と片栗粉に調理酒。生姜の代わりの山椒。そしてお城の料理人に引いて頂いた渾身の白出汁だ。


 さすが白の誇るお台所番様の作。こんな香り豊かな出汁なんて素人ではとても引けません。ヨイショ。


 ちなみになんで出汁を『引く』と表現するのかの由来なんて知らないので、そこは気にしないでおこうと思う。


 残念なのは代用品が混じった事だ。生姜が無い代わりに山椒を用意した。


 この料理だと本当に生姜を使いたいところなんだけど、生姜の旬は秋なうえにあれはあまり日持ちしないのだ。そのため春先ではまったく出回っていないので、保存が効いて年中手に入る山椒を薬味として代用することにしたのである。実に残念。


 それ以前にこんなに鮮度の良い鰆を油で揚げるというのはいささか勿体ない気もするな。それでも要求されたのが揚げ物なのだからしょうがあるまい。


 ショウガが無いだけに。あ、意外とうまいかも?


「おまえまた阿呆な事を考えているだろう?」


 辛辣。こちらと同じく調理手伝いのために紐で腕を捲っているちっちゃい子が、屏風覗きの脳内ダジャレを敏感に感知してツッコミを入れてきた。


 本当になんでわかるんだろう? 周りにウザがられたくない常識人としてせめて口に出さないようにしてるのに。


 いつもの白い山伏衣装を汚さないようにか地味な着物姿のとばり殿。いやね、同意してくださる方も多いと思うんですが、変に着飾ってるよりむしろこういうのが日常感があって可愛いと思いま――――痛い痛い痛い。


「魚が悪くなる! 御前に腐ったものを出す気か、早くしろ」


 うーん、ちょっと恥ずかしくてつい軽い口調で褒めたせいか、逆にからかわれたと思われてしまったようだ。本心なんだがなぁ。


「白石様、こちらはいかように?」


 お手伝いさん2号の胴丸さんもいつもの手甲足甲なしの鎧姿ではなく着物姿。去年にそうめんを食べたときより地味なやつ。付喪神でも人に姿を変えたとき、別の服を着れる子がいるんだよね。


 こちらも普段使いで汚れてもいいやつという感じ。地味目な着物なのがむしろ可愛い。いわゆる女子のジャージ姿にときめく感じです? って、だから痛い!


「目つきがいやらしいぞ、このっ」


 風評被害も甚だしい。褒めただけなのに。


 とばり殿のローキックに耐えつつふたりでさわらを捌き、同じくお手伝いの胴丸さんにお願いして油と漬け用の液を用意してもらう。刃物を使っている時のツッコミは控えてくれるようでひと安心。


 こうして切り分けた魚の身から余分な水分を和紙で取っておき、それを調理酒・白出汁・たっぷりの山椒で作った液につけて揉めば下ごしらえは終わりだ。


 酒と山椒で魚の臭みを取りつつ白出汁の味を染み込ませる。後は揚げるだけ。実に簡単。


「薬味が多いな。見ているだけでむせそうだ」


 味を染みこませるため少し寝かせている間、漬けにされた鰆の身を見たとばり殿がちょっと嫌そうな顔をする。


 このままだとせっかくの白出汁の香りが見えてこないくらい山椒まみれだからね。臭みを消しつつパンチを効かせるためです。新鮮な生姜があればもっとソフトでスッキリした風味に出来るのだが。


「やはり白石様は香りが強く油を使った料理がお得意なのですね」


 同じく漬けになった切り身を眺める胴丸さんは味の強い物が好きなのか、とばり殿と違って味にがぜん興味があるようだ。

 なお若干の誤解がある気がする。タレント自体がオリーブオイルの代名詞みたいになっちゃった方ほど使ってないはずなのになぁ。


「そういえば黄で作ったあれも油で揚げていたし臭かったな。屏風揚げ」


 屏風覗きがカリっと揚げられているような表現はやめてほしい。油の窯で煮られたという切支丹弾圧を思い出してしまう。人は大義名分があれば人間だって油で揚げられる残酷な生き物です。


 長崎奉行の非道はともかく。とばり殿の言った料理はとある事から作ることになった揚げ物で、実際に現世にレシピのある品。凍豆腐をお肉に見立てたから揚げの事だ。


 普通のニンニクの代わりに行者ニンニクを使ったからか、かなりくっさい一品になってしまったんだよね。まあ臭いものほど食べてしまえばその臭さが後を引くものです。特に夜中のラーメン・カレー・ニンニク臭は危険だ。


 名前と由来はちゃんとあの場で説明したはずなのに。屏風これが作ったせいなのかいつのまにか変な名前がついて黄に出回ってしまっていた。たぶん銀量寺の狸がぜんぶ悪い。


 ――――実はあれ、少しだけ作り方にとばり殿の事をリスペクトしているのはこの子には内緒だ。


 あれはまだ幽世に来て間もない頃。下界行脚中に大雨に打たれてしまい、すっかり体を冷やしてしまった事がある。


 そのとき屏風これの体調を慮ってくれたこの子が、風邪を引かぬようにと行者ニンニクを持ってきてくれたのだ。


 あの時のやつは味噌付けて生で齧ったからすごい臭いだったな。白雪様からも真顔で『くっさ』と言われて何気に傷ついたものである。


 でもあたたかい思い出だ。雨と殺しで冷えた体も心も温泉に浸かるより暖かくなったよ。


「な、なんだ? 変な顔でじっと見おって」


 いえ。今日もありがとうと思っただけ。とばり殿も胴丸さんも。いつもありがとう。


 こうして手伝ってくれる妖怪がいるというのは、本当にありがたい事だね。


「訳が分からん。ミョウガでも食い過ぎて呆けたのかおまえは」


「隊長、白石様はご多忙ですから」


 うーん、日頃の感謝を伝えるって難しい。このやるせなさを180度の油にぶつけよう。温度分かんないから衣の種を落として計る原始的な方法ですが。


 鍋でパチパチとなる音とカンを頼りに、たっぷりの片栗粉をまぶしたさわらを投入。


 衣は大切。揚げ物の本体は衣と言っても過言では無い。衣が無いと蒸し焼きみたいに味気ないもんね。


 昔どこかのOLが店で注文した揚げ物からグチャグチャと汚く衣を剥がして『これでヘルシー』みたいな顔で食べたという話を聞いたけど、まあ醜い食べ方もあったもんだと呆れてしまうよ。


 揚げた衣が嫌なら蒸し料理でも食っとれ! ここが美味しいんでしょここが。


 油を切り、カリカリに衣がついたそれを網の上の和紙に乗せて、切った金柑を添えてフィニッシュ。


 完成。さわらの竜田揚げ、金柑と山椒の香りを添えて。


「胴丸、こいつまた阿呆な事を言い出したぞ」


「隊長、白石様はお疲れなのです」


 そこ、ヒソヒソしない。まず完成品一号を試食しましょう。


「うむ。あたたかいうちに食うのが礼儀だな」


 試食と聞くと目が煌めくのはさすが食いしん坊である。先程まで胡乱な目でこちらを見ていたのに現金なものだ。


 ではお付きの頭巾猫(シベリアンの雑種?)と他の料理人の方も交えて実食。


「――――悪くない。飯が欲しくなる味だ」


 ストレートにうまいとは言わずとも、とばり殿なりにおかずとして高評価を出してくれたらしい。買い食いのときにするちょっと緩んだ顔になっている。可愛い。


「山椒ばかりかと思いきや、白出汁の香りもちゃんと追いかけてきますな」


 頭巾猫からもまあまあの評価。今気が付いたけど猫ちゃんに柑橘類の金柑添えは不味かったかな。ちなみに本当のレシピだとレモンを添えます。


 残念ながらあの黄色いビタミンCイメージの代表格は幽世に出回っていない。すだちやかぼすは時期じゃない。なので旬の合ってすっぱい系の金柑を添えてみたのだ。


 考えたら御前だって猫の妖怪だし、これは念のため退けた方がいいかもしれないな。まあイカはパクパク食べてたから柑橘類も平気かもしれないけど。


「やはり白石様の御造りになる物は格別です」


 胴丸さんは目を瞑って味を楽しみ絶賛してくれる。ただこの子は付喪神なので味に感情という別の加点が入ってしまう。話半分くらいに聞いた方がいいだろう。


「少々下品な味ですが、変わり種としてはよろしいかと」


 一番辛辣なのは料理番の河童っぽい方。人型だけど雰囲気的にたぶんそうだろう。どこがとは言わないけど。うん、天辺がね。


 爽やかな夏野菜きゅうりに一家言ありそうな和食のプロの目からすると、これは脂っこいわ薬味が強いわでとかく野蛮に映るようだ。


 まあ健康面を考えるとグウの音も出ない代物だし、普段の御前の食事を預かる方からしたら良い評価を得られるものじゃない。


 これは逆に『だからこそ』の一品だ。恐らく御前はたまに健康に良くないくらいの暴力的な味がほしくなったんじゃないかな。


 たまにいつもと違った変わった物が食べたいと思うのは誰でも体験する事だろう。それは十中八九、新しい味と刺激が欲しいからだ。


 山椒をバッサバッサと入れたのはまさにそれ。いつもの料理番では出してくれないような医食同源の調和を無視した一品。それこそ素人の屏風これが出す料理として求められていると踏んだ。


「んふー、ちょううめー」


 いつの間にか箸とお茶碗持って隣りに出没するのやめてくれません? 全然気付かなかった。さすがニャンコの忍び足。


 気付けば試食だったはずの物は揚げた端から白雪様のお口に消えて行った。その後も味噌汁や漬物という黄金コンビまで持ち出して、いと尊きキャッツ様は台所の一角に居座られることになる。


 ええまあ。揚げたてが一番うまいですよね。途中から身を薄めに切ったので猫舌でも安心です。


 こうして屏風覗きが繰り出したさわら料理は、なぜか御前の下に運ばれることなく白雪様のお腹に直行して終了した。若干とばり殿が口寂しそうだった。


 後で作り方を料理番の方に教えるように言われたのは別にいいのだけど、白雪様の笑顔を見て本職のプライドが傷ついたらしく居た堪れない。あんなもの飛び道具みたいなものだから気にしなくていいと思いますよ?


 例えるならジャンクフードみたいなものだ。おいしくても食べられる方の健康を考えたら褒められたものじゃない。


 母親の出す健康を考えた料理に不満を示し、カップ麺食べたがるようなもんである。だがいつかはあなたの料理こそ一番と感じる事だろう。日々のごはんとは不思議とそういうものだ。


 ――――しかしこれが春祭りの初日、昼餉の一品として赤と黄の客妖怪客人らに振舞われる予定と聞いてちょっと得心した。


 なんの事はない。さわら料理を作れと言うのは赤と黄に充てた無言のメッセージのためだったのだろう。


 藍と関係が悪くてもこうして海の魚が簡単に手に入るぞ、藍に白のシンパがいるぞと暗に仄めかす事で『このまま白についたほうがいいよ』と三国同盟に釘を刺したのた。


 わさわざ揚げ物を指定したのも高価な食用油をバンバン使えるぞ、という経済的恫喝のために違いない。


 さすがまつりごとは伏魔殿。食事ひとつにも外交の駆け引きが含まれているのだなぁ。


 そして何より恐るべきは我らが白玉御前ボス。一代で国を興せる権謀術数は伊達ではない。まさに知略に長けた御方である。


 そう。決して単純に揚げ物食いてえ、とか思って命じたわけでは無いに違いない。


 たぶん!

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