第33話

 師匠との帰り道。学校から駅までの道のり。


「危ない!」


 突然、師匠がそう叫んだ。それと同時に響き渡る大きなブレーキ音。


 何事かと思い、辺りを見回す。僕の目に飛び込んできたのは、道路の真ん中で停車している車と、道路を渡り切った直後であろう猫の姿。おそらく、猫が道路を渡っている時に、運悪く車が来てしまい、車の運転手が慌てて急ブレーキをかけたのだろう。猫は、自分が轢かれそうになったのもお構いなしに、ゆっくりと建物の陰へと消えていった。


「よかった」


 ほっと胸をなでおろす師匠。


「よかったですね。轢かれなくて」


「うん、本当に。もしあの子が轢かれちゃってたら、私……」


 そう言って、師匠は、ブンブンと頭を振る。おそらく、頭の中で想像した映像を振り払っているのだろう。


「そういえば、師匠って、猫好きですよね」


 思い出すのはかつての記憶。師匠が、猫と見つめ合いながら、「にゃー」と鳴いたあの日。


 師匠には内緒だが、実は、あの日の出来事は自分にとってかなり衝撃的だった。それはもう、翌日の夢にまで見るほどに。


「……人並みには」


 あの日と同じ答えを返す師匠。


 師匠の猫好きは、人並みを超えているような気がしなくもないが。……まあ、あまり触れないでおこう。


 そんなことを考えながら歩き続けていると、先ほど猫が消えていった建物のすぐ横まで来た。チラリと建物の方を見る。猫は、もうどこかに行ってしまった後のようだ。ふと、師匠の方に視線を向ける。師匠も、僕と同じように建物の方を見ていた。ただ、僕とは比べ物にならないほど、建物の方を凝視していた。


 ……何だろう。このウズウズする感じ。


「あ、猫がいますよ」


「ど、どこ? どこにいるの?」


「あそこ、あそこです」


「……? いないよ。どこ?」


 僕の指さす方向を見ながら、師匠は一生懸命に猫を探す。だが、猫は見つからない。当たり前だ。だって、猫がいるというのは、僕のついた嘘なのだから。


「ごめんなさい、師匠。冗談です」


「……冗談?」


「はい」


 師匠は、僕の言葉を聞いて、ポカンと口を開けたまま固まってしまった。


 その様子に、思わず笑みがこぼれる。そういえば、師匠をからかったのは、これが初めてかもしれない。案外、楽し……。


「ふ、ふふふふふふ」


「し、師匠?」


 急に笑い出す師匠。気のせいだろうか。師匠の背後にオーラが見える。その色は、黒。いや、黒なんて生易しいものじゃない。いうなれば、闇の色だった。黒よりも黒い、闇の色。


「私をからかうなんて、いい度胸だね。ふふふフフフフフフ」


「ひええ……」


 その日、僕は、二度と師匠のことをからかうまいと心に誓ったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る