第15.5話 僕の師匠②

「え……?」


 思わず、僕の口から声が漏れる。彼女の言葉が、僕が全く予想していなかったものだったからだ。


「えっと……あの……」


「嫌って言ってるでしょ」


 再び拒絶する彼女。人間は、こんなにも冷たい声を出せるのだと、初めて知った。


 おそらく、ここは素直に引き下がった方が正しいのだろう。初めてきた場所で、いきなり誰かと揉め事を起こしてしまうなんて嫌だ。だが、僕の中にある何かが、それはだめだと告げていた。ここで引き下がったら、絶対に駄目だと。


 それは、中学生特有の反抗心なのか、それとも、もっと別の感情なのか。僕には全くわからなかった。ただ、引き下がるという選択肢を、僕は早々に頭の中から排除した。


「……お願いします。僕と、対局してください」


 僕は、彼女にぺこりと頭を下げた。


「……しつこい」


 そう言って、彼女は再び本に顔を戻す。諦めてあっちに行けと言われているような気分だ。


「…………」


「…………」


 無言が続く。会って間もない人とこんなに嫌な雰囲気になってしまったのは初めてだ。


 様子がおかしいことに気が付いたのだろうか。先生が、談笑を止めて僕たちの傍に寄ってきた。


「一体何が……ああ」


 僕たちの顔を交互に見つめた先生は、何かを納得したように頷いた。


「君、対局なら私がしようか」


 僕の肩に、先生の手が優しく置かれる。曖昧な笑みを浮かべる先生の表情は、どことなく悲しそうに思えた。


「……ありがとうございます。……でも、僕はこの人と将棋が指したいんです」


 そんな先生に向かって、僕はゆっくりと首を振る。


「そんなに無理強いするのは……それに、初対面で…………いや、違うな…………」


「……先生?」


 先生は、僕を諭そうとしたようだった。だが、どうしてだろうか。途中で言葉を切り、何かを考え始めた。僕が声をかけた後も、ただ黙って何かを考え込んでいた。そして……


「やっぱり、君たち、一局だけやってみなさい」


 思いがけないことを口にした。


 目の前の彼女の目が大きく見開かれる。きっと、今の僕も同じような表情をしているだろう。


「先生……私は……」


「君の言いたいことも分かるよ。でもね、これはチャンスじゃないかと私は思う。…………君は、ずっとこのままでいいと本当に思っているのかい?」


 戸惑う彼女に、ゆっくりと、言い聞かせるように言葉を紡ぐ先生。


 彼女は、先生の言葉にしばらく逡巡していたが、やがて観念したようにコクリと頷いた。


「……分かりました」


 読んでいた本にしおりを挟み、彼女はゆっくりと立ち上がる。その表情は、不安と恐怖に満ち満ちていた。

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