4、愛と情熱と渇望と欲望と狂気の再来
イナカンに来て1週間。トーキは今日も、手近な林で薬草採取を行っていた。
この1週間は、薬草を採取し、薬屋に納める毎日を過ごした。ドイナカン村では"薬草取りのトーキ"との二つ名で呼ばれただけあり、トーキは薬草探しが得意だった。それでも、トーキの野望まではまだまだ遠かった。
彼の野望は、"冬季に冬眠すること"である。そのためには、ある程度の蓄えと、なにより冬眠するための拠点が必須である。
もし宿で冬眠を実施した場合。半年近くも部屋に籠り切りになった客が居れば、"宿泊中に変死した"と思われること請け合いである。冬眠中は呼吸量が減り、体温も下がるだろうから、下手したら埋葬されてしまいかねない。
そのためには、何としても安全に越冬するための"巣"が必須である。
"巣"の確保として、トーキは下宿を借りることを考えていた。半年分の家賃を先払いしておけば、勝手に埋葬される心配も無いはずである。あとは、冬眠明けは"飢餓状態"であることが予想されるため、半年後でも食べられる保存食と水を準備しておくことも必要だ。
これだけの準備をするためには、まず金が必要となる。しかし、今の儲けでは、冬になるまでにこれらの準備が整いそうにない。
"最悪今年は諦める"という選択肢も脳裏をよぎるが、ここまで我慢してきたのだ。トーキは今年こそ冬眠を実行したかった。
「やっぱり、もう少し金が貯まる依頼を受ける必要があるか……」
独り言を呟きつつ薬草をちぎったトーキの耳に、パキリという木を踏みしめる音が届く。
音の方向を振りむくと、そこには緑の小鬼が居た。
「ご、ゴブリン……」
身長100cmほどの緑の肌をした小鬼だ。ガサリと草むらから姿を現したゴブリンは、ボロボロの革を腰に巻き付けただけの姿で、手には粗末な木製棍棒を持っていた。
ゴブリンの脅威度はそれほど高くない。しかし、必ず2体以上で狩りをするはずである。つまり、目の前の1体以外のゴブリンが、周囲のどこかに居るはずなのだ。
(しまった。周囲の物音にもっと気を配っておくべきだった)
思考に没頭してしまったために、ゴブリンの接近に気が付かなかった。トーキの実力では、2体以上のゴブリンを相手にするのはかなり厳しい。
「ギャギャギャッ!!」
目の前のゴブリンが、棍棒を振り上げてトーキに向かってきた。周囲でもガサゴソと物音が立つ。
一か八か! トーキは目の前のゴブリンに向け火の玉を発射する。
「顕現せよ、思慮を配し灼熱よ飛べ、エクサパイロ!」
火炎がゴブリンの半身を焼く。
「ギャギャァァァァ!!」
炎を受けたゴブリンが、悲鳴を上げてのたうち回る。トーキが"やった!"と思うより早く、横合いからもう一体のゴブリンが現れる。こちらのゴブリンは剣を持っている。
振り上げられた剣は、刃こぼれし赤サビだらけだ。だが、それでも振り下ろされればトーキの命を奪うだろう。
もはや火魔法は間に合わない。せめてもの抵抗として両手で頭を庇うトーキ。そして、
──ゴシャッ
トーキの元に届いたのは、赤サビだらけの剣ではなく、何かが叩き潰されたような音、そして、
「見つけたぁ」
遅れて彼の耳朶を打ったのは、底冷えする恐ろしい女性の声だった。
恐る恐る腕を下ろし、トーキはゆっくりと目を開く。が、視界に映り込んだのはギラギラと怪しい光を宿した何者かの目だけだった。吐息すら届きそうな距離で、顔を覗き込まれている。
「ひぎゃぁぁぁぁ!」
トーキは恐ろしさのあまり腰を抜かし、地面に尻を付けたまま1mほど後ずさる。
少し離れたため、"何者か"の全身が見えた。頭の先からつま先まで、全身赤茶けた"何か"で薄汚れている。その中で白目を血走らせた両眼だけが、強烈な光を灯して存在感を放っていた。もちろん、その視線はガッツリとトーキを捉え、微動だにしない。
その者は、手に持ついびつな鈍器でゴブリンを叩き潰したらしく、地面に接している部分には真新しい血だまりが出来ている。その鈍器もまた、奇妙な形状であった。持ち手には波状の模様が付いており、何かの動物の角を、そのまま持ち手にしているかのようである。さらに先端の鈍器部分、そこは白く歪な形の塊に、部分的に動物の毛皮が張り付いている。
(いや、違う……)
トーキがおぞましい事実に気づいたタイミングで、その"何者か"が更に言葉を紡いだ。
「どうしたのトーキ、再会できてそんなに嬉しい?」
トーキの全身に雷に打たれたかのような衝撃が走る。
いや、彼は薄々勘づいていた。だが、その事実から目を逸らしたい一心で気が付かないふりをしていたのだ。
「ぞ、ゾォン、久しぶり……」
そう、ドイナカン村で共に育った幼馴染。"イ・ゾォン"が、トーキを追って現れたのだ。
「よかった。やっぱりトーキには私が必要。急に居なくなるから、たくさん探した」
ゾォンは屈託ない笑みを浮かべ……、ていると予想される。汚れすぎて識別不能である。さらに、瞳は思考を感じさせない不気味な色を宿しているため、余計に判別しづらい。
赤茶けた何かで全身が汚れ、恐ろしい鈍器を携えた姿は"狂気"意外の何者でもない。
「そ、そのぉ、ゾォンさん? その持っているモノは……?」
ゾォンはきょとんとした顔を見せた後、自分の持っている"獲物"のことを聞いていると気が付き、笑顔で答えた。
「これはツノイノシシ。大きくて叩きやすかったけど、こんなに小さくなった」
ゾォンは、ドイナカン村周辺で見つけたモンスターである"ツノイノシシ"を
元々は、イノシシの全身がくっついていたのだが、彼女の攻撃に耐えられずに部位が剥落し、現在は頭蓋骨周辺部だけとなってしまったため、"小さくなった"のだ。
「と、とりあえず、ま、街へ、い、行こうか」
トーキは失神しなかった自分を褒めつつ、震え声ながらもゾォンを伴い街へと戻ることにした。この凶獣を野に放っては危険だからだ。
「うん」
そんなトーキの葛藤を知らないゾォンは、控えめに頷き、楚々とした態度で彼に従った。
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