Cut.16 〝吸血鬼たちの夜〈Ⅴ〉〟


ケヴィン・K・ロングフェローは孤児である。


ロングフェロー財団の管理する幾つかの孤児院で育った子供たち、その中でも特に優秀な才覚と人格を示した彼はビヴァリー・K・ロングフェローに見込まれその養子となった。


概ね真実ではある。

だがこの情報には、最も重大な要素が1つだけ抜けている。



ケヴィンをはじめとして数名の孤児がビヴァリーの元に引き取られた。

彼らは知能や運動神経で選ばれたわけではなかった。




――吸血鬼としての適性。


それが最も重要視された要素。

最終的に三人がビヴァリーの接吻くちづけを受け転成した。

表立って後継者に選ばれたのがケヴィンだったに過ぎない。


残りの二人、ケヴィンのはビヴァリーの腹心として活動している。


ケヴィンは表向き、引退して世界中を道楽で動き回っているビヴァリーの父、スティーヴン・K・ロングフェローのお付きをしながら見分を広めているという立場だ。



その鬼化の経緯から、ケヴィンにはビヴァリーと接した記憶はほとんどない。



だがそのに言われた言葉で一つだけ、忘れられない言葉があった。



――長い仲間ロングフェローだ、ケヴィン。


吸血鬼の夜は永い、あまりにも永過ぎる。

おまえの血祷では難しいかもしれないが。

信頼できる友人を見つけ、大切にしなさい。




聖骸王イシュトヴァーン/スティーヴンは偉大な父祖だ、尊敬している。

だが彼の視座は高過ぎ、生きた時間の差は大き過ぎた。

常人ならば、いつか父は死に、

子は同じ長さを生き、同じ年齢を重ね、同じ境地に至る事もあろう。


吸血鬼にそれはない。

親は死なず、子は親と同じ刻を生きる事はない。

それは不死なるもの、その間に横たわる永遠の断絶である。


だからだろうか、そんな風に明白な、言語化できる納得があったわけではないが。

ケヴィン・K・ロングフェローは偉大なる祖父よりも、顔を見る機会の滅多にない父の方が好きだった。


だからというわけではない。

決して父に言われたからではない。



ケヴィン・K・ロングフェローがシメオン・フェテレイネンに友情を感じている。



情愛ではない。

吸血鬼の常としてケヴィンにその感情は薄かった。

家庭を持ちたいとか子供が欲しいと思う事もない。



情欲ではない。

女に困った事など特に無かったし、その衝動は薄く。

そもそも彼の性的な理想形には背も胸も尻もまるで足りない。



だからこれは友情であり尊敬だ。

あるいは感謝であり恩義であるとも言える。



あの餓鬼たちからシメオンが彼を救う義務はなかった。

あの通路でケヴィンを安全圏に押しやり立ちはだかる必要はなかった。


傷を癒したケヴィンが一人、自分だけ逃走するかもしれない。

そんな可能性を視野に入れておきながら。


、思えてしまうあの少女は美しいと思った。

そのこころの在り方が美しいと思ってしまった。



だからこれは彼にとって当然の決断であり、選択だった。


熾天博ボナペントゥラに会議への出席を拒まれ、気まぐれに一人夜の街を彷徨さまよい。

あの女を。


餓鬼の脳裏に刻まれていたあの黒髪の女を雑踏に見つけた彼に。

見過ごすという選択肢はなかった。


シメオンの敵か、己自身ケヴィンの敵か。

どちらであるかを考えるまでもなく、ミルは彼らの敵なのだから。



彼のメールへの、シメオンの反応は迅速だった。

熾天博ボナペントゥラは何かの勘違いだろうと取り合わなかったそうだ。

聖骸王イシュトヴァーンの反応も似たようなものだった。


彼らの狩猟者プラキドゥスへの信頼は度が過ぎている。

過去、かの狩猟者に追われて生還した吸血鬼が一人もいないという事実がそうさせているのだろうが、この場合その信頼はあまり良いこととは思えなかった。


凱旋者ゲオルギウスの連絡先をケヴィンは知らない。

シメオンは知っているそうだが反応はないらしい。

なにやら今夜は映画館ナイトシアターを夜通し巡ると言っていたらしい。

しっかり電話の電源は落としているらしい、マナーの良いことで!


そして当然ながら狩猟者プラキドゥスの連絡先など誰も知らない。

というかそもそもあの吸血鬼かいぶつが、電子機器スマートフォンを使うところが想像できない。


凱旋者ゲオルギウスが聞けばそれこそ爆笑しそうな事を考えながらケヴィンは夜の雑踏を早足で駆けていく。


雑踏の中を数多の思考が流れていく。




――彼の血祷、〝談絶アサイラム〟は確かに強力ではあるが万能ではない。


他人のかんがえを読むことができるとは言っても、裏を返せば相手が考えてもいない事は読み取れないという事でもある。



女は月がキレイだとかあの服いいなとか、そんなありがちな事しか考えていない。

意図しての事ではないだろうが吸血鬼かどうかすらケヴィンには確認できていない。


談絶アサイラム〟を生かすには対話が必要だ。


相手に質問を投げかけるだけでいい。

沈黙や虚偽は意味をなさない、相手が脳裏に思い浮かべるだけでいいのだから。


だからこそ、一人ではあの女には迫れない。

何を知ったところで死んでしまっては伝えようがなく。

彼の四肢はいまだ完全に再生を終えていない。


まだあの戦いから一日と経過していないのだ。

こんな時は自分の再生の遅さが嫌になる。


女を尾行する、女はだんだん人気のない方へと向かっている。

人が少なくなるほど尾行に気づかれる危険は上がる。

人が少なくなれば雑音ノイズは減るし、談絶アサイラムの精度も上がりはするのだが。



まだか、友よシメオン

早く来てくれ、この状況は俺一人には荷が重い。


思わず心の中で独白する。

そしてそんな自分に驚きを感じずにいられない。


ケヴィン・K・ロングフェロー。

おまえはいままでいつだって何でも一人で解決してきたのではなかったか。


苦笑する。

たった一夜で随分、ケヴィンは弱気になったものだと。



苦笑する彼の、なじみ深い気配が斜め後方から近寄って来る。

振り返りはしなかった、誰かはもうわかっている。



「——ごめん、遅れた」



「30mほど先だ、あまり注意を向けるな。

 感づかれる」



囁くように言葉を交わす、その相手はもちろん我が友シメオン



短く言葉を交わす、心を読むまでもない。

彼女は聡明で、こちらの言葉の先も裏も読んでくる。

敵に回せば厄介だが味方としてはこの上なく心強い。



「……もう少し人気のないところに出たら仕掛ける。

 相手の背後関係とか、読めそう?」



「任せておけ。

 相手が止まったら教える。

 ……SLRは飲んでないよな?」



「まさか」




**************************************




――黒髪の女の前にシメオンが割り込む。



それを10mほど離れた位置からケヴィンは見ていた。



「ちょっとそこの人」



「……?」




女が困惑の表情を浮かべ、次の瞬間。


『この娘はシメオン。

 、』



談絶アサイラム〟がを読み取った瞬間ケヴィンは叫んでいた。




「——駄目だシオン!」



ケヴィンの警告は失敗だった。

駄目だ、ではなく避けろ、あるいは触れるなと彼は叫ぶべきだったのだ。



女が手を伸ばし、それを叩き落そうとシメオンは片手を振り上げている。

同時に、シメオンは飛び下がろうとしていた、それがすれ違いを生む。


シメオンは躊躇する。

ケヴィンの血祷を知っていたからこそ生じた迷い。


その瞬間シメオンは駄目だ、という叫びのその意味を考えてしまった。



下がるな、という意味と。

迎撃するな、という意味と。

どちらの意味かで迷ってしまった。


時間にすれば1秒以下の困惑。

だがその迷いが生んだのは致命的な結果。


女の手が、宙を撫で半ばで止まっていたシメオンの手首をつかむ。

ばぢん、という耳障りな音がしてシメオンの身体が崩れ落ちる。



「シオン!」


ケヴィンはすでに駆け出している。

崩れ落ちるシメオンの身体を引き寄せようとして、だが。


既に女はシメオンの腰をつかみ、その小柄な体躯を抱き留めていた。

咄嗟に延ばされるケヴィンの手、だがその手はシメオンを掴むことなく停止する。



女が小首を傾げる。

なぜ、今手を伸ばさなかったの?と言わんばかりに。



「あら、良いのですか取り返さなくて?」



「——ッ」



ケヴィンと女は、数mの距離を置いて対峙している。


彼の血祷は、〝談絶アサイラム〟はすでに感知している。


女の全身は微弱な電荷に覆われていた。

先の接触で起きたことも過不足なく理解できている。


この女の、




断片的にであれ、読み取れた情報は十分に事実を想像し得る。

この女の血祷は、というもの。


あるいはは別の場所にいるのかもしれない。

そこまでは判断がつかないがそれで何もかも筋が通る。


狩猟者プラキドゥスに始末されたこいつは、

こいつは複数の身体と、身体ごとに個別の血祷を有する吸血鬼。


そして、今この状況はケヴィンにとって最悪に近い。


全身を覆う電荷によって阻まれ、女の意識は読めない。

触れればその瞬間に高圧の電流が四肢を麻痺させて自由を奪うだろう。

つまりシメオンに起こった事はそういう事だった。



ケヴィンの血祷は通じない。

負傷は回復しきっていない。

シメオンは自由を奪われ相手の手の内にある。


勝利条件は殺傷ではなく無力化。

こいつを殺しても得られるものはなく。

無力化し帯電を止めて意識を読める状況に持ち込めなければ得られるものはない。




「あなたは確か……、ケヴィンさんでしたか。

 どうして彼女と連れ立って私を追ってきたのかはわかりませんが。

 ……その様子を見るに何かを把握なさっているのですね」



女は丁寧な口調でそう告げて、抱き留めたシメオンの髪をそっと撫でる。



じり、と思わず後ずさりする自分の脚に苛立つ。

圧されるなケヴィン・K・ロングフェロー。


態度でわかる、身にまとう気配でわかる。

この女は第2世代、第3世代の自分より格上だ。



撤退は許されない、この女の狙いが自分ならいい。

だがもしもその狙いがシメオンならば。

今の状態で取り逃がすことは致命傷でしかない。


彼女シメオンを見捨てるという選択はなかった。



力を失ったその彼女の上半身が崩れ、うつろな瞳のその視線がケヴィンに向く。

女はあらあらと笑いながらいっそ優し気な手つきでシオンを抱えなおす。



矜持プライドは投げ捨てた。

読まぬと決めた彼女の心を読む、彼女が自分に伝えようとした何かが。

そこにあるのだと信じて。

今、彼女は確かに自分の意思で振り返ろうとしたのだとケヴィンは判断した。




「——シメオンをはなせ」



「お断りします。

 取り返したいなら力づくで来られてはいかが?」



女の言葉は挑発的で、ケヴィンは冷静さを務めて維持する。

談絶アサイラム出力ゲイン最小ミニマムから最大マキシマムへ。


人並みの再生すらできない。

体調は万全ではなく、速力を生かした奇襲には人質が邪魔だ。

使えぬ血祷であろうとケヴィンにとって手札は1枚。



半径5mから10mへ、10mから20mへ。

20mから40m、40mから100mへ。


見渡せ、俯瞰しろ、世界を見下ろし使えるものを見つけ出せ。




大気に満ちた微弱な静電気の流れすら知覚する。

視線を外す、相手を見る必要はすでにない。


女の注意が逸れる、こちらの視線の先を探るように。

爪先で小石を蹴り上げ、女めがけて蹴り飛ばす。


ばぢん、と高圧の電荷が弾ける。

女の全身を覆う電圧が自動的に攻撃を迎撃する。


抱きあげられたシメオンの身体が痙攣する。

歯痒いがその事実は無視する、その状況をすら冷徹に俯瞰する。



奇襲すら通じない、

全身を覆う帯電の鎧は接触した瞬間に圧力を上げて対象を弾く。

それが生物なら最低でも四肢の1つは麻痺させる出力だ。


相手の手札を1枚、把握する。


次。


小石を蹴り上げる。

足元の小石の数すら今の〝談絶アサイラム〟は把握する。


空中で小石を掴む。

地面を蹴る、女の死角に回り込むように。


今度は時間差で小石を投擲。



電撃いかづちの鎧が再び小石を阻む。

1つ、2つ、3つ。



地面を蹴る、ビルの壁面を蹴る、駆け上がる。

頭上から再度投擲、4つ、5つ、6つ。



「無駄ですよ。

雷躯トール〟に死角は、」



「あるさ」



7つ、同時に壁を蹴って急降下する。

すれ違いざまに手を飛ばす。


女が初めて動く、伸ばされたケヴィンの手を阻むように。



「惜しかったですね」



女が笑う。

シメオンを奪取できなかったケヴィンを嗤う。



「そうでもない。

 俺の狙いは最初からだよ」



ケヴィンはくるりと掌中てのなかの短剣を回す。

女が眉をしかめる。


ケヴィンが手にしているのはシメオンの短剣ナイフ

先の一瞬でシメオンが伝えた手札の1枚を引いたドロー



「〝雷躯トール

 と、言ったか?

 言うほど無敵でも、死角のない血祷でもないな」



高電圧で攻撃を自動迎撃し相手の自由を奪う血祷。

だがその死角をケヴィンの談絶アサイラムは既に知覚している。


あの高電圧をことはできない。

体内で適宜電圧を上昇、——昇圧させているのはもう把握していた。


短時間で連続して発動すればその度に、その電圧は落ちていく。

当然だ、維持できないのだから連続で使用すれば効果は落ちる。


絶縁体ゴム製のグリップを掴みながら、ケヴィンは笑い返した。




「逃がさないし、許さない。

 彼女は返して貰うしおまえは倒す」



宣言、同時。


疾走する、地面を蹴る、壁を蹴る。

小石を再び投擲する。

女を守る雷躯トールが反応、


全身を覆う電荷の鎧が性質を変えているのは

おそらくは対象の大きさサイズ識別フィルタリングしている。


先の数個より一回り大きな石を投擲。

反応、


直後にケヴィンは短剣の鍔についた


射出された刃が狙い過たず女の肩口に突き刺さる。

致命傷には程遠い、だが。

吸血鬼の身体構造は基本的に人体と変わりない。

肩口のすじが切断され女の片腕が意志に反して下がる。



「フッ!」



蹴る、女をではなくシメオンの肩を。

反応した雷躯トールが電撃を放つが勢いを止めるには足りない。

シメオンの身体が女の腕から零れ落ちる。



ケヴィンは再び短剣の鍔についた引き金を引いた。


この短剣はただの短剣ではない。

熾天博ボナペントゥラの謹製品。


シメオンをいつか襲った吸血鬼の血祷を再現したもの。


ケヴィンの掌から血を吸った握りグリップが血刃を構築する。

血装具Blood-born

それがこの短剣に与えられただ。



ケヴィンが短剣をふるう、女が腕を振り上げてそれを防ぐ。

わずかに肌を引き裂くにとどまった、だが。


女は嗤う。



「——おもしろい。

 ボワの血祷の再現ですか。

 作ったのは熾天博ボナペントゥラですか?

 なかなかの道具ですが残念、相性が悪かったようですね」


一瞬の交錯で性質から用途まで看破するその慧眼は熟達の吸血鬼特有のもの。


女の傷口が瞬く間に塞がる。

人間の血液型と同じく、吸血鬼の血にもいくつかの種類がある。

同型の血ならば輸血しても凝固しないように、再生を阻害しない組み合わせもある。


自分の組み合わせでは女の再生を阻害できない?

、とケヴィンは思う。



再び引き金を引くトリガー

血刃が再構築される。


振り下ろすと見せて再び引き金を引くトリガー

射出された刃を女の手刀が迎撃する。


ケヴィンはその間に十分な距離を獲得していた。


砕けた刃が血に還り、女の身体に降りかかる。


引き金を引くトリガー

血刃が再々構築される。


加速は十分、身体ごと圧し込んだ刃は女の胸を貫きビルの壁面にすら食い込んだ。

2人の身体が密着する。


女が嗤う、勝利を確信した顔。

雷躯トールが任意に起動する、最大出力。

密着状態にあるケヴィンの全身を焼く威力。


――そのはずだった。



だが、ケヴィンの談絶アサイラムは既に最大出力で起動している。


たとえばそう、認識できる出力レベルで。

彼の手は設置線に届いており、電撃は流れやすい方へと流れる。

女とケヴィンの間には絶縁体の血液、電撃はケヴィンの腕だけを焼いて壁内へ。


女の顔に驚愕が浮かぶ。

雷躯トールが次の雷撃を装填するのは間に合わない。

ケヴィンは右腕を引き抜き短剣を左手に持ち替えている。


勝利を確信した瞬間にこそ最大の隙が生じる。

精神の動きをケヴィンほど熟知した吸血鬼はそう居ない。



引き金を引くトリガー

再々々構築。


ケヴィンの身体が旋回する。

倒れ込みながら加速し女の視界から消える。

十分な速度を以て女の死角から後頭部を抉る刃。


吸血鬼を殺さずに無力化するなら脳幹を破壊すればいい。




ずるりと、女の身体が崩れ落ちるのを見てケヴィンは荒い息を吐いた。


最大出力で起動し続けた談絶アサイラムは彼の神経系を焼いている。

右腕はずたずたに壊れていたし、再生にはかなりの時間を要するだろう。

どこかで一手でも仕損じていれば、女が慢心し油断していなければ。


結果は恐らく異なっていた。

だが、それでも。



「——俺の勝ちだ、クソ女」



ケヴィン・K・ロングフェローは勝利した。

忌々し気に吐き捨てた青年の顔に喜びはなかったが。



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