第22話 貴族令嬢VS立ち食い寿司

「発泡酒を開けて」


 缶のプルタブを開ける。シュワシュワと炭酸の弾ける音は、駅前の雑踏にかき消された。

 マリーは少し周りを見渡すと、壁と壁の角に残業明けの疲れた体をぴったりとはめ込む。


「でさーうちの旦那がギャハハハハハ」


 中年のおばちゃん同士が話し込む。旦那の悪口で爆笑していた。


「このあとタピオカいくー?」


 女子中学生のグループが笑いながら歩いている。駅前のタピオカ屋に向かっていった。


「さきいかをつまみに呑む」


 開けた袋から頭だけ出したサキイカを、くわえる。そのままムシャムシャと噛みながら、発泡酒を一口グビリと呑んだ。

 マリーの視線は駅前の人々を見つめ続けている。その眼差しは、冷めていた。


「えーその件ではうちのミスですので本当に申し訳なく……」


 携帯越しに話しながらペコペコと頭を下げるサラリーマン。家路を急ぐOL。そんな人々を見ながら、マリーは冷めた目で酒を呑む。


「つまみに呑む……」


 もぐもぐとさきいかを飲み込み。酒を流し込む。やがて、貴族令嬢の手が止まった。

 

「……」


 そして、ぐしゃりと空になった缶を握りつぶした。


「ステーションバーなんてぜんぜん楽しくないですわ!!!」


 漫画でやってたからとりあえず試してみたが、やはりこれはダメだ。


「駅の隅っこ挟まってその辺のおばちゃんや学生見ながら酒のんでなにか楽しいんですの!!!??」


 なにが楽しいんだろうか。


「なにが!!! 楽しいんですの!!?」


 大事なことなので二回言ってみた。


 △ △ △


「あー試しにやってみましたけれど、飲み代無駄にした気分ですわ……」


 微妙だと思ったものはやはり試すべきではない。貴族たるもの慎重に戦うべきであった、


「この傷心は、次の店で癒やすしかありませんわね」


 そういうと、貴族令嬢は優雅な足取りで立ち食い寿司屋ののれんをくぐった。


「はいいらっしゃい」


 店員の出迎えに、指一本立てて返す。


「一人ですわ」


「ではこちらのカウンターで」


「ビール、それと味噌汁を」


「へい今すぐ」


「大きめの駅の中には立ち食い寿司屋というものがありますわ。立ち食いそばのように立って職人の握った寿司を食わせるスタイルの店ですの」


 カウンターのみで寿司や酒を出す。電車の待ち時間に気軽に寿司を食えるといったスタイル。

 目の前で寿司職人が握ってくれるところを直に見れるところも売りだろう。寿司マシンとはやはり味わいも違って感じるものだ。


「回転寿司よりも上、だが回らない本格的な寿司よりは下という微妙な中間ラインを駅ナカという入りやすさを武器に攻めるジャンルの立ち位置……」


「江戸前寿司の発祥はこういった立ち食い屋台で食べさせる寿司屋、実は本来の源流にもっとも近いあり方の寿司屋スタイルと呼べるものですわね」


「はいビールと味噌汁です」


 受け取ったジョッキに口をつけた。


「まずは喉にしめりけを!」


 グビグビと呑む。


「季節のネタから攻めたい気分ですが、それは後に取って……タイ、アジ、赤貝お願いしますわ」


「へい」


「寿司の食い方はいろいろこだわりを問われますが……」


 白身など味わいが淡白なものは先に。油の強いものは後に。ガリはホイホイ食べ過ぎない。色々と寿司食いには堅苦しいものがある。


「私はその時の気分で好きにやる派ですわ」


 貴族令嬢は、寿司だけは食べ方に指図されるのがこの世で一番嫌いだった。


「寿司食ってるときに細かいことなんか考えたくありませんの!!」


 自分の稼いだ金で寿司を食うのである。他人が文句を言われる筋合いはないと貴族令嬢は考える。


「日本人なら目の前の寿司に無心になるべきですわ!」


 寿司は自由だ。自由に寿司を食うべきなのだ。少なくとも、この一瞬は。


「残業で疲れて空腹のときはなおさらに!!」


 今夜のマリーのHPは20くらいしか残ってない。


「へいタイアジ赤貝」


 出された寿司、その鯛をマリーは素手でつかむ。マリーは寿司は素手でたべる派だ。


「回転寿司もけして悪くはありませんが、懐に余裕があるうちはやはり目の前で職人が握るやつをガッツリ食べておきたいものですわね……」


 寿司は旨い。安くても少し高くても旨い。寿司を逆さにし、醤油にネタの方をちょいとつけ、一口で頬張る。


「タイ、白身の基本…そして夏が旬のアジ、私の好きな赤貝……」


 ヒョイヒョイと寿司が消える。交互にビールで流し込む


「追って味噌汁!」


 あおさの味噌汁。熱い旨味が胃を癒やす。


「外人にこの快感はわかりますまいに!!」


 カリフォルニアロールが好きなやつらにこれをわかってたまるか。


「ひらめとうなぎ、あとハマチお願いしますわ」


「へい」


「開いた間をガリをつまみつつ味噌汁を味わう……寿司屋のガリはついついつまみすぎて困りますわね」


 しゃくしゃくとガリを噛む。甘酢と生姜の爽快感はやはりやみつきになるものだ。


「あおさノリの味噌汁、大好きですわぁ」


 ズズズと味噌汁を啜る。店内のオススメをみながらなにを頼もうか考えを巡らせる。この瞬間がマリーは好きだった。


「あと日本酒、八海山で」


「あいただ今」


 運ばれてくる升酒。


「ビールから日本酒への切り替え、スムーズに行えるかが酒飲みの技量というもの。ここは経験がものをいうのですわ」


 そろりと頼んだ寿司が並ぶ。それらを貴族令嬢は無心で食べ、飲み込み、胃にぶち込む。そして酒で流す。シコシコとしたひらめ、濃厚なツメのうなぎ。ハマチの油の甘み。

 順番なぞ関係ない。食べたいときに食べたいものを食う。寿司を前にすればマリーは獣だ。

 

「ここらでそろそろ旬のものを……するめいか、それとイワシとすずき」


 されど獣とて季節は愛でるもの。


「へい」


「寿司を思い通りに食える。社会人になった喜びですわね」


 正直好きなときに好きなだけというわけではないが。


「へいいかにイワシとすずき!」


 即座に寿司に伸びる手。


「イカの甘味、最高……イワシも脂がありますわねぇ…」


 そして升酒。コップの縁に口をつけた。


「もっきりの八海山……」


 すすり込む。日本酒の芳香が、寿司を何倍もうまくする。高めあう両者。


「口中に夏の日本海…!」


「開いた隙間へ升に入った分を注ぐ…!」


 慎重に作業。粗相は許されない。


「一滴残らず…! この作法だけはきっちりやっておきたいですわね…あ、あと炙りとろサーモンとかわはぎお願いしますわ」


「へいかわはぎ、それととろサーモン今炙りますねー」


 そして突き出される白身のカワハギ。焼きたての香り漂う炙りとろサーモン。


「かわはぎは夏が旬……そしてかわはぎの本体とも言える肝を上に載せてくれるありがたさよ」


 歯ごたえあるカワハギに肝のとろりとした旨味が加わる。応えられない。


「そして炙りとろサーモン。江戸前にサーモンはないなんて今はもう言うのも野暮というものですわ。美味いものが寿司屋にあってなにが悪いというの」


 サーモンの脂が熱で溶け出しこれも絶品だ。


「八海山、冷やでもう一杯お願いしますわ」


「へい、八海山の冷や!」


 酒だ。酒がどうにも足りない。


「近頃は低糖質といいながら酢飯を残す人もいるという、愚かしいですわね。このシャリとネタの渾然一体となったものを味わわずしてなにが寿司ですの……」


 貴族令嬢は寿司の食い方に文句はつけられたくないが、他人の食い方には遠慮なくつける女だった。


「あと酒、寿司に絶対酒必要ですわ。手巻きのあなきゅう、あと漬けマグロに生だこ」


 △ △ △


「はいまいどありがとうございます」


 のれんを出る。そろそろ夜九時近い。遅くまで呑もうという気もおきないので、そろそろ帰るか。


「ふぅ…思ったより食べてしまいましたわねぇ。やはり寿司屋、気が抜くと勘定が思ったより高かったりしますわ……」


 レシートをみながらスタスタと駅中を歩く。何度見返しても頼んだものしか書かれていなかった。


「ふぅ……人手不足で明日の現場も多分残業ですわね。明日の気温は……」


 スマホで明日の天気を見る。


「天気予報だと超快晴の38度かぁ。家で寝てたいですわあ……」


 七月の時点で、太陽は人を殺そうとしている。


「……いえダメですわこういうときに諦めてはサボり癖がつきますわ。行くといった以上はいかないと」


「貴族たるものは働けるうちに働くのよ、マリー」


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