157.

「いやー、いっぱい買ったねー」

「買っちゃいましたねぇ。バケットハットどころかキャップも買ってしまいました」

「試着した時、似合ってたもんね。こうやって新しい服を買うと楽しみになるよね、お出かけするのが」

「そうですね。来週末はちょっと遠出するので楽しみです」


 ちょっと休憩。目に入った喫茶店で一服しつつ、真横にあるお互いの紙袋を見て黄昏る午後三時。

 出かける前は来週着る服が買えればという気持ちだったのに、気づいたらひと夏を満喫できるくらい買い物してしまった。


「これだけ買っちゃうとクローゼットに入るか心配になっちゃうなぁ」

かえでさんの部屋は広いし大丈夫でしょう。むしろ私の部屋が心配ですよ……」

「あー、そっか。部屋が一つだとあんまり荷物置けないね。でも確かウォークインクローゼットなかったっけ?」

「ありますけど、日用品の在庫でいっぱいなんですよ。トイレットペーパーとかティッシュとか。つい買い溜めしちゃって」

「あるあるだね。何回も買い物行きたくないから、出かけたついでにたくさん買っちゃう」


 部屋に物を置きすぎるのが好きじゃないからクローゼットに押し込んでいるのが現状だ。

 未だ彩織いおりがいる時に開いたことが無いクローゼット。ある意味、開かずの間とも言える。


「もうちょっと広いところに住みたいなぁ」

「引っ越さないの?」

「軽く言ってくれますね……。お金かかるから、そんなに簡単に引っ越せませんよ」

「昔と違うんだから、もう結構お金貯まったでしょ? 何かにお金つぎ込んでるところも見たことないし」

「まあ、確かに。昔に比べればそれなりに貯金出来てます」


 貯金がほぼゼロ円だったあの頃とは違う。ちゃんと毎月決まった額を貯金しているのだ。

 同年代と比べても貯金出来てるほうだと思う。生活費以外に使う場所もないし。


「じゃあ今より広いところ住めるんじゃない?」

「不可能ではないと思いますけど、今は……」


 彩織がいるから。

 どんなに広くて良い部屋に住んだとしても彩織がいないのなら何の意味もない。私にとっての最良物件は今のアパート、彩織と隣同士でいられるあの部屋なのだ。


「あの子が卒業したらどうするの?」

「どうするって……」

「大学に行くのか就職するのか知らないけど、高校を卒業したら家を出ちゃうんじゃないの?」


 それは今まで一度も考えたことがなかった。彩織が社会人になるのはまだ先の話だとばかり。

 まだ六月だ。半年以上の高校生活が残っている。その先を考えるのは些か早計じゃないか?


「まだ先の話ですよ。来年の三月まで半年以上残ってる。今考えるのは早すぎなんじゃないですか?」

「そうは言っても時間が過ぎるのってあっという間だからね。気づいたら二十歳になって、三十路になろうとしてる。あー、これ以上歳取りたくない」


 確かに社会人になってから時間が過ぎるのが早くなったような気がする。時間の流れは変わらないはずなのに、気づいたら歳を取っている。

 私も今よりもっと歳を重ねたら楓さんと同じことを言うのかな。


「ああ、そういえば。来月誕生日だね」

「覚えてたんですか?」

「もちろん覚えてるよ。七月二日。合ってる?」

「はい。合ってます」


 もう少しで私も二十三歳か……。そう考えるとさっき楓さんが言っていたことにも頷ける。確かに歳は取りたくないものだ。


「もう二十三歳って考えるとやっぱり早いよね。出会った頃は十八歳だったのに」

「それ、ブーメランですよ。私からすれば、あの頃の楓さんは二十三歳でした」


 そりゃそうだ。楓さんは顔を抑えながら、くつくつと笑っている。


「お互い、歳を取りましたね」

「大人になった。って言ってよ。その言い方だとオバサンみたいじゃん」

「三十路まで秒読みでしょ。四捨五入したらもう……」

「四捨五入は止めてー!」


 ひらひらと手を振りながら、楓さんは恨めしそうに言う。

 こうは言っていても、楓さんなら歳を重ねても素敵な女性になるはずだ。これを言ったら調子に乗るだろうから絶対言わないけど。



「来月って言えば……今年も行くの?」

「はい」

「その……大丈夫?」

「……大丈夫です。平日に休みを取って行こうと思っているので」

「そう……。それなら、良いけど……」


 主語は無い。だけどお互い分かっている。楓さんが何を指して言っているのか、何を心配しているのか。


「あまり心配しないでください。もう終わったことですし。心の整理は大昔に終えているつもりです」

「…………」


 楓さんは複雑そうな表情かおで私を見ると口を開きかけた。だけど一瞬の逡巡を経て、口を固く結んだ。


「羚が良いなら、良いけど……。しんどくなったら話しなよ。誰でも良い。彩織ちゃんでも、私でも。話すだけで心が軽くなるかもしれないんだから」

「大丈夫です。本当に。大丈夫ですから」


 頑なな私の態度を見て、これ以上何も言うまいと楓さんは目を閉じる。

 こればかりは私の問題だ。いつか話したいと思うけど、まだ話したくない。いつかきっと。彩織にもちゃんと話したい。

 

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