135.

 定時ぴったり。というわけにはいかなかったが、残業はせずに会社を後にする。

 週末の飲み会の話が予想以上に盛り上がってしまって、解散が遅くなってしまった。

 だけどそのおかげで集合時間や場所、お店が決まった。あとは幹事である私が予約するだけ。家に帰ったら早速お店に電話してみよう。


「お疲れ様です」


 すれ違う人々に挨拶しつつ、駐車場へと急ぐ。

 彩織いおりのチャットによると今日は十九時過ぎに家に来るらしい。脱ぎっぱなしになっている服と出しっぱなしになっているペットボトルを片付けておかないと。

 彩織の前では出来るだけ良い大人でありたい。それがただの見栄だと分かっているけど、そうせずにはいられない。だらしないところは見せたくないのだ。








『これから行くね』


 夜ご飯の準備をしているとスマホが震えた。それがチャットアプリの通知であることはすぐに分かった。もちろん相手が彩織であることも。


『待ってる』


 すぐに返信をしてポケットにスマホを仕舞う。きっと数秒したら玄関が開き、彩織がやってくるだろう。

 ……スープは完成しているし、もう火を止めておこうか。

 鍋に蓋をしてガスコンロの火を止める。そして二人分の食器を出して準備完了だ。

 彩織が副菜は任せてって言っていたし、私が作るのは一品だけ。あまり多くは食べられないし、これだけあれば十分だ。




れいちゃん、入るよー」

「どうぞ」


 チャイムが鳴り、彩織の声が聞こえた。

 合鍵を渡してあるものの、彩織は必ずチャイムを鳴らす。律義だ。きっと学校でも職員室に入る時はノックを忘れない優等生なんだろうなと思う。


「あ、良い匂いする……。ポトフ?」

「うん。作ってみた」

「美味しそう。お腹空いたし、先にご飯食べよ? はい、これ。お皿は持ってこなかったから貸してくれる?」


 彩織から大きめなボールを受け取り、中身を見る。これは……?


「……お洒落なサラダ?」

「マリネだよ。サーモン入ってるけど、食べられる?」

「サーモン好きだから大丈夫。美味しそう……」


 なんだか良く分からないけど、お洒落なサラダ。それがボールの中身を覗いた私の第一印象。

 こんなものまで作れるのか……。彩織は料理人でも目指しているのだろうか。




「いただきます」


 副菜とスープをお皿に盛り付け、洋室のテーブルへと運んだ。彩織が作ってきてくれたマリネのおかげでかなり豪華に見える。お洒落な晩餐だ。


「マリネ美味しい……!」

「……良かった。結構簡単に作れるから、羚ちゃんも作ってみなよ。今度レシピ渡すよ」

「う……分かった。今度やってみる」


 そう言われると挑戦しないわけにもいかない。彩織が言う簡単と私の思う簡単に差がないことを願うばかりだが。






「それで今日のお昼にチャット送った話なんだけど……」


 豪華な晩餐も終わり、食器を持って立ち上がろうとした時、彩織はようやく本題を切り出した。


「友達と話せた?」

「話せた、けど……どうも納得がいかなかったみたい」

「納得がいかない……?」


 納得って……その友達は彩織に何を求めているんだろう。

 同性と付き合っていることが認められないのか。それとも歳が離れた大人と付き合うことが許せないのか。どちらにせよ、快く思っていないことだけは分かった。


「女の子が女の子と付き合うことに反対してるわけじゃないんだよ。現にそういう子は周りに何人かいる。別に珍しいことじゃないから」

「ということは……」

「相手が大人、それも五つも離れてるとなると、ね……」


 悪い大人が彩織を騙しているんじゃないか。そう言いたいわけだ。

 彩織が続きを言わなくたって分かる。それは私が今日のお昼に想像した通りの、彩織の友達にとって当然すぎる懸念だからだ。


「それ、私と会って解消されるのかな……。五つ離れてることは変わりようが無い事実なんだけど……」

「大丈夫だよ。羚ちゃんが良い人って分かれば納得してくれるよ」

「本当に……?」


 ……本当にそうだろうか。彩織は少しだけ楽観的だと思う。手は出してないにしても、高校生と付き合う私は十分悪い大人だろう。


「だって良い人じゃん、実際。会えば分かるよ」

「そうかなぁ、自信ないけど……」


 彩織が私をそう思ってくれているのは嬉しいけど、人の意見は十人十色、彩織の友達が同じことを思うかどうかは分からないのだ。


「その友達はどんな子なの?」

「前にも少し話したけど、小陽こはるちゃんは……学校で一番仲が良い友達なの。一年生の頃からずっとクラスが一緒で、私の家庭事情も知っていて。きっと純粋に私のことを心配してるんだと思う」

「高校生が大人と付き合ってるなんて言ったら誰でも心配するだろうね」


 まして、仲の良い子だったら尚更だろう。


「火曜日の夜に電話したんだ。学校で話す話題じゃなかったし。電話で羚ちゃんのことを伝えたの」

「友達は……小陽ちゃんはなんて……?」

「絶対騙されてる、危ないから止めときなよって。そんなことないのに……」


 彩織は俯きながら、ひどく落ち込んだ様子でそう言った。


「羚ちゃんは私を騙してなんかいない。それを誤解されるのが悲しい」

「仕方ないよ、こればっかりは……」


 事情は大体分かった。

 だけど今週末、どうやって小陽ちゃんと話せば良いのかはまだ分からない。

 双葉さんが言ったように、ありのままを、事実をちゃんと伝えるのが最善手なんだろうか……。


「……結局は会ってみないと分からない。私も小陽ちゃんも。精一杯良い大人でいるようにするよ、私は」

「だから羚ちゃんはいつも通りで良いんだって。十分良い大人なんだから」

「そう? 良い大人はこんなことしないと思うけど」


 言って、彩織の肩を抱き寄せた。顔を近づけ、そっと唇に触れる。


「……確かに、しないかも。でも悪くないよ。……もっとしても、良い」

「悪い子どもだ」


 もう一度。今度は深く、味わうように。僅かに漏れる吐息が私を煽る。

 ……本当に、どうしようもない。

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