84.

「で。結局、昨日の子とはどういう関係なの?」

「……それ、まだ聞きます?」


 バームクーヘンを食べ終え、一通り片付けが終わった。

 じゃあ、そろそろ帰ろうかな。普通ならそう言い出すであろうタイミングで、かえでさんはその話題に切り込んできた。


「だって気になるし。昨日話した時も私に嫉妬バチバチだったよ、あの子。ちょっと調子乗った私も悪かったけど」

「多分それ楓さんのせい……。って、本当にどんな会話したんですか、昨日」

「扉開けたら知らない女の子がいたから、どなたですかって聞いたの。びっくりしたよ、本当に」


 そりゃあ楓さんだって見知らぬ人が家にいてびっくりしただろうけど、彩織いおりだって同じくらいびっくりしたはずだ。突然鍵が開いたと思ったら知らない女の人が私を抱えて入ってきたんだから。


「それで元カノって答えたんですか?」

「いや、流石に初対面でそれは言わないよ。知り合いとか友達とか。なんか適当に答えた気がする」

「……それで彩織が納得しなかったってことですか?」

「彩織ちゃんって言うんだ、あの子。うーん……納得しないというか、純粋な敵意を向けてきたというか」

「敵意……?」


 普段の彩織のことを思うとそんな態度を取ると思えない。やっぱり何か楓さんが余計なことでも言ったんじゃ……?


「まあ、あくまで私の主観だし。あの時、本当に何を考えていたかは本人にしか分からないよ。気になるなら聞いてみなよ、彩織ちゃんに」

「……聞けたら、聞いてみます」

「そういうところは変わってないね」


 楓さんの言葉には何も言い返せない。正しくその通りだったから。返す言葉が見つからず視線を落とすと、ふわりと暖かな手が触れた。


「大丈夫。れいが思っているより……この世界は羚に優しいよ。怖がらずに聞いてみなよ」

「…………」


 楓さんの言葉は時に的確で曖昧だ。今の私には……それを十全じゅうぜんに理解することは難しい。


「さて。そろそろ帰ろうかな。家帰ってご飯作らないと」

「もうそんな時間……」


 言われて時計を見ると時計の針は五時を指していた。起きるのが遅かったせいで、一日が過ぎるのがあっという間だ。


「ありがとね。家に上げてくれて」

「いえ。こちらこそ。昨日はありがとうございました。今日もお土産貰っちゃって」

「いーえ、気にしないで。バームクーヘンの残りは冷蔵庫に入れてあるから、彩織ちゃんにも食べさせてあげて。じゃあ、またね」

「はい。お気遣い、ありがとうございます」


 思わず目を細めてしまうほどの鮮やかな夕焼け。オレンジの世界の中を楓さんは歩いていく。駅に向かって一人で歩いていく。









「……今日は夜ご飯食べなくても良いな」


 然程さほどお腹は空いていない。昨日はたっぷり寝たし、早寝する気にもならない。


「今日は……流石に来ないか」


 彩織が来る気配もない。もちろんチャットも送られてきていない。


「暇、だなぁ……」


 何か家事でもしようか。そう思って辺りを見渡したものの掃除は行き届いている。食器の洗い残しもない。洗濯ものも全て畳まれている。本当に……やる事がない。


「…………」


 チャットアプリを閉じたり、開いたり。無意味なことだって頭では分かっているけど、指は止められない。何度見ても通知はゼロ件だ。

 連絡が取りたいのなら自分から送れば? ここに楓さんがいれば必ずそう言っただろう。

 私は……。





『こんばんは』


 震える手でただ一言、そう送った。


『こんばんは! どうしたの?』


 すぐに既読が付き、返信が来たことに安堵する。そのまま続けて画面をタップした。


『バイト終わった?』

『終わったよー。今、駅から帰ってるとこ』


 そっか、まだ家に着いてないんだ。てっきりもうとっくに家に帰っているものだとばかり。


『一人で帰ってるの? 大丈夫?』

『いつものことだし、平気だよ』


 ……違う。私はそんなことが言いたかったわけじゃない。

 もう一度キーボードをタップし、恥ずかしくなって消す。書いては消してを何度も繰り返した。


『どうしたの? なんかあった?』


 既読をつけたまま何も返さない私を不審に思ったのか、続けてメッセージが届いた。

 何も、ない。何もないから、チャットを送っている。


『何もないよ。ただ、暇だったから』


 送った瞬間、後悔した。バイト帰りの彩織に私は何を言ってるんだ……。

 すぐに取り消そうとしたが間に合わず、既読がついてしまった。面倒な人って思われたら嫌だな……。


『ごめん。忙しいのにチャット送って』


 メッセージの取り消しは出来なかったけど、せめて言葉で取り消しておきたい。明日の集合時間だけ伝えられればそれで良い。それ以上、話すことは——


『今、暇してるの?』


 彩織から返ってきたのは意外なメッセージ。


『暇してるよ。何もやることがなくて。早く寝ようにも昨日寝すぎちゃったから』


 なんだろう。既読が付いたまま何も返ってこなくなった。これで会話終了、なんだろうか。

 もっと話していたい。そんな我が儘を正直に言えたならどんなに良いか。だけど私の我が儘はきっと彩織に迷惑だから——





 着信を知らせる鈍い音。楓さんじゃない、発信元は彩織だ。


「……もしもし?」

『あ、羚ちゃん? 今、暇してるんだよね?』

「うん」

『家にいる?』

「いるよ」


 心なしか、スマホの向こうから階段を上る音が聞こえる。


『ね。今、両手が塞がってるんだ。鍵、開けてほしいな』

「……! 今、行く!」


 ハッとして立ち上がる。スマホを片手に急いで玄関へ。


 ……ガチャリ。


「おかえり。バイトお疲れ様」

「ただいま。暇してるって言うから来ちゃった」

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