68.

「………………え?」


 そんなことを言ってくるとは思わなくて、思わず聞き返した。なんで、と。


「…………家に、帰りづらいから」

「でもお母さん、もうすぐ仕事行くんでしょ? それまでうちにいれば良いよ。泊る必要、なくない?」

「違う。違うの。今日はお母さんじゃない人が…………家にいるから……」


 ようやく、分かった。彩織いおりが何に怯えているのか。

 なんですぐに私の部屋に来ようとしたのか。家に帰りたがらないのか。全て、分かってしまった。


「それは……男の人?」

「うん……お母さんのいないところで二人きりになるのは怖いから、家に帰りたくない……」

「…………分かった。良いよ」


 最初に聞いた時はどうしようかと思っていたけど、彩織の顔を見てすぐに決断した。このまま家に帰すのは……良くない気がしたから。


「ごめんね。ありがとう」

「良いよ。明日は……学校だよね」

「うん。朝起きたらすぐ自分の部屋に戻るから心配しないで。なるべく……れいちゃんに迷惑かけないようにするから」

「……」


 この子はいつもそうだ。変なところで気を遣う。家に上がり込む度胸はあるくせに、人に甘える度胸はない。

 それに迷惑かけないから、なんて子供に言わせたくない。


「家だと思ってくつろいでいいから。それに朝だって、うちでご飯食べて行けば良いよ」

「でも……」

「そのほうが私も助かる」

「羚ちゃんがそう言うなら……そうする、けど……」


 だから私は彩織が気負わなくて良いような言葉をかけた。少しでも罪悪感を感じないように。


「気にしなくて良いから。ほら、もうハンバーグ良いんじゃない?」

「あ、ほんとだ」


 ハッとした彩織が蓋を持ち上げた。それを見た私は竹串の準備をする。


「羚ちゃん、竹串……」

「はい、これ使って」


 彩織に手渡すと一瞬驚いた顔をしたが、すぐに破顔した。


「息ピッタリじゃん、私たち」

「ね。ちょうど良いタイミングだったでしょ?」


 彩織は受け取った竹串をハンバーグに刺し、焼き具合を確認する。これで透明な汁が出れば……うん、中まで焼けてる。


「インゲンは冷凍のやつ買っちゃったけど、良かった?」

「うん。良いよ。お皿準備するね」


 耐熱皿にインゲンを載せ、電子レンジの中へ。

 耐熱皿を出したついでにハンバーグのお皿を彩織へと手渡す。ちょうど良いサイズのお皿が二枚あって助かった。


「ソース作るね。デミグラスで良いんだよね?」

「うん。……覚えてたんだ」

「たった一週間前だし。一応、ハンバーグのレシピ見直したりとかしてたから……」


 照れ臭そうに彩織は笑ったが、それは私も同じだった。

 だって、まさか私が食べたいって言ったソースの味まで覚えていると思わなかったから。


「……え。なにそれ」


 何か黒い、ドロリとした液体。彩織はその不思議な液体が入った瓶を袋から取り出した。


「ウスターソースだよ。作ってきた」

「つくっ……れるの?」


 ソースを手作りなんて初めて聞いた。最初は私より料理が出来るってだけかと思っていたけど、彩織って相当料理上手なんじゃ……。


「材料少なめの簡単バージョンだけどね。既製品買ってもいいけど、いつも使いきれないから。最近はずっと手作りしてるよ」

「へえ……すごいな……」

「あ、デミグラスこれで完成ね」


 彩織の手元を見ると既にデミグラスソースが出来上がっている。手早い。私が呆気に取られている間も彩織の手は止まることなく動いていたようだ。


「電子レンジ終わったんじゃない?」

「ほんとだ。ハンバーグの横に載せれば良いんだよね?」


 耐熱皿を取り出し、菜箸でインゲンを摘まんだ。ハンバーグの横に揃えて載せていく。


「……おお」


 そこにデミグラスソースがかかるとより一層美味しそうに見える。私がいつも作るハンバーグとは何か違う。

 形崩れもないし、ソースもお店みたいだし。


「食べよ食べよ。お腹空いたぁ」


 洋室に移動し、お皿たちをテーブルの上へと運ぶ。

 しまった。また飲み物買うの忘れた。水しかない。お茶かジュースを用意しようと思ってたんだけどな……。


「ごめん。飲み物、水で良い?」

「良いよ。水好き」


 二人分のコップにペットボトルの水を注ぐ。彩織はゆらゆらと揺れる水面をじっと眺めていた。


「揃った?」

「うん。お箸もお水も揃ってる」

「じゃあ……」



「いただきます」


 手を合わせ、ハンバーグを一口。


「おいしい……!」

「良かったぁ……」


 今まで食べたどのハンバーグよりも美味しい。自分で作ったものよりも、家で食べたものよりも。

 彩織と一緒に作ったハンバーグのほうが何倍も美味しい。

 それに……一人で食べるより、彩織と一緒に食べたほうが美味しい……気がする。





「羚ちゃん、ここ」

「なに?」


 彩織は自分の唇を指差した。なんだろう……? もしかして私の唇、何かついてる?


「それ、逆。……こっち」


 身を乗り出した彩織が人差し指で私の唇の端を撫でる。それを自分の口元へ……。


「はい、とれたよ。意外と子供っぽいとこあるよね、羚ちゃんって」


 彩織はぺろりと私の口元についていたソースを舐めとった。

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