62.

藤代ふじしろさん? 少し、難しい質問だったかな?」

「…………いいえ、答えます」


 工場長はそれ以上急かすこともなく、ただ静かに私の答えを待つ。

 課長や係長、他の人たちも。誰も私を急かさない。ただその視線を私に向けるだけだった。


「私の……こだわりは…………」


 坂を転がるボールのように、口に出してしまえばもう……止まらない。


「……………………私のこだわりは……協力、です」


 なんとか絞り出した答えを口にする。

 この答えが見当違いのような気がして、小声になってしまった。……みんなからの視線が怖い。それは違うって言っているような気がして。

 判決を待つ被告人のように、俯いたまま工場長の言葉を待つ。


「協力、ですか……」

「……ッ!」


 怖い。否定されるのが怖い。否定の言葉なんて聞きたくない。

 でも、違うなら違うと、早く言ってほしい……! この時間が何よりも苦しい。

 工場長の次の言葉を待つ間は、針のむしろに座る気持ちだった。


「僕も見かけましたよ。ずっと双葉ふたばさんと改善を頑張っていましたね。このペン立ても一緒に?」

「……はい。プレートを双葉さんに用意してもらったり、デザインを一緒に考えてもらったり」


 うんうん、と工場長は頷く。

 それは違う。なんて言葉は出ない。ひとまず私の答えは見当外れでないことが分かり、安堵の息を漏らした。


「もう少し詳しく聞かせてくれるかな?藤代さんのこだわりについて」

「…………私が実践研究に初めて参加したから、ということもあって、双葉さんにいろいろ教えてもらっていたんです。それでもやっぱり、知っていること、得意なことが違うので。一人より二人のほうが出来ることの幅が広がるなって……」


 ちらりと双葉さんに視線を向けると、さっきまでとは違い、安心した表情で私を見ていた。


「それに、品質実践とは関係ないことかもしれないんですけど……。改善チームでここの作業台の高さを変えたんです。その時に四人全員で協力したらあっという間に終わって……」


 杉山さんの要望を叶えるため、四人で改善したあの日。一人でやっていたら残業時間までかかっていたかもしれなかったのに、二時間程度で全ての作業が終わったのだ。


「だから私は……私たちは自分と相手の長所を理解した上で協力すれば、なんでも出来るって思ったんです」


 言い終えて、周りを見渡す。

 野中さんや多井田おいださんは誇らしげに、松野まつのさんと双葉さんは感心したように私を見つめている。

 谷崎課長や西野課長も温かい目で様子を見守っている。

 工場長は——


「……やはり、良いですね。若いって」

「……え?」

「……いやいや、こちらの話です。その話は野中さんから聞いてますよ。品質実践とは関係ないけど、作業者が困っているなら何とかしたい、と。大変良い心掛けです。他の皆さんも見習ってください。基本はそのラインの管理者が作業者の困り事を解決する決まりですが、全部を管理者一人で抱えるのは大変なので、助けてあげてください」

「はい……!」


 良かった……。工場長も肯定的だ。ここで否定されていたら心が折れていたに違いない。


「さて。最後に藤代さんだけではなく、この実践研究、全体の話をしようと思います」


 工場長はちらりと野中さんを見る。時間は大丈夫か、という意味だろう。


「よろしくお願いします!」


 それを察した野中さんは時計を確認し、工場長へ続きを促した。


「まずは皆さん、お疲れ様でした。今年度初の品質実践研究会でしたが、怪我もなく進めていただき、感謝しています」


 再び、一斉にノートを構える。周りに倣い、私もポケットからメモ帳を取り出した。一言一句逃さないようにペンを走らせる。


「現場で報告してくれた方には聞きましたね、何にこだわったのか、と。今年はこだわりを持って改善を進めていきたいと思っています。品質だけじゃなく、安全、生産性も。なにか一つ、こだわりを持って取り組んでください」


 メモ帳にこだわり、と書いた。一言でこだわりを持つと言っても難しい。何にこだわれば良いのか。それを決めてくれたら楽なのに……。


「僕は何も指定しません。改善のやり方、進め方、なんでも構いません。次回からは実践前にこだわることを決めて取り組んで欲しいです。例えば……もうすぐ安全実践研究会がありますね。野中さんなら何にこだわりますか?」

「そうですね……是正率ですかね。リスク発見に対して40パーセントとか。僕は数字にこだわりたいと思います」


 急に話を振られた野中さんは動揺することもなく、すらすら答えた。あらかじめ聞かれることを想定していた。そんな気さえ、する。


「良いですね。具体的な数字を出すと終わった時に評価がしやすいです。では他に……松野くんならどうしますか?」

「僕は……僕も数字にこだわりたいと思います。実践研究後のヒヤリハットの件数の減少にこだわりたいです」


 ヒヤリハット。重大な事故や労災が起こる一歩手前のことだ。その名の通りヒヤッとしたり、ハッとしたこと。

 現場ではヒヤリハットが起これば紙に書いて提出してもらっている。

 それが多ければ多いほど、危険な現場というわけだ。


「松野くんも良いこだわりだと思います。このようにこだわりを持って取り組んでもらって、最後にどうだったか振り返りをしてください。狙った数字が出せたのか、もしくは出せなかったのか。どうして出せなかったのか、という理由まで深堀してください」


 私なら何にこだわるだろう。

 具体的な数字というとさっきの野中さんたちと同じようになってしまう。やり方、進め方……。


「藤代さんはどうかな。何か思いつきますか?」

「あ、えっと……。改善したあとにそのラインの作業者全員に評価してもらう、とか……」


 これなら具体的だ。全員が良いと言えば良いし、不満がある人がいるのなら話を聞いて、さらに改善出来る。


「……藤代さんも管理者向きかもしれませんね。そのこだわりも良いと思います。人からの評価で判断するのも具体的で分かりやすい」


 少しヒヤヒヤしたが、無事に答えられた。管理者向き、と言われるのは抵抗があるけれど……。


「ああ、あまり話しすぎるとタイムキーパーに怒られちゃいますね。このへんで締めましょう。今年のキーワードはこだわり。次回からそのように活動をお願いします」

「工場長、ありがとうございました!」


 野中さんの視線は多井田さんへ。さっきまで黙々とメモを取っていた多井田さんがハッして声を張り上げる。



「これにて第一回、品質実践研究報告会を終わります。気をつけェ! 礼ィ!」

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