59.
「これより第一回、品質実践研究会の報告会を行います。気をつけェ! 礼ィ!」
六月十日。とうとう報告会当日だ。
工場長、各課の課長、係長、職長。話したこともないくらい偉い人たちがホワイトボードを取り囲んでいる。
その偉い人たちの視線を一身に受ける中で、
「今月は品質保証課と製造課、合同で行いました。二つのチームに分かれて実践を行いましたので、各チームより報告をさせていただきます。では、まずは多井田チームから」
その言葉を合図に、多井田さんのチーム全員がホワイトボードの前に一列に並ぶ。
「ただいまより多井田チームの報告を始めます! 気をつけェ! 礼ィ!」
「しゃす!」
多井田さんが昨日、必死に作っていた資料を指差しながらチーム全体の話が始まった。
「製造課、多井田です。よろしくお願いします!」
「お願いします!」
多井田さんの声に負けないくらい、威勢の良い返事が聞こえる。特に野中さん。首の血管が浮き出るほど、大きな声を出していた。
「私たちのチームは問題点発見が四十一件、是正件数が十二件になります。そのうちの二件を
「こちらからお願いします」
松野さんに続き、ラインの中へと入って行く。
普段あまりここに来ることがないのか、工場長や課長はキョロキョロと周りを見渡していた。
「製造課、松野です。よろしくお願いします!」
「お願いします!」
作業台の前に立ち、松野さんはゆっくりと話し出す。
「ネジのピッキング工程での事例を報告します。この
みんなに見えるように員数容器を掲げた。ネジの個数、色、サイズが書かれたシンプルな員数容器だ。
「表示剥がれがあったり、仕切り板が倒れていたり。ピッキング間違いや別の袋に入れるものとの混入のリスクがあります。そこで新しく員数容器を作り直しました」
あらかじめ用意していたらしい、員数容器を背後から取り出す。さっきまで掲げていたものとは違い、真新しい。
「新しく作ったものがこちらになります。以前とは違い表示は手書きじゃなく、シールで。仕切り板も強度を高めるためにアクリル板を使用しました」
新しい員数容器が工場長たちに手渡される。仕切り板を見たり、表示を見たり。中には容器の裏を見ている人もいた。
「表示のシールはネジの色によって色分けしています。表記の仕方は色見本と合わせているので見間違えることもないと思います。報告は以上です」
「ただいまの松野の報告に対して、質問、アドバイス等ありましたらお願いします!」
多井田さんが呼びかけるとぱらぱらと手が挙がる。
……ずっと近くで報告を見ていたけど、私は何も思い浮かばなかった。
「じゃあ……はい。西野課長、お願いします」
「品質保証課、課長の西野です。まずは実践、お疲れ様でした。作業者が毎日使う員数容器に目を向けて改善されたのはとても良かったと思います。やはり頻度が高いものを改善するのが効果的だと思うので」
「ありがとうございます!」
「……で、ちょっと一点だけ聞きたいんだけど。この員数容器は普段どこに置いてあるの?」
「ここです」
松野さんは作業台下の引き出しを指差した。いろんな種類の員数容器が重ねて置いてある。
「じゃあ一つだけアドバイスを。この新しい員数容器のおかげで使う時の品質は保証されるようになったね。じゃあ使う前は?」
「…………」
松野さんは答えられず、気まずそうな顔をする。
「これだけの種類の容器があるなら、容器を取り間違うこともあるかもしれない。例えば黒色用の容器を取ったつもりが、茶色だったり。容器を間違えたらその後のネジのピッキングも間違えてしまう。容器を取る時と戻す時にも注目して改善してくれるとさらに良くなると思います」
「…………すみません、そこまで考えてませんでした」
「西野課長、アドバイスありがとうございます。納期決めて、容器を取る前後の改善も進めていこうと思います」
「いえいえ。これからも改善、よろしくお願いします。毎日使う容器に目を付けた松野くんの着眼点は良かったと思いますよ」
「……ありがとうございます」
「では、他に質問やアドバイスがある方——」
課長や係長からのアドバイスが続く。答えられる内容には松野さんが答え、詰まってしまったら多井田さんがフォローに入る。
どの質問やアドバイスも私には思いつかないものばかりだ。作業台の上での容器の固定の仕方なんか考えてもなかった。机にぽんっと置けばいいかと思っていた。
予想外のアドバイスに松野さんはすっかり消沈している。全てを否定されたわけではないが、これだけたくさん意見をされると……気が滅入る。
それが分かっているからこそ多井田さんは松野さんの隣から決して離れない。
「っと、時間が……。では最後に工場長、よろしくお願いします」
全員の視線が工場長へと向けられる。俯いていた松野さんもゆっくりと顔を上げた。
「松野くん、実践お疲れ様でした。員数容器、新しくなって使いやすそうですね」
「……ありがとうございます」
「アドバイスは……他の方がされてますし、僕からは一つ質問を。この員数容器を作り直す時に松野くんが一番こだわったポイントは何かな?」
「こだわり、ですか……?」
毛色が違う質問に松野さんは困惑していた。なんと答えるべきなのか。困ったように多井田さんに視線を向けた。
「…………松野のこだわりを聞いてるんだからお前が答えないと」
工場長には聞き取れないくらいの小声で多井田さんは諭す。さっきまでの質問には一緒になって答えていたけど、この質問だけは松野さんが答えるべきだと。
「……こだわりってほどじゃないかもしれないんですけど」
これから話すことが合っているのか、見当違いなのか。自信なさげに松野さんは話し始めた。
「このネジの色の表示をシールで作る時に、色表記の頭文字を大文字にして目立たせました。きっと一文字目のアルファベットを見て判断してると思うので……。それにこの作業台で作業されている方が最近目が悪くなって、文字が読みにくいって。だから大きめにしたほうが良いかなって思って……やったんです、けど……」
消え入りそうな声で松野さんはなんとか答えた。工場長は言葉を挟むことなく、松野さんが話し終えるのを待つ。
「良いこだわりだと思いますよ、それは。何より作業者の声を聞いて何とかしようと工夫したのが素晴らしいです」
「……ッ!」
ハッとして松野さんは工場長の顔を見つめる。
「改善というのはこのようにやれ。そんな決まりはありません。使う人、時代によってするべきことが変わると僕は思っています。だから、松野くんのように今、作業している人の気持ちを大切に改善していくと良いと思います。松野くん、良い改善でした。お疲れ様」
「ありがとう、ございます」
「工場長、ありがとうございました。では次に菱木より報告を——」
……改善に決まりはない、か。
そんなことを工場長が言うとは思わなかった。
課長や係長のようにこうしたほうが良い、ああしたほうが良いって言うと思っていたから意外だ。
さっきまで消沈していた松野さんも少しだけ元気になったし、多井田さんもホッとした顔をしている。
全部、工場長の言葉のおかげだった。
「
「……うん、行く」
隣にいた
私たちの報告はまだ始まってすらない。松野さんのように質問責めに合うと思うと憂鬱だ。
だけど——
「私も……私たちも作業者の声を聞いて、寄り添った改善が出来てた……よね?」
「大丈夫だよ、藤代さんは作業者の気持ちを大切にしていた。だから大丈夫。落ち着いて話せばちゃんとみんなに伝わるよ。一緒に頑張ろ?」
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