49.
「なに、を……言って…………」
「どうでも良かった。他人からどう思われようが、自分がどうなろうが。ただ聞くに堪えなかったから注意した。……ただ、それだけだよ」
私の淡泊すぎる言い分に
自分のために注意してくれた、なんてことを双葉さんは思っていたのかもしれない。でもそれは勘違いだ。私は……そんなに優しい人間じゃない。
私が聞きたくなかったから注意した。それだけ。
「そんなこと……ない。先輩は優しかった……そうやって注意出来るのは優しい証拠だよ……!」
「……違うよ」
勢い余った双葉さんの両手は私の肩を掴む。指が食い込み、少し痛い。でも、我慢出来ないほどじゃない。
「私は自分のためにやってるだけ。優しくなんかないよ」
「…………じゃあ今はどうなの。改善チームになって、現場改善をする時、自分のためだけにやってる? そうじゃないでしょう。ちゃんと現場の人の話を聞いて、現場の人のために改善してるはずだよ」
「……仕事だから」
「じゃあ! 昨日いろんな人にお礼を言われて嬉しそうにしてたのはなんで?」
「それは……………」
現場の人たちびお礼を言われて嬉しかった。初めて言われた言葉じゃないのに、確かに私の心に響いていた。
……嬉しかったのかもしれない。でもそれはきっと私が飢えていたから。他人からの承認に飢えていたからだと思っていた。
「……」
「昨日の改善、
藤代さんは優しいよ。双葉さんは諭すように言った。それでも、私は……。
「…………私は、そうは思えないよ」
静かに言い切ると双葉さんはそれ以上何も言わなかった。私から何かを語りかけることも無く、昼休みを終えるチャイムが鳴り響く。
どうして私のことを覚えていたのか。ただそれが聞きたかっただけなのに、何とも後味が悪い昼休憩になってしまった。
午後は双葉さんと一緒に是正の続き。
再び二人でネジセットラインに行ったものの、ギクシャクして全く捗らなかった。昼休みにあんな話をしなければ……。後悔しても、もう遅い。
本当は双葉さんの担当分を今日中に全て終わらせるつもりだったのに、一件残してしまった。
納期は明日だから遅れているわけではない。でも、思った通りの進め方は出来なかった。
「じゃあ……お疲れ様です」
終業のチャイムが鳴ると双葉さんは足早に去って行く。
かける言葉も引き留める理由も見つからず、私はただそれを見送った。
ガチャリ……。
アパートに帰ってきた。自分の部屋に入ると、どっと疲れが出てその場でしゃがみ込んでしまった。
「…………はぁ」
双葉さんにあんなことを言わなければ良かった。いつもみたいにどういたしましてって言えば良かった。
何かを口に出す時は一呼吸置いてよく考えてからにしなさい。一度外に出してしまえば、二度と取り消せないのだから。
……昔、よく言われてたっけ。この歳になっても同じことを後悔するとは。つくづく、私ってやつは……。
ピコンッ。
スマホが鳴った。
『今って家にいる?』
チャットアプリを開くと表示されたのは彩織のメッセージだった。
『うん』
『お家でクッキー焼いたからお裾分けしたいんだけど、今からそっち行っても良いかな?』
『うん』
ピンポーン。
何度かのメッセージのやり取りを終えると、チャイムが鳴った。
ゆっくりと立ちあがり、扉を開ける。
「
扉の先にはクッキーを入れた小袋を抱える彩織が立っていた。私の顔を見て固まってしまっている。
「……どうしたの? 何かあった?」
「…………え?」
「なんで、泣いてるの?」
彩織の指が優しく私の目元に触れる。自分でも気づかないうちに泣いていたみたいだ。
「……なんでもないよ。クッキー、ありがとね」
こんな顔、見られたくない。いい歳した大人が泣いているところなんて彩織も見たくないだろう。
一秒でも早く立ち去って欲しい。
手早くクッキーを受け取って、やんわりと帰りを促そう。
「なんでもないって……嘘じゃん。声、震えてる。会社で何かあった……?」
「…………ないよ」
「……」
誤魔化そうとする私を、彩織は何も言わず抱き締めた。彩織の体温が伝わって少し暑い。
「…………私は、大丈夫だよ。だから——」
「……いいよ。何も聞かない。落ち着くまでこうしてる。これなら顔も見えないし。ね、いいでしょ」
「……うん」
音は立てない。鼻を啜る音も、しゃくり上げる声も。何も響かない無音の世界で彩織に抱き締められ、私は静かに泣いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます