40.
幸せ。そうだ幸せだ。と何度も
「藤代さん、私は幸せだよ。でも周りの人はそう思ってくれない」
「……」
「会社の人も、親も。みんな気の迷いだ、考え直せって。変だよね、私の気持ちは私にしか分からないのに」
「……」
「高校生の頃は私が誰を好きになろうと私の勝手。他の人なんて関係ない。ずっとそう思ってきたんだけどね……」
大人になると気にしなくちゃいけないことが多くて嫌になっちゃう。双葉さんは寂しそうにそんな言葉を零した。
その言葉に何と返すのが適当なのか。私は分からずにいた。
双葉さんだって分かってるはずだ。
この話は結論が出ない。
「…………同期の人とは、どうなったの?」
結局私は、ありきたりなことを聞くしかなかった。
「あれ以来、話してないかな。部署も違うから仕事で話すこともほとんどないし」
「そう……」
「でもね、私のこの話を知ったうえで仲良くしてくれてる人もいるんだよ。
やっぱり黒部さんは知っているんだ。先週から何かと双葉さんのことを気にかけていたし、見かけによらず優しい人、なんだろうな。それに汐見くんも。まだ関わり始めたばかりだけど、爽やかで優しそうな男の子だった。
「汐見くんも知ってるんだ」
「汐見くんが一番詳しいと思うよ。なんて言ったって彼は——」
言いかけて、双葉さんは口を
「……いや、勝手に私が話すのは良くないね。ごめん、聞かなかったことにしてほしい」
「分かった」
これ以上、双葉さんの曇った顔は見たくない。だから私は話題を変えることにした。
「その付き合ってる人はどんな人なの?」
この話題は双葉さんにとって話しやすい、むしろ話したいことだったみたいで自然と口角が上がる。
「すごく可愛くて、優しい子。同じ高校で後輩。年下なんだけど私の方が甘えちゃってるかも。ああ、でもたまに甘えてきてくれる時もあって——」
「ええと……すごくその人のことが好きなんだね、双葉さんは」
「うん、大好きだよ」
呼吸をするのも惜しいと、双葉さんは一気にまくし立てる。自分の宝物を自慢したい、無邪気な子供みたいだ。
「ああ、そうだ。藤代先輩は会ったことがあるはずだよ、私の恋人に」
「会ったことがある……? どこで?」
「先週、居酒屋に迎えに来てくれた女の子がいたでしょ?」
「ああ、あの子か」
言われて思い出した。
酔いつぶれた双葉さんを迎えに来たのは、確かに私よりも双葉さんよりも年下の女の子だった。
「
「なんで名前知ってるの? 私、藤代さんに若葉ちゃんのこと話したことあったっけ……?」
不思議そうに双葉さんは首を傾げる。そっか、あの時は酔っていたから覚えてないんだ。
「双葉さん、酔っぱらって私のこと若葉ちゃんって呼んだんだよ」
「え」
「若葉ちゃんって呼びながらキスされそうになった」
「ちょっと待って、嘘でしょ……?」
「いくら華金でも飲みすぎは良くないと思う」
絶句。唖然。呆然。どの言葉が相応しいのか分からないが、双葉さんは固まってしまった。
「双葉さん?」
「……されそうになった、だけだよね? 私、してないよね?」
「ギリギリね」
「ギリギリなの……」
「ちょうどその時、若葉ちゃんって子が迎えに来て間に入ってくれたんだ」
「あー……」
視線は左上へ。何かに納得したような表情を浮かべた。思い当たる節があったのだろう。
「若葉ちゃんと何か、話した?」
「お金の話くらい、かな。すぐに双葉さんを抱えて出て行っちゃったから」
「そっかぁ……」
「可愛い人だったよ」
「そう、すごく可愛いの……。でも怒ったら怖いんだよ……?」
最後は消え入りそうなくらい小さな声だった。
意外だ。双葉さんにも恐れるものがあったなんて。
「意外だ、って言いたそうだね」
顔に出ていたのか、双葉さんは私の心の内を看破した。
「私だって怖いもの知らずじゃないんだから」
「……双葉さんの怖いもの、一番恐ろしいものってなに?」
どうしても気になって聞いた。
高校の頃、私が知ってる双葉さんは何にも恐れず、動じない人だったから。そんな双葉さんに怖いものがあるのなら知りたいと思った。
「私にとってこの世で一番恐ろしいことは好きな人に愛想を尽かされることだよ、きっと。若葉ちゃんがいなくなったらとても正気でいられないよ」
「……そういうものなの?」
「私にとっては、ね。私の幸せは若葉ちゃんと一緒にいることだから」
曇っていた表情はどこにもない。晴れやかに、これが私の幸せだと言わんばかりに胸を張る。
それはすごく————。
幸せというのは他人が決めるものじゃない。自分が決めて、自分の手で叶えるものだから。
きっとこれから双葉さんは世間のしがらみや他人からの心ない言葉に頭を悩ませるだろう。でもきっとそのたびに若葉ちゃんと一緒に乗り越える。そうして幸せになっていく。
……羨ましい。
私には何も、ないから。私にとって何が幸せなのか分からないから。
もしも今が自分の幸せを見つけるための過程だと言うのなら、それは長すぎる。
きっとこれは私への罰。大事な人を傷つけた罰なのだろう。
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