ep.8 睚眥之怨
「博士、
「ん、あぁ。適当にあしらってくれ」
グラシアナ・カベーロと思しき人物は手で門前払いをしろという表現をする。
「あしらった結果です」
「ナタリー。君は私が何のために扉の前に立入禁止の貼り紙を出したと思ってるんだ?」
「かつてない高待遇の中でサボりをしたいから、でしょうか」
これが天才科学者の真実。中身の無いラジオを聴きながら、ソファに横たわって菓子を片手に怠惰をかます。
現実など、その程度だと言うことを改めて認識した三人。それを踏まえてフリッツは彼女に自己紹介をする。
「貴方がグラシアナ・カベーロ博士ですか? はじめまして、自分は━━━━」
「フリッツ・クライバーか。君のことは調べ尽くした、もう興味が無い」
「え……」
「そのままファングシステムに適応していってくれれば私からは何も言うことは無い、以上」
挨拶のひとつも出来なかったフリッツは呆然とし、彼女に言われるがまま言われその会話を終えた。ナタリーがすぐさまグラシアナの株を持ち直そうと彼に囁く。
「ごめんなさいね。彼女、あんな感じだけど根は良い子なのよ」
「聞こえているぞナタリー」
地獄耳による忠告に耳を傾けずに必死になって彼女の粗相を謝るナタリーにお気になさらず、という姿勢を見せるフリッツ。
「そんな態度は無えんじゃねえかお嬢さんよ」
ワイアットがグラシアナに悪絡みする。それもこれも、一度死地を共にしたフリッツを軽い目で見ているような気がしてならない彼女に何故か不快になってしまったからだった。
「ワイアット・ヴェゼル、君はどうでもいい。それと私は君よりも二つ上だ」
「は、はぁ?」
「それよりもナタリー、君の職務怠慢は上に報告すれば改善されるか?」
「ふふ、どうでしょうね」
そんな健闘も無駄となり、唖然とした状態のワイアットをフリッツと同じように置き去りにする。だがただ一人、他二人とは違う熱意を持って接する人間がいた。
その青年、アルテュールはグラシアナに近づくとそっと尋ねる。
「ファングシステムの二号機はどうしたんですか?」
ワイアットやフリッツが今までに聞いたことがないほど丁寧な口調でアルテュールは彼女に聞く。
「まだ開発中で見せられないんだ、アルテュール・カイゼル」
「完成は五日後と聞いていましたが虚偽の報告をしたんですか? それとも本当に開発が滞ってしまったのですか、天才である貴方ともあろう方が!」
扇情的な言葉遣い。挑発じみたアルテュールの発言に、グラシアナは冷たい目で彼を隅々まで見通す。それから数秒もしないうちに彼女は漸く立ち上がり、すぐ近くにあった銃を持つ。
ソファの前にあったテーブルにその銃を乱雑に置くと、グラシアナはそれに全員の視線を注目させる。
「それが『二号機』だ」
「なに!?」
「もう出来てたのか!」
定位置かのように元の場所に戻り再び横になるグラシアナには目もくれずアルテュールはあの時と同じように再び恍惚とした表情を見せた。
「それは既に二日前に出来ていた、五日後といったのは何もしない日が欲しかったからだ」
ナタリーはそれでは説明がつかない部分に突っ込む。
「では、二週間後と訂正したのは?」
「もっと休みが欲しかった」
その言葉に頭を抱える。ワイアットからすれば一見ミステリアスで底が知れないように見えるナタリーも彼女を前にすれば同じ等身大の人間のであることが分かる。
「これが、俺のファングシステム……」
「私は二号機にはもう興味が無い。整備程度ならしてやるが、それ以上を求めるなよ」
アルテュールは社交辞令程度の会釈を彼女にしたのちに自分の武器を子供が新しく買ってもらった玩具を見るような瞳で見ていた。
一人で楽しんでいる彼を他所にワイアットは今まで抱いていた疑問をグラシアナにぶつける。
「そもそもファングシステムって何で出来て……つーか、なんなんだ?」
「それは今まで何十人にも聞かれた。今さら答えたくない」
彼女は一旦拒否するがナタリーがいいじゃないですか、と宥めると一度しか言わないとグラシアナが仕方ないように口を開く。
「ファングシステムとはイクスとは違う魔術遺伝子の転用方法の一つとして私が提案したものだ」
ファングシステムの前に彼女はイクスがどういう代物か、その誕生の経緯を説明し始める。
「そもそもイクスとは回収した魔術師の死体から魔術遺伝子を抽出し、実験を重ねて改良した遺伝子のことだ。一つの死体から取れる魔術遺伝子はほんの僅かだが、第一次新世紀戦争か一年後に複製可能となった。だが、そのコストも馬鹿にならないらしく、そう易々とは出来ないらしい」
「らしい? アンタは関わってないのか?」
「私が関わっていたのは計画が開始する前後だけだ。あとは別の科学者や有志の軍事会社が合同で開発していた」
死体から採取できるのも少なく、複製の代償も大きい。だがそれを差し引いても余りある力を手に入れられることから当時、軍内では神が味方し産まれた奇跡の産物とまで言われていたそうだ。
「個人のイクスの能力は本来、魔術師では無い人間が魔術師となった時、発現されるはずだった力とされている。これに関しては単なる仮説に過ぎず立証が不可能だ」
誰もがその真実にたどり着くことは出来ない。たとえそれは神であろうとも。
「なぜなら魔術とイクスを同時に持つ人間は原則存在しないからだ」
過去に二度、実験が行われた。捕虜の魔術師にイクスを注入することによって新たな力が芽生えるのかという至極簡単な実験だった。
結果は全く同じだった。注入した数分後、身体が二つの遺伝子に耐えきれなかったのかまるで溶けていくように死んでいったとグラシアナが見た報告書には書いてあったそうだ。
「ただ例外は存在する、ここでは省くがな」
なんでもない事のように付け足したグラシアナはナタリーの顔を少し見ながらそう言った。
「本題について話そう」
何事も無かったように話を切り替える。触れてはいけないのかと脳裏で考えながら三人はそこについて掘り下げることは無かった。
「ファングシステムは魔術遺伝子を無理矢理応用し、武器に転用させた。起動すれば武器に込められた遺伝子が
「その程度って、そんな事ないですよ。俺達は━━━━少なくとも俺はこれに命を救われたんですから」
フリッツが製作者に向かってファングシステムへの熱い思いを語るが、それも届いていない様子だった。
「そういや、ハイデラバード基地の上官が誰もが装備できる普遍的な力とかなんとかって言ってたが、どういう意味なんだ?」
「ああ、それは私が一応誰でも装備できるようにはしてあるが、あくまでも真の力を発揮できるのは適合率が八十を越えてからだとブレイジスの偉い人に説明したら彼等が勝手に勘違いしただけだ」
彼女の口から出る人物は基本的に株が下がっていく。それは彼女本人も例外ではない。
「だが、ある程度の体力と精神さえあれば一般兵でもイクス使いでも、恐らく魔術師でも起動できる」
ファングシステムは人体に直接打ち込むイクスとは違い表面を覆うパワードスーツの様な形として存在しているから、という仮説をグラシアナは立てていた。
「
「はい!」
「ところで聞いていいですか……」
アルテュールは丁寧な口調で再びグラシアナに聞く。今度は先程よりも神妙な面持ちで。
「ある程度予想していた質問には答えたつもりだが?」
後々に聞かれるのが無駄だと考えていた彼女は先回りして他人が聞きたい部分を答えていた。だがそれでもアルテュールは納得できない事があった。
「どうして俺が二号機なんですか」
「君の適合率の方が低いからだ」
その言葉を聞いたアルテュールは握り拳を作っていた。
「君が八十六、フリッツ・クライバーが九十で彼の方が適合率が上だと分かったからだが」
「たった数パーセントで俺はこいつに……こんな奴に先を越されたんですか……」
俯いていた顔は一気に前を向き必死に歯を噛み締めていた。
「俺が! こんなに何も出来ない奴に! なんで先を越されたんだ!?」
「アルテュール!?」
ワイアットは思わず驚く。先程の口調と今までの自分と接していた時のような冷静な素振りとは打って変わって昂る彼の姿を初めてその目で見た。
「俺は激戦区で生き残った、訓練所だってトップだった。なのになんでこんな出来損ないに俺は負けたんだ!」
ただひたすらに荒れ狂うアルテュール。当の本人と思われるフリッツは何をしたらいいか分からなかった。
「先の戦闘だってファングシステムを起動するだけで何も出来やしなかった。俺だけだったら、俺がファングシステムを持っていたら苦戦せずに勝利を収めていたかもしれないのに。殺せていたかもしれないのに! 敵の行動の予測すらまともに出来やしない元整備士が自慢すらせず平然と接してくる。こんなの苦痛に他ならない!」
ワイアットが二人に初めて出会った時の空気感は気まずいなどと言う生温いものではなかった事が今になって判明する。あの時、彼はそう考えていたのかと思うとワイアットはおろかフリッツまでもがいたたまれない気持ちになる。
「俺は何一つこいつなんかに負けていないのにどうして俺がっ……」
「いいや、たった一つ負けているじゃないか。それがファングシステムの適合率だっただけの話だ」
「くっ……」
アルテュールは彼女の悪意の無い罵倒に聞き、胸ぐらを掴んで壁に叩きつけていた。
「おいっ!」
「黙っていろ!」
ワイアットが止めに入ろうとするがその行動を殺す。二人ははお互いに目を離さず、グラシアナはただ意見を述べる。
「何をする、事実を言った迄だ」
「経歴よりもくだらない数値ひとつに左右される人間なのか!?」
「ああそうだ。私にとって、ことファングシステムにおいて数値は絶対だ。君が軽んじているたった数パーセントでも発動出来る力は制限されていく。研究とは数値の積み重ねだ。私はそのくだらない数値に
「クッソ…………」
「なんならやってみるか? 君とフリッツ・クライバー、どちらの方が適合者として優れているか」
その彼女の行き過ぎた発言には流石に黙っていられない人物が一人いた。
「博士、言い過ぎですよ。アルテュール君も博士からその手を離してくれる?」
彼女は仲間に優しく諭すとアルテュールは手を離し、グラシアナは落ち着きを取り戻す。
「非礼を詫びるよアルテュール・カイゼル、今の言動は……少々行き過ぎたものだった」
「いえ、こちらこそ……」
そんな彼女の丁重な謝罪に思わず頭を下げるアルテュール。だが決してそれはフリッツを許したことにはなっていないことも分かる。
「チッ……」
アルテュールが聞こえない程度の舌打ちをしているとナタリーが仕切り直す。
「さあ、そろそろここを後にしましょうか。あとで誰かお茶でもしましょう」
「そりゃあいいですね」
ワイアットも彼女の発言に同調するしか無かった。今までこんなに強い戦うこと以外の感情がぶつかっている所をワイアットは見たことがなかった。
そしてそんな一悶着も束の間、ドアをノックする音が聞こえる。ナタリーが入室を許可すると中に入ってきた兵士は敬礼をしつつ伝令としての役目を果たす。
「失礼します! ガーディアンズの魔術師たちが攻めてきましたっ!」
「ッ……!!」
新たな戦いの火種はすぐそこに迫っていた。
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