0=2/9/ アニムス
無様、自分は何をやっていたんだろう。彼はよすがを漂う。
約三年、他人の痛みを知り、時には支え時にはそれを糧に生きてきたはずなのにくだらない所でつまづいてしまった。
自分には何も無い、何も無かった。あの日、自分に何も無いことを知った。
その日は両親と旅行へ出掛けようとしていた。当日の前の週から楽しみで楽しみで仕方なく、親にはどこに行きたいだとか、これを食べたいなんて話していた。
当時、寝付きの悪かった子供は当日に限っては二人よりも早く起床して両親を驚かせていた。
待ちに待った旅行の日。初めての飛行機、初めての場所、初めての食べ物。子供の黒い瞳はその場にいる誰よりも輝いていた。
親子三人が飛行機に乗ってから危機に直面するのに時間はそうかからなかった。
テロリスト集団によるハイジャック。人間であろうが魔術師であろうが関係無く、無差別に殺すと宣言した彼ら五人。
客の中に異常に彼らに脅える人間を即射殺すると彼らは自分達の目的地に辿り着くまでランダムに射殺するゲームを行い始めた。
一人一人名前と出身、旅行の目的、趣味、個人的な質問が行われた。きっとその会話を聞いている他の者達の、回答者に対する理解を深めることで回答者が殺された時の絶望を増そうという悪趣味な手口だろう。
中には質問に答えようとしない人間がいたがそんな者は容赦なく殺されこれからその立場になる人間達への見せしめとして使われた、答えないからこうなるんだと。
この飛行機に乗った時点で死は既に確定しているようなものだったのに。
目的地であるロンドンに到着するその間に乗客四一六人の内、七一人が死亡した。老若男女問わず、皆殺されていった。
一人の子供は犯人のあの気持ちの悪い笑みを忘れられなかった。死を与え、生きるはずだった残り何十年もの人生を一瞬にして奪う。
何十人も死んでいき、何百年もの人生をたった数時間で掻っ攫っていったのに、その罰として
その場にいた誰もが虚ろになっていた頃、ロンドンに着くとの報告があった。やっと苦しみから、痛みから解放される。そんな折、犯人は最後に殺す人間を選ぶと言った。順番が回ってきた。次に当てられたのは家族三人、黒髪黒眼の子供とその両親だった。
父親は優しかったのを覚えている、何かを頑張ったら必ず褒めてくれていたし休日に遊びに出掛けてくれた。忙しくてそんな暇もなかったことに気付いたのは自分が大人になってからだった。
母親は良く抱き締めてくれた。無償の愛を注がれ続け、誰かに優しくできる子になってねと再三言われ続けた。絶対に行ってはならないことを叱り、教えてくれる反面、そんな母の愛に子供は満足していた。
子供はまだ三歳か四歳だっただろうか。良く寝て、良く食べる子供だった。誰からも愛されるようなあどけない部分とその年頃らしいいたずらっ子さを持ち合わせていた。
これからきっと学生になって無限に広がる人生から一つを選んで生きることに苦労していくし、社会人になって大人の辛さを身をもって体験していくはずだった。そんな子供に男が背負わせる物はたったひとつしか無かった。
再びその狂気に満ちた笑みが見える。二度とみたくないその顔は拳銃の引き金を引く。世界が止まっているような感覚さえ起きた。子供は目を瞑り何も見たくないとその行動で表した。
まだ死ぬ、ということが分からない子供とそれを育てるはずの両親に鉛玉が飛ぶはずだった。その弾丸は男の頭を直撃していた。
何が起きたかは分からない、どんな事が起きたのかも。子供は目を開けると四人の黒ずくめが倒れていた。
どこからともなく現れたその男性に安否を確認される。子供も両親も無事だった。何も分からずにいた子供はただ一言それを男性に告げた。
あと一人いる。
男性が勘づいた頃には飛行機は大きく揺れ落下しているように思えた。男性は迷わずコックピットにいた最後の一人を殺すが空飛ぶ鉄の塊は留まるところを知らない。
地面につき大きな衝撃と火事が起きる。その飛行機にいた誰もが自分は死んだと、そう思った。
目を開けるとそこは炎に包まれた機内の中だった。何故か死んでいない。どういう訳だとさえ思うが、生き残った者たちは自分が生きていることを喜び、死んでいった者たちのために泣いていた。
地獄とさえ見紛うほどの焔の中、少年は一人這いつくばりあの時の男性であろう後ろ姿を見る。全員の無事を確認すると男はその場から消え痕跡を残さなかった。
直後に無傷の両親が近寄ってきて子供を抱きしめる。二人からの愛を再確認すると共に子供は目を輝かせた。
何も言わずに誰かを救えるあんな人間になってみたい、力を正しいことに使う誰もが憧れる英雄のような人間に。その瞳は彼の人生の中で最も輝いていた瞬間だった。
後日、彼からは魔術師としての才能が芽生えた。後天的な魔術師は全体の三割半、珍しくもないが少年は運命とさえ思った。
きっと自分に魔術としての力が生まれたのは、あの英雄のような人間に、英雄になる為なんだと。
そこから数年、世界中で巻き起こる戦争を画面越しで目の当たりにした青年は訓練校へ入り、国際連合防衛軍、ガーディアンズの入隊を決意した。
そこから彼は奮闘し続けた。三年の歳月を経て鍛え上げた自分の身体と魔術をもって戦場へと向かい、戦い続けた。真の英雄とも対面した。
何年もの月日が経ったが、結果はこのザマだった。
誰よりも哀れで誰よりも滑稽だった。何故自分は誰よりも強くなれないのか。何故自分は誰かに称えられる英雄になれないのか。
誰かの痛みを誰よりも分かっているつもりなのに、何時だって諦めないあんな人間になれたはずなのに、追い求めた英雄は未だ遠くに居座る。まるで嘲笑うかのようにこちらを見続けながら。どうしてなんだろう。どうして自分は。
英雄の座に付けないのだろう。
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