0/2/7/ アストルム


「すいません、私昔っから空気読めないって言われてて本当に悪気があった訳じゃないんです」


 口を急がせるように話すリンジーにルドルフは得も言われぬ顔をしていた。


「用件はなんだ?」


「え、あ、あのぉ……そろそろ交代の時間だなあって思いまして」


 瞼がビクつきそう言えばと左手首に着けた腕時計を見ると交代の時間をとっくに回っていた。こればかりはリンジーに非が無いせいか、ルドルフは咳払いをしてその場を立ち去ろうとした。


「んんっ、じゃあ頼むぞ」


「はいっ。あ、あのー」


 リンジーは身体を震わせながらルドルフを引き止める。彼は素直に彼女の方へ振り返るとリンジーは質問した。


「大丈夫、ですか? さっき泣いてましたよね」


「っ!?」


 よりにもよって一番見られたくない人間に見られてしまった。

 リンジーとモニカという人間の真意が分からないせいで悪態をつき上から目線の態度をとっていた出会い頭と、ただ要領が悪くて仲間を救いたい一心だという事が分かった今では話が変わってくる。

 弱味を握られたとは思えず、ただ他人に見せたくなかった自分を見られたということが羞恥心の原因だった。


「泣いてるわけないだろ、お前の見間違いだ」


 必死の弁解をするがリンジーは続けざまに問いつめていく。思い出せば、先の戦いでも無様に助けを求めて死ぬということの恐怖に覚悟が追いついていなかった自分を彼女たちは助けてくれた。それを考えると益々自分の情けなさが見えてくる。どうしよもないやつだと自覚していく。


「でも、空見上げて泣いてましたよね?」


「泣いてねえから」


「でも涙拭くのも見て……」


「泣いてないって言ってるだろ、何回も言わせるな!」


 少し語気を強くするとリンジーは目をはっとさせて、謝る。出しゃばりすぎてすみません、言いたくない事を言わせようとしてすみません。そんな言葉が連続してルドルフに降ってくる。嘘をついて後に引けなくなったルドルフはそんな彼女に精一杯のフォローをする。


「お前は鈍感なだけだろ、気にすることは無い」


「ほんとにごめんなさい。ただ私は……」


 もうこの場から去りたい、彼女に対する罪悪感で心が満たされていたルドルフにリンジーはある言葉を漏らした。


「わたし、と一緒だなって思って」


「……は?」


 疑問を浮かべた、自分と彼女のどこが一緒なのかそれも疑問だったが彼女がそんなことを自分に言ってくるのも不思議で仕方なかった。

 これだけ彼女に悪態をつけて醜態を晒せば嫌悪の念を抱かれるのも当然。どうせこの作戦限りの付き合いだろうしいっそ終わるまでこのスタイルを貫こうとも思っていたルドルフに、彼女はそっと歩み寄ってくるようだった。


「お前と俺なんかのどこが……」


 魔術を持って生まれた人間とそうでない人間、仲間を守ろうとする人間と自分が生きれればそれでいいとまで考えてしまった人間、はっきり言って真逆だ。なのに彼女はそんなルドルフと自分が一緒だと明言した。


「私も星を見ると泣きそうになっちゃうんです、昔ある出来事起きた時の星を思い出しちゃって」


「ある、出来事……?」


 踏み込んでいいのだろうか。どうしようもなくみすぼらしいこんな人間が、立派に生きているだろう彼女の心に土足で入るなんて烏滸がましいに決まっている。

 でも、彼女は自分と一緒だと言った。何かはわからないがその出来事を聞けばきっと分かる、ルドルフは彼女と自分を信じることにした。


「聞いていいのか」


 彼女はゆっくり頷く。大きく息を吐き緊張が解けていくルドルフにリンジーは落ち着いた声で彼女自身の身の上話を始める。


「昔、私はお母さんから虐待を受けていたんです。お父さんのいない間にずっとずっと。最初はなんでお母さんが怒ってるか分からなかったんですけど十年くらい前にようやく分かったんです」


 優しい父親と厳しい母親の元で生まれたリンジーは父親が居ない時間、母親から虐待を受けていた。最初は何も出来ない自分に怒っているのかと考えていたが彼女が九歳の頃その原因が判明した。

 その実、母親はの人間だった。


「お父さんは私を連れて家を出ました。二人だけの生活はほんの少し寂しかったけど幸せって思える時間でした、でも」


 母親は転居先を見つけた。自分の腹から産まれ落ちた子供が自分が憎むべき対象だった。その執着心と憎悪にまみれたリンジーの母親は二人の幸せに乗り込んできた。


「私は当時、自分の魔術がどういうものか一切知らずに生きていました。だから使い方も分からずにその日を迎えて。お母さんは持っていたバッグからナイフを取り出して私を刺そうとして」


 だが身体から血が吹き出たのはリンジーではなく、優しすぎる父親からだった。母親から彼女を庇うように守った父親は当たりどころが悪くその場で倒れ命を絶たれた。


「お母さんは酷いショックと罪の意識から逃れようとお父さんのあとを追いました。残ったのは私一人だけ、悲鳴も上げられずただ外に出て空を見上げたんです」


 彼女は心の中に魔術が使えない自己嫌悪と他人への不信で満ちた自分とは違う、魔術を巧みに使い誰を気にすることもないマイペースな少女という人格を形成することで今まで心の均衡を保ってきた。


 真っ暗な夜空に光り輝く星。それを見て彼女はいつの間にか涙を流していた。


「そんな出来事なんです、誰も幸せにならない、全部私のせいで起きた出来事なんです」


 ただ沈黙を貫いたルドルフは彼女の泣きそうな顔を見て想った。


 自分と彼女は確かに似ている。

 人が死んでしまうという異常な光景に絶望したという点においては似た者同士だ。結果こそ違えどその景色を見た時から二人は後戻り出来なくなった。


「どうしてこんな薄汚い世界に足を踏み入れた?」


 彼女ならばもっと幸せになれるはずの道もあるはずなのに。


「こんな私でもどこかで人を助けてみたいと、思ったから、ですかね」


 誰に指図された訳でもないのに二人はその道を示された。何もしていないのに幾多の屍を越えなければならないと言われた。

 一人でなんて絶対に不可能だ、だが同時に感じた。その時ばかりは通じ合えた気がした。

 たとえ過去がどうであろうと今、横に並び立つ人間でその存在は証明され、昇華されていく。


「すまない、今までひどい態度をとってきた」


「酷い、態度? とってたんですか?」


 どうしようもなく鈍い彼女とどうしようもない人間性の自分は似ている、ルドルフはそう感じ取ると今しがた言った言葉をかき消すように次の言葉を絞り出す。


「いいかリンジー、お前もモニカもこれからは誰でもないお前ら自身の意思で動け」


「は、はい!」


「分からなくなってもいい、その時は隊長や副隊長、それと……俺を頼れ」


 慰めでも哀れみでもない、お互いに背中を押し合えばきっと乗り越えていける。浅はかな希望でもなんでもいい。それがあるだけできっと心は楽になる。


「俺の役に立ってくれれればそれでいい、だから死ぬことも許さない。死ぬことは俺の役に立たないという事だからな」


 一瞬の沈黙ののちにリンジーはルドルフに問う。


「……それってつまり絶対に死なないで生きて俺のそばにいろってことですか?」


「そういう時だけ感を鋭くさせるんだな」


 そんな二人の少年少女を星空はいつまでも見守っているようだった。

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