030. 出来る限りのこと



 二〇三二年の今、ナノマシン技術は着実に進歩し、例外でもなければ個人情報ぐらいなら証明証を出す必要も無くなった。


 ガーディアンズに属する魔術師すべては現地に配備される前に体にナノマシンを注入される。

 魔術師の保護の一環として義務づけられた注射の意味は心拍数や脈拍、体温を感じとり戦争に対して最善を尽くすためにやられたものだ。

 この技術は民間には使われず国連が独占している。国が運営する病院等には使用されているようだ。


 最善を尽くす、その意味は多くの魔術師たちには理解出来ないままだがグレイスにとってそんな事は考えても仕方ないと思うのだった。最善を尽くすなんて言っていられない状況下の中で。


 グレイス・レルゲンバーン大尉。彼は窮地に追いやられていた。自分の死よりも危険性のある、戦線の放棄を強いられていたのだった。


 その危険は勿論、いつも通り突然にやってくる。

 最初にその予兆が見られたのは十四時間と四十五分前だった。










 夜の十時、グレイスは一般兵による交代制の偵察が暇を持て余し、出処も分からない酒を飲んでいないかを確認した後、寝室の床についた。


 自分専用の部屋ではない。人がいなくなり空き部屋となったものを代用させてもらっているのだ。アリアステラにあった私室は残したまま慣れない空気感の中で眠ろうとしている。


 この基地は日を重ねると部屋に余裕が出来る。

 これはこのコペンハーゲンの大地におけるガーディアンズ国連軍の状況をよく表していた。


 かつてはここの戦線も常勝だったと言う。かのイクスが出るまではここも安全だったのだろう。

 だがいざ彼らが出てくるとここの司令であるホラーツ・エッフェンベルガーは対処も、順応も出来なかった。

 グレイス自身もそれは出来なかった。だからあの時負けたのだ。状況の変化に耐えきれず、臨機応変に対応しきれなかった。

 大尉に昇格してからは負けか敵を殺せずにいるかのどちらかだ。次の戦いで失敗をすれば降格だろうか。普段は階級にこだわる訳でもないのに分からない未来に不安を抱くグレイス。ナーバスになっているからか、些細な事でも気持ちが落ち込みそうな彼は別のことを考える。


 つくづくグレイスは感じている。なぜあの時、緊急事態の中クライヴからレブサーブへと司令が変わったのか。

 その答えは見えている。変えている暇なんて伝わらないのだ。

 現場の状況なんて上層部は考えていられない。ありもしない自分の身の危険を回避するために必死なのだ。

 口には出さないがグレイスは常々上の人間を無能と思っているのだ。


 意味の無いことを考え、抗う方法も見つけようともせずにストレスを溜め込むより今は寝た方がいい。

 師匠も言っていたその言葉の通りに彼は目を閉じた。


 その時、ドアを叩く音が聞こえた。自分の部屋だろう。グレイスはすぐさま起き上がり扉を開ける。

 そこに居たのは自分より五センチほど背の小さい男、櫻井潤だった。


「潤か、どうした?」


 落ち着きながらもどこか不安げの彼はグレイスに向けて喋り始める。


「少佐がお呼びです、なにやら不味い事になったみたいで」


「分かったすぐ向かう」


 三十秒にも満たない会話を終えてドアを閉めると、彼は短時間である程度の準備を済ませあの部屋に向かった。






 司令室にはホラーツ、ゲレオン、潤と先日の会議をした三人に加え、医療部隊のシャロンまでいた。

 ドアを開けて部屋に入るなりグレイスは問う。


「何があったんですか?」


「落ち着いて聞け」


 平常心を保ちながら来たつもりのグレイスはホラーツに手を向けられる。他人から見るときっと自分は焦っているのだろうと感じたグレイスは、その言葉に頷き息を吐く。

 それを見たホラーツは喋り始める。


「一般兵だが、ブレイジスの兵士たちが大軍でやって来ている。その後ろにはサキエル・グランザムたちもいるだろう」


 全員が集まってから話すつもりだったのか、まだ聞いていなさそうな皆もそれに反応する。


「この危機から逃れることは、まあ出来なかったでしょう」


 ゲレオンの冷たい言葉はその場の雰囲気を重くした。


「だろうな。これで、俺の完璧になるはずだった義手も全てパーだ」


「そうね、嬉しいことに」


 シャロンはグレイスの皮肉に乗ると彼自身は鼻で笑ってしまった。

 グレイスは下らないことで笑ったのではなく、この抗いようのない事に対してどこにもやれない悔しさと憤りを隠すための嘲笑だった。


 危機に慣れていない潤は間接的に言われた絶望するほどの状況下に敏感に反応する。


「ど、どうするんですか?残っているのは一般兵も含めて百人満たない程でしょう?」


「そうだ、だが俺の思い通りに相手が動いてくれる訳がない」


 その問いを打ち砕くようにホラーツは現実を見せる。


「俺らは勝てはしないが負けたくもない、それはこの基地にいる誰もが思っていることだろう。だからやれることは一つしかない」


 その一つとは何か、グレイスもゲレオンも察しがついていた。

 その答えを放つ二人の声は重なった。



「勝敗の結果を持ち越す……」


「選択肢はそれしかない」



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