番外編

第29話 ミステリ研の休日(それからどうした猫と和解せよ)

「なあ、兄貴」

「なんだ、陽向ひなたきゅん。朝から愛の告白か? おれたちに禁忌はないぞ?」

 ごふっ!

 とりあえず、兄の太陽たいようの無駄に分厚い胸板に裏拳で思いっきり突っ込みを入れて。

「なあ、そうやってしつこくおれに求愛するけどさ」

「求愛って、おまえ」

「つまり、兄貴ってホモってこと?」

「……」

「……」

「妹よ、なぜそっちに行く。えっ!? まさかおまえ、十五年間おれをたばかってきたのか!? あやしいとは思っていたが男のだったのか!? 一緒にお風呂に入らなくなってから、ちんちんが生えたのか!?」

 殴り倒してやりたいが、この無駄にでかくガタイもいい兄と争えばどちらかが死ぬ。

 立て続けにふたりの女の子から無理矢理キスされ、陽向の乙女心は千々に乱れのたうちまわり、百鬼夜行絶賛敢行中である。


 そんなうららかな日曜日。


太刀川たちかわ先輩ならわかるけどさ。あの人なら中学の頃から女の子に人気あったしさ。なんでおれなんだよ」

「なにブツブツ言ってるんです、ひなたちゃん」

「なんでもない」

「ひなたちゃんが気づかなかっただけで、ひなたちゃんも女の子に人気ありましたよ。バレンタインチョコだっていっぱい貰ったでしょう」

「あれはごっこ遊びだろう?」

「ああいえばこういう」

 陽向と裕美ゆみが高校に入って、やっと二度目の日曜日である。そう思うとなぜか焦ってしまいそうになる。日々が濃厚すぎて、なんだかもうベテランの高校生気分だ。

南野みなみのうじー! 佐々木ささきうじー!」

 クールビューティ林原はやしばらさんと並んで歩いてきたオカメインコ篠田しのださんが、バス停で待つ陽向と裕美に無邪気に手を振った。半ズボンにリュック姿で、私服の彼女は小動物系に磨きがかかっている。しかも嬉しそうに駆け寄ってきた彼女は、いきなり泣き出してしまったのだ。

「うっうっ。私、私、休みの日に友達と出かけるのって、物語の中にしかないって思ってました。うっうっ」

 よしよし。

 これからはいつでもできますからね。

 だけど、ほんのふたつ先のバス停でバスを降り、みんなで向かった大きな家。お寺の山門のような門の前でみんなを待っていた人影を見て走り出したのは、今度は裕美だ。

「しょーーこさーーん!」

「裕美! そうだ、しょうこだぞ!」

「しょーーおおーーこさーーああーーん!」

 まるで子供のように泣きながら裕美は松岡祥子の胸に飛び込んだ。

 いじめられてた頃の白馬の王子さまだものな。

 あの感情表現が独特な裕美のあけすけな喜びように、陽向はちりっと胸が痛んでしまう。だけどしょうがない。自分では守りきれなかったのだから。

 松岡祥子はロングTシャツにカーゴパンツ。

 裕美と陽向もトレーナーにジーンズ。篠田さんは半ズボンだし林原さんもみんなと似たような格好だ。

「やあ、よく来てくれた」

 玄関から出てきた太刀川先輩は例によって和服だが、それでもたすき掛けで臨戦態勢だ。先輩と一緒に出てきたよっちゃんも、先輩の家で着換えたのか上下スエット姿だ。

 今日は、太刀川先輩の家でなにかするらしい。



「いようっ、陽向っ!」

 そんな馴れ馴れしい電話がスマホにかかってきたのは一昨日の夜だ。

「誰だよ」

「私だよ、松岡まつおか祥子しょうこだよっ! 登録しとけよっ!」

 どこでおれの電話番号知ったんだよ。

「で、おまえ日曜ひまだろ。裕美と一緒に太刀川先輩の家に来い。地図が必要か?」

「知ってる。先週行ったばかりだ」

「朝九時に集合な」

「おい、なに勝手に決めてるんだよ。なにをするつもりなんだ」

「やかましい。三回目のキスをした陽向」

「きゃーーーーーーーーーーーーーー!」

 妙に五十嵐浜いからしはま高校の事情に詳しい裕美も、校内にスパイ網を構築しているという地獄耳の生徒会長も、保健室のおばさんも知らない。だけど光学機器を駆使するこののぞきのプロには見られしまったようだ。でもたしか、毒餌どくえさ事件の犯人を捕まえていたところだったはずなのだが。

「作業できる格好で来い。拒否したら裕美にバラす。月曜の朝に写真入りビラをばらまく」

 写真にまで撮られたらしい。

「きゃーーーーーーーーーーーーーー!」

「じゃあな。裕美にはおまえから連絡するか?」

「きゃーーーーーーーーーーーーーー!」

「きゃーーーーーーーーーーーーーー!」

「よし、私から連絡しよう。あの頭良さそうなのとオカメインコみたいなのも呼ぼう。じゃあな」

「きゃーーーーーーーーーーーーーー!」


 実はこの課外活動。

 例の双子の子猫が絡んでいるらしい。


 双子の子猫は、一度は毒餌事件の犯人にお持ち帰りされたようなのだが、さすがに彼に今後をまかせるわけにはいかない。

「この子たちをお願い」

 祥子から子猫を託されたのは太刀川先輩だ。

「私は飼えない。私は幽霊なのだから。お願い」

「安請け合いはできない。だが、努力する。それだけは約束する」

 とりあえず先輩が立ち向かわなければならないのは、太刀川家当主の父親だ。厳格であり、古武士のようであり、最大で最強の壁なのだ。

「お願いがあります」

 太刀川先輩は正座し頭を下げた。

「あの子たちを私に飼わせてください」

「龍馬の代わり、か」

 父親が言った。

「否定できません。龍馬の死に責任がある私が、すぐに次の動物を飼いたいと言い出すのはあまりに軽薄だとお考えでしょう。でも私は、後輩にあの子たちを託されました」

「だめだといえば、どうする?」

「飼ってくれる家を探すしかありません。でも私があの子たちを託されたのです。飼い主としての責任を果たす機会を、もういちど私にください」

 父親は黙った。

 太刀川先輩は頭を下げたまま少しも動かない。

 龍馬。力をくれ。

「金は出す」

 父親が言った。

「猫を飼っている家を知っている。障子がとんでもないことになる。おまえが家中の障子をプラスティック障子に張り替えろ」

 弾かれたように太刀川先輩は顔をあげた。

「一人でやれ。家の者はだれも助けんぞ」

「はい!」

「勉強や剣道も休むな」

「はい!」

 目に涙が浮かび、太刀川先輩はまた頭を下げた。

 うちの娘はまともに甘えることもできないのかね。父親は思っている。あなたも素直に許すことができないのですか。となりの部屋で母親も思っている。



「さあ、はじめようか!」

 なぜか仕切っているのは松岡祥子だ。

 さっと長い髪をシニヨンにまとめ、そういえば今日はメガネをかけていない。

「このだだっ広い家の障子を全部張り替えるんだぜ、野郎ども!」


「おれは一人でやれと言ったんだがな」

 広い庭に障子を運び出している祥子たちを母屋から眺め、先輩の父親が言った。

 なんだあの長身の娘は。だだっ広くて悪かったな。いや、悪意はあってもけなされたわけではないか。

「家の者はだれも助けない。そうおっしゃったのです」

 母親が言った。

「むう」

「それに、これだけ助けてくれる友達が集まってくれるというのは、私たちの育て方が間違っていなかったということでございましょう?」

「むう。ところで、ひとりだけ男がいるようなのだが」

 しかも色男なのだが。

「なにを心配なさっているのです。あの子は女の子です。先週も来ましたよ」

「むう」

「茶室で長いことふたりっきりで」

「むう?」

 障子に水を撒き、障子紙を破る作業が始まると、なんだか子供のように楽しくなってしまう。みんなできゃっきゃと歓声を上げているところに、母親が声をかけた。

「おつかれさま、みなさん。お昼はお寿司をとりましょうね」

「はーい!」

「はーい!」

「ありがとうございまーす!」

 え、マジっすか。

 人数を数え、ちょっとドキドキしてしまう古武士のお父さんなのだった。


「しょうこちゃん、そろそろ教室に顔を出しませんか」

 缶ジュースを手にしての休憩中に裕美が言った。

「そもそもなんで学校に来ているクセに授業には出ないんだよ」

 陽向も言った。もちろん陽向だけは牛乳だ。

 松岡祥子は目を伏せて笑っている。

「そういえば、全校退校時間に理科棟の最上階にいたの、おまえだろ?」

「そうだよ」

「あれからどうやって校舎を出たんだよ」

「出てない」

「えっ」

「えっ」

「いいじゃないか、すぐに消えてしまうだけの私なんだから、気にするなよ」

 松岡祥子は謎めいた言葉に謎めいた笑顔を浮かべるだけだ。

 陽向と裕美にはわからない。

 ただ、なんとなくゾッとしたものがふたりの背中を走った。


 太刀川先輩は空を見上げた。

 雲ひとつない真っ青な空だ。

「龍馬、元気か」

 心の中で呼びかける。

「元気でやっているか、龍馬」

 先輩の部屋のベッドの上では、双子の子猫が寄り添って眠っている。

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