第26話 猫と和解せよ 6

 保健室から見る桜は葉桜に近い。

 お茶を手に、美芳みよし千春ちはる先生は校庭を眺めている。と言うか、とうに授業は始まっているというのに校庭をうろちょろしている生徒がいる。校庭の植え込みを上からのぞいたり、スカートが汚れるのも構わず地面に伏してのぞいたり。

「子猫たちはどうしたのよ!」

「いったいどこにいったのよ!」

「あんたたちは無事よね!」

「ねえ、無事よね!」

 長身。

 長い髪。

 印象に残るすらりとしたきれいな立ち姿。そして整った顔。メガネをかけているというのは知らなかったけど、伊達かもしれないし。

「まあ、私は保健室のおばさんですし~」

 ほう、と美芳先生は眼を細めた。

「昨日は藤森ふじもり真実まさみ先生)の失恋酒に付き合わされてちょっと頭が痛いし~。正直、騒ぎ立てる気はさらさらないのですが~」

 美芳先生はお茶を置き、保健室の窓を開けてその生徒に声をかけた。

「ねえ、そこのあなた~」

 生徒が振り返った。

 おそろしく不機嫌そうだ。

「あなた、松岡まつおかさんですよね~」

 ギロっ!

 教諭をにらむなよ。

「うわさの不登校児、松岡まつおか祥子しょうこさん~。どう、保健室で私とお茶でも飲まなぁい~?」

 だっ!

 生徒が脱兎のごとく走り出した。

 かわいげもない陸上部走りだ。

「あら、逃げちゃった~」

 美芳先生は窓から顔を出して、駆けていく生徒の姿を見送った。

「いったいだれが最初に彼女を捕まえるのかしらね~」

 不思議だよね~。

 小学校や中学校より、高校の方が個性的な生徒が多いのよね。似通った学力の子が揃えられてるはずなのにね~。

「この頃から、性格以外の個性が出てくるからですかね~」

 自分の机に戻りお茶を手にして、

「でも彼女の場合、少しユニークすぎますかね~」

 ほう、と美芳先生は笑った。




「あれっ、これはなに?」

 一年三組のお昼休み。

 いつも通りのコロッケパンを手に、いつも通りの空き机で陽向ひなたが言った。陽向から空き机の書き込みに反応するのは珍しい。裕美ゆみもお弁当箱のハンカチを解きながら覗き込んだ。


 猫を殺したのは誰?


「猫を殺したのは誰?」

 そう声に出して読んだのはオカメインコ篠田しのださんだ。

 注目されるのに耐えられないと、空き机でお昼ご飯を食べるのをやめた篠田さんのはずなのだけど。陽向が反応している書き込みがあるらしいと、お弁当箱を手に確認に来たようだ。

 好奇心もすごいな。

 陽向は思った。

 篠田さんの言葉にクラスの多くが反応している。いつもなら空き机からの発言には耳をダンボにするのに、なんだか気まずそうだ。ダンボにしたままではあるのだけど。

「たぶんですが」

 篠田さんが言った。

「校庭で猫が死んでいたそうなんですよ。その事じゃないでしょうか」

「猫が?」

「その……毒の入った猫缶を食べさせられたらしくて……」

 えっと陽向は思った。

 太刀川たちかわ先輩の愛犬の龍馬ちゃんは、道端に置かれていた砒素入りの毒の餌を食べて死んでしまったのだという。そんな事件がこの町で頻発しているらしい。

 それが、この学校でも起きちゃったのか?

「それで……」

 篠田さんの言葉は続いていたようだ。

「ええと……」

 あのマシンガントークの篠田さんの口が重い。声まで小さくなり、ささやくようにしてやっとそれを言った。

笈川おいかわ真咲まさきさんが犯人だという噂になっているようです……」

 そしてトトトと後退るように、クールビューティ林原はやしばらさんが待つ机と戻っていった。

「……」

「……」

 真咲が……?

 まさきちゃんが……?



 篠田さんからそんな話を聞いても、おれはまさかと思っていたんだ。


 真咲がほんとうに猫を殺したかとかじゃない。そんなことをする奴じゃないとか、そんなことでもない。おれはそこまであいつを知らない。


 そうじゃなく。

 あの笈川真咲までもが、から逃れることはできないんだってことに。



 笈川真咲が階段を踏み外した。

 廊下に出ていた陽向と裕美は、たまたまそれを見ていた。篠田さんと林原さんもいた。陽向は駆け出そうとして、だけどその足を踏み出せなかった。

 踏み外したわけじゃない。

 押されたんだ。

 押した生徒もわかっている。まだそこにいる。だけど彼女は少しも悪びれていない。得意そうにすら見える。彼女のまわりにいる生徒たちも彼女を責めていない。笑っている。


「笈川真咲さんが犯人だという噂になっているようです……」


 陽向は息を呑んだ。

 一歩が出ない。

 林原さんが先に走り出し、それをきっかけに陽向もやっと足を出すことができた。

 階段の踊り場に、真咲が手をついて倒れている。

 まわりには筆記用具が散らばっている。

「怪我は?」

 真咲を押した生徒たちがすぐ近くにいるのにも構わず、林原さんが声をかけた。真咲は立ち上がった。陽向と階段を見上げる真咲の目が合った。陽向は目を逸らしてしまった。

「ないわ」

 真咲はしゃがんで、散らばった筆記用具を拾いはじめた。

 林原さんが階段を駆け下りた。

 いつの間にか、真咲を押した生徒たちはいなくなっている。

 林原さんの勇気や責任感がおれにはなかった。彼女が一緒にいてくれなければ、彼女がおれより先に駆け出してくれなかったら、おれはきっと、そのまま見なかったことにしていたんだ。

「ありがとう」

 林原さんから教科書を受け取り、真咲が言った。


 共振だ。

 陽向は思った。


 誰も乗っていないブランコが動くように、あいつはいじめてもいいらしいぞって共振が人を動かしてしまう。そしてそれはどんどん大きく揺れてしまう。中学ではカーストの頂点に君臨した女王さまだって、その共振から逃れられないんだ。

 そして。

 そうなんだ。おれは思ってしまったんだ。

 真咲もいじめられればもう裕美に手を出さなくなるだろうって。踊り場に倒れている真咲の姿を見た時、おれはそう思ってしまったんだ。

 大怪我をしていたかもしれないのに。

 一度は友達だったのに。

 ぎゅっと。

 裕美が手を握ってきた。

 握ってきた裕美の手を陽向は握り返した。口の中が苦い。



 とてつもなく苦い。



「あっ」

 放課後の昇降口。

 裕美が素っ頓狂な声をあげた。

「裕美さんは忘れ物に気づいてしまいました。すっ飛んでとってきますから、ちょっくら待っててください!」

 裕美が駆けていく。

 その後ろ姿を見送って、陽向も言った。

「やばい、おれも先輩に呼び出されていたのを忘れてた。裕美が来たら、おれを待たないで先に帰って。説教だったら長くなるだろうからさ」

 良かったと思うのは、篠田さん、林原さんという友達を得たことだ。

 このふたりに任せておけば大丈夫。

 考えてみれば陽向は、このふたりからも距離をとろうとしていたんだ。それでいて今は友達として頼っているんだ。

 虫がいい。

 ほんとうに。



 裕美が一年三組の教室を飛び出していった。

 廊下のロッカーの影からそれを確認し、陽向は教室の中に入った。

 ほんとうに忘れ物だったのかもしれない。それならいい。でも、空き机の天板の裏に何かを書き込んだのなら。

 裕美は、空き机の天板の裏で自分と文通しているのが自分だと知らないはずだ。それなのに見てもいいのだろうか。

 とくに――今日は。

 裕美が「しょうこさん」を相手に、本音を語っているかもしれないじゃないか。


 中学の頃、自分をいじめた笈川真咲がいじめられていることへの本音を。


 陽向は教室に誰もいないのを確認して空き机に近づき、スマホを差し入れた。ほんの数日前にも同じ事があって、陽向は泣いてしまった。そして今、画像を確認した陽向の眼にあふれるのも涙だ。



 しょうこさん

 まさきちゃんをたすけてあげて



 涙が止まらない。

 ああ、幸せだ。

 昔から泣き虫だったけど、高校生になってからはもう、なんだかおかしいよね。でもいいじゃない。泣いたっていいじゃない。だって、こんなにも幸せなんだから。


 裕美と幼なじみでよかった。

 裕美と友達でよかった。


 裕美を大好きでよかった。ほんとうによかった。




「子猫はいねがー」

「子猫はいねがー」

 今度は校舎を探し回っている松岡祥子だ。

「子猫はいねがー」

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