第25話 猫と和解せよ 5

「……うそ……」

 手に猫缶。渡り廊下の隣の繁みを覗き込んだは固まってしまった。

 マンション暮らしのよっちゃんの家では猫を飼えない。

 SNSを利用して里親を探し始めたところだった。

 あの親子猫の親猫が泡を吹いて倒れている。全身の毛が逆立ち、苦しんだ跡がある。近くには蓋の開けられた猫缶。


 死んでいる。




「右手をどうしたのです、陽向ひなたちゃん」

 裕美ゆみの言葉に、オカメインコ篠田しのださんとクールビューティ林原はやしばらさんも覗き込んでくる。陽向は慌てて眺めていた右手をポケットに入れた。

「なんでもない、なんでもない」

 通学の電車の中。陽向の顔はしまりない。


 あたたかかったな、先輩の手。


「左手がなにかしたのかい、太刀川たちかわー!」

 大きな声で言われて、太刀川先輩は慌てて左手を机の中に隠した。どうせすぐに、あのえも言われない篭手の中に入れなければいけないのだ。もう少し感触の残りを楽しみたかったのだけど。

「生徒会長。ここは二年の教室ですよ」

「うん。だからなに?」

 三年生のあなたが堂々と出入りする場所ではないのですけど。

 まあ、この自由でロックな人には、なにを言っても無駄なのだ。

「なにかご用ですか、生徒会長」

「たまには名前で呼んでくれよ、太刀川ー。さみしいよー」

 ぎろっ!

 太刀川先輩と生徒会長の漫才はこの教室では見慣れたものらしく、他の生徒たちは授業の準備に余念がない。

「それでさ。あんた気にしてたろ」

「?」

「ペットの毒餌どくえさ事件さ。この学校でも起きてしまったようだぞ。うちの一年が見つけた」

 太刀川先輩が立ち上がった。

「どこです」

「うん?」

「それはどこです!」

 太刀川先輩は教室を飛び出していった。

「おーい、太刀川。もっと生徒会長さんとお話ししようよー」

 残された生徒会長は、くるっと周囲を見渡した。

 ざっ!

 目が合いそうになった生徒は、慌てて外を見たり教科書に視線を落とした。太刀川さんの代わりに絡まれてはたまらない。

「ちえっ。自分の教室に帰るか。さみしいなー」

 生徒会長は制服の上に羽織ったブルゾンに手を入れ、教室を出て行った。



 変な匂いがしている。

 それには気づいていた。

 朝の生徒昇降口。ざわめきが普段より多い。少し不穏かもしれない。そちらには気づいていなかった。どうでもいいことだから。

 笈川おいかわ真咲まさきは靴を上履きに履き替えて歩きはじめた。

 そして、びくっと立ち止まった。

 陽向がこの光景を見ていたら、ああ、あいつでも驚くことがあるんだと感想を述べたかもしれない。いろいろと理屈をこねくり回したかもしれない。とは言え、この状況で驚かない高校生はさすがにいないのではないだろうか。

 昇降口の上がり口の隅に、一人の生徒が座っている。

 スカートだが片膝を立てている。

 長くきれいな髪に、大きな黒いセルフレームのメガネ。そして抱えているのは猫用のドライフードの袋だ。生徒はドライフードの袋に手を突っ込み、掴み、そして口に放り込んだ。

 バリッ。バリバリバリッ。

 いい歯をしているのだろう、小気味いい音がする。

 生徒たちはチラチラと見ながらも、彼女を避けるようにして渡り廊下へと急いでいる。このくらいなら真咲も、さすがに「よくあることだ」とは思わないまでも「どうでもいい」で通り過ぎただろう。たぶん。

 しかし、その生徒は真咲に視線を合わせてきたのだ。

 じろり。

 さすがに立ち止まってしまう。

「なに」

 ドライフードの生徒が言った。

 睨んでいるのはあなたのほうなのだけど。

「あげないわよ」

 そもそも欲しくない。

 ドライフードの生徒が立ち上がった。座っているときからわかってはいた。この子、大きい。陽向かそれ以上に背が高い。他の生徒たちは遠巻きに二人を見ている。

「あなたの言うとおりだった」

「?」

「『親』に頼むべきだった。土下座してでも、あの子たちを飼ってやってくださいと頼むべきだった。でも私はすぐにいなくなっちゃう子なのよ。ただでさえわがまま放題してるのに、そんな無責任なことを頼めるわけがないじゃない」

 わけがわからない。

 もういいだろう。

 今度こそ無視して彼女から離れようと思った。その真咲の腕を長身の生徒が掴んだ。

「ごめん」

 長身の生徒が言った。

「あなたはなにも悪くないのに、あたってごめんよ、笈川真咲」

 あっと、真咲はまた驚いた。

 見たこともない子に名前を知られているのには慣れている。そっちじゃない。長身の生徒が泣いている。まるで子供のようにボロボロと涙を落としている。

「全部、私が悪いんだっ! こんちくしょうっ!」

 ばあん!

 ドライフードの袋を床に叩きつけ、長身の生徒は走っていった。

 なんだろう、あれは。

 余り物に動じない真咲も、そして周囲の生徒たちも唖然としている。ただ、ひとりだけ別の驚きに眼を見開いている生徒がいる。陽向や裕美、そして真咲と同じ一年生だ。

上遠野かみとおの……」

 その一年生は小さくつぶやいた。



「よっちゃん」

「泣かないで」

「泣かないで」

 渡り廊下の外に一年生たちが集まっている。

 笈川真咲は渡り廊下からそれを見た。

 彼女たちに囲まれているのはショートボブのよっちゃんだ。

「よっちゃん、よしなよ。制服が汚れちゃうよ」

 よっちゃんが抱きしめているのは猫だ。

 動かない。

 死んでいる?


「親に頼むべきだった。土下座してでも、あの子たちを飼ってやってくださいと頼むべきだった」


 ああ。

 あのおかしな子が言ったのはこのことだろうか。

 立ち止まり、彼女たちを見ていると、そのなかのひとりが真咲に気づいて睨み付けてきた。真咲は視線を切って歩きはじめた。

 生徒たちを縫って渡り廊下を走って来たのはポニーテールの二年生だ。

 彼女は真咲の横を通り抜け、腰板に手をかけるとスカートを翻して飛び越えた。

「無作法は許せ!」

 太刀川先輩だ。

「私は二年四組の太刀川琴絵ことえだ。生徒会長から、猫の死骸があったと聞いた。すまないが――」

 太刀川先輩は、よっちゃんが抱きしめている母猫に気づいたようだ。

「すまないが――その猫を渡してくれないか」

 よっちゃんはうつむいたまま、猫をさらにぎゅっと抱きしめた。

「この近くで毒の餌が置かれていて、猫や飼い犬が被害に遭っている。私たちはその犯人を捕まえるために情報を集めている。たのむ。その猫を渡してくれ。獣医さんに確認して貰わなければならないんだ」

 よっちゃんは涙で濡れた顔を上げた。

 太刀川先輩はじっとよっちゃんを見つめている。

「犯人を……?」

「うん」

 太刀川先輩が言った。

「君のクラスと名前を教えてくれ。この子を荼毘だびに付す時に教える。そして犯人が見つかった時にも必ず教える」

「一年六組、田崎たさき真佐子まさこ

 よっちゃんが言った。

 よっちゃん要素がどこにもねえ!

 太刀川先輩の時代劇がかった台詞回しに呆然としていた生徒たちは、こちらにも愕然としてしまった。

 よっちゃんが猫を差し出した。

 一度は止まりかけていた涙がまた溢れてくる。

 だけど口はぐっと閉じ、目は先輩を見つめている。込められているのは怒りだ。

 太刀川先輩は猫を両手で受け取り片手で抱きかかえると、ポケットからハンカチを取り出した。猫を包むには小さくないだろうかと見ている生徒たちは思ったが、そのハンカチはよっちゃんに差し出された。

「自分のハンカチは自分の涙を拭くのに使え。これはその制服を拭くのに使うんだ。拭いたら捨ててくれていい。さあ、授業がはじまるぞ」

 「ああ、待て」

 太刀川先輩の無闇なかっこよさにあてられ、誰も動いていないのに先輩が言った。

「生徒会長は『毒餌どくえさ事件』と言った。どこかに毒の餌があったのか?」

「そこに、開けられた猫缶が」

 あれっと、よっちゃんはしゃがみ込んだ。

 繁みの下を探しても、確かに見たはずの猫缶がない。


「真咲」と、声がした。


 その声は結構大きなものだったから、よっちゃんも太刀川先輩も、彼女たちをとりまいている一年生たちも、そして渡り廊下の生徒たちもみな顔を向けた。

 真咲を呼んだのは、あのリコという子だ。

 漢字だか、ひらがなだかカタカナかもわからないあの子だ。

「あの猫、死んだんだ」

 リコが言った。

 こいつ、半笑いで言っている。

 イラッとしたが、真咲はリコを無視して歩きはじめた。

「あんたの言うとおりになったね」

 はっと真咲は振り返った。

 見ている。

 そこにいた全員が、発言したリコではなく真咲を見ている。


 あんたの言うとおりになったね。


 笈川真咲は背を向けた。

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