第23話 猫と和解せよ 3

「うひゃあ……」

 お寺の山門のような大きな門を見上げて、陽向ひなたはごくりとつばを飲み込んだ。

 高校に入って初めての日曜日。

 いいところのお嬢さまだとは聞いていたけれど。長岡藩士直系の子孫だとは聞いていたけれど。



 剣道部の太刀川たちかわ琴絵ことえ先輩から家に電話が来たのは金曜のことだった。

「日曜日、そちらに伺ってもいいだろうか」

 用件は察しがつく。

 なぜ剣道をやめたのか。

「いえ、それならおれ――私が先輩の家に伺います」

「私が陽向に聞きたいことがあるのだ。私から伺うのが筋というものだ。陽向の家の近くの喫茶店でいい」

「不義理をしたのは私です。私が伺います」

 なんだか久々に「私」を使ったな。陽向は思った。



 こんな門にもインターホンがついている。

 それどころか犬の登録シールまで貼ってある。

 もちろん太刀川という表札も掛けられているが、昔は表札を出すことはなかったそうだ。そんなことを裕美ゆみが言っていた。混乱して脈絡のないことまで考えてしまう。

 恐る恐るインターホンを押すと、お手伝いさんとか厳格そうなお母さんとかではなく先輩本人が出てくれた。良かった。

「陽向、よく来てくれた」

 でも玄関の引き戸を開けて出てきた先輩に、陽向はまたギョッとしてしまう。太刀川先輩はあざやかな和服姿だったのだ。

「これが普段着というわけじゃない。訪問客があるから、それなりのものを選んだんだ」

 陽向の視線と戸惑いに気づいたらしい先輩が言った。

 つまり、普段着が和服なのは違いないのですね。

 先輩の訪問を固辞して良かったと陽向は思った。こんな姿でうちの近所を歩かれたら、しばらく近所のおばさん連中の間でフェスティバルだ。

「ひどいな、私は」

 独り言のように先輩が言った。

「まだ間もないというのに、こんな浮かれた格好なんかしてしまった。おまえが家に来るというから」

 玄関の戸を閉める時に陽向の目に入ったのは、ぽつんと置かれた犬小屋だ。



 太刀川先輩がお茶を点てている。

 先輩に案内されたのは先輩の部屋ではなく、四畳半の茶室だった。

 茶道なんかまったく知らない。こんなことならやっぱり近所のファミレスにしてもらえば良かった。泣きたい気分で今度はそう思ってしまう陽向だ。

「そう構えるな。私とおまえだけだ。よほど変だったら教えてやる。こういうのも体験しておくのも悪くないぞ」

 先輩はそう言うのだけど。

「クレーシェルのミルフィーユじゃないか。茶に合う」

 陽向の手土産も喜んでくれたが、社交辞令なのだろうか。

 そわそわしていた陽向だが、目の前の先輩の落ち着いた所作に、なんだか自分も落ち着いてきたようだ。作法、そして和服までもが生活の一部だからだろう。もしかしたら剣道をしているからでもあるのだろうか。先輩の動きには少しも無駄がなく、小気味よく、そしてきれいだ。

 笈川おいかわ真咲まさきとは違う方向性の美女だよな。

 いつの間にかそんなことを考えてしまう。

 中学の頃から女子にすごい人気だったし。

 陽向の前に茶碗が置かれた。

「おまえはすこし、雑念が多いようだ」

 見透かされたようで、陽向は頬を染めた。

 茶碗に手を伸ばしたら、「右手で持つ」「左手に乗せる」「茶碗は向こうにではなく自分のほうに回す」「茶碗を回すのは茶碗の正面を避けるためだ。そう覚えておけばいい」と、次々と指示が飛んできた。稽古をつけて貰っているみたいだな。少し懐かしい。そして茶碗に口をつけたところで、先輩が言った。

「陽向」

 ほら来た。

 陽向は覚悟した。

「今の生徒会長にむりやり引きずり込まれ、私は生徒会役員をしている。迷惑な話だが、しょうがない」

 あれ。

 話題が違う?

 先輩が合わせた胸もとから取り出したのは、一枚の紙だ。

 うわっ!

 陽向は目を見張った。

 時代劇以外でそんなのはじめて見た!

 それ、ほんとにやるんだ。生で見ちゃった!

「見ろ」

 先輩はその紙を畳に置き、すっと陽向の前に滑らせた。

 その紙を手にするのに、なぜか指が震えた。今まで先輩の胸にあった紙だ。ほんのり温かい。気がする。やばい。そうなると、この狭い茶室で和服美女と二人っきりでいることを急に意識してしまう。

 やめろ!

 妄想はやめろ、南野みなみの陽向!

 なにを考えているんだ! おれ――私は女の子だろう! たぶんそうだろう!

「見ての通り――見てるのか? どうした、陽向」

「あ、はい。はい、見ます。いま見ます!」

「雑念が多い。おまえは剣道を続けるべきだった」

 ごめんなさい。


 同好会設立願い

 同好会名:ミステリ研究会

 賛同者――


 陽向は顔を上げた。

「これ……」

「提出してきた。おまえのクラスの――」

「オカメインコ」

「ああ、そんな感じの子だった」

 あいつ、コミュ障だとかディスタンス感がどうのとか自分では言っているくせに、行動力とかほんとにすごいじゃないか。

「賛同者が四人で、五人必要という規定に足りない。顧問も確保していない。その場で却下だが、そこにおまえの名前がある」

「はい」

 入った覚えはないんだけどな。

「私は人のすることに口を挟みたくない。ただ聞きたい。それが、おまえが剣道をやめた理由か?」

 ああ。

 本題はやはりこれだった。

 陽向は真っ直ぐに太刀川先輩を見つめた。

「違います」

 先輩も陽向を真っ直ぐに見つめてきた。

「では言ってみろ。なぜおまえは剣道をやめたのか。中学からだとはいえ、私はおまえに期待していたんだ」

「私の友人がいじめにあいました」

 陽向が言った。

「去年のことです。私もそのいじめに荷担してしまいました。私は彼女を守りたいと思いました。今はいじめはないと思います。だけどこの先ずっと彼女を守りたいと思いました。一生でもいい。どんなことがあっても彼女を守りたいと思いました」

 自然と、陽向の頬を涙が落ちていく。

「裕美は死にたいとまで言いました。おれは絶対に許されない。おれはどんなことだってするんだ。だから剣道をやめました」

 言葉遣いもいつものままに戻ってしまう。

 ほんの少し前にはじめただけなのに。

「剣道となんの関係がある」

「段がとれそうだったからです」

 はっと先輩は眼を見開いた。

「中学からだとはいえ、おれが剣道をしていた過去は消せません。でも中学からです。ただの部活動です。それが、人より遅いとはいえ段をとってしまったらもう言い訳できません」

「大馬鹿ものッ!」

 太刀川先輩が大喝した。

「おまえは剣道をなんだと思っているッ!」

「上には上がいる。先輩を見てそう思いました。でも、裕美を守るためには、おれに負けてしまうことは許されない。だったら大怪我をしてやる。そんな時には一方的に殴られて、そいつを巻き添えに退学になってやる。おれはそう決めたんです!」

「陽向!」

「はいッ!」

「……」

 先輩は陽向から目を逸らした。

 そして合わせた胸から今度は懐紙を取り出した。

「肯定はしない」

 先輩が言った。

「だが、おまえの考えはわかった。いい加減な気持ちで剣道をやめたんじゃないともわかった。ただ、本当に大変なことになりそうだったら私に相談しろ。いや、その前でも私に相談しろ」

「はい、ありがとうございます」

「陽向」

「はい」

「頼むから涙を拭いてくれ」

「はい、ありがとうございます」

 陽向は微笑んで、つきだされた懐紙を受け取った。



「そのさんは、いじめられやすい子なのか?」

「いえ、それがぜんぜん。それに今でもいじめられる前と変わらない、のんき――ハムスター――ええと――まあ、ほんわりとした子なんです」

 この紙|(懐紙)も、先輩の胸にあったんだよな。

 落ち着いて、すでに陽向の頭には軽い妄想が戻ってきていたりする。

 いい匂い。

 うふふ。

 ていうか、おれ、名前まで出しちゃったんだ。ごめん、裕美。

「その、『おれ』も」

「……」

さんのためか?」

「これは抑止力です。身長ももっと欲しいです」

「一生そうするつもりか?」

「裕美の前に白馬の王子さまが現れるまでこうしているつもりです」

 そう言って、祥子さんの名前が浮かんでチリっと胸が痛んだ。

佐々木ささき裕美」

 えっと、陽向は顔を上げた。

 先輩はオカメインコ篠田しのださんが提出したという紙を手にしている。あっ、そうか、そこに裕美の名前も書いてあるんだ。

「ふうん、ミステリ研究会か」

 いたずらっぽく太刀川先輩が微笑んだ。

「なあ、それだったら私の謎も解いてくれないか」

「えっ」

「見事に私の謎を解き明かしてくれたら、そのミステリ研究会に力添えしてやってもいいぞ」


 どうだい、陽向?

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