猫と和解せよ

第21話 猫と和解せよ 1

 子猫たちの早朝運動会が始まった。

 どどどど!

 どどどど!

 理科棟四階、地学教室。

 窓の外はほのかに明るい。

 どどどど!

 どどどど!

「きゃんっ!」

 シュラフから出ている顔を踏まれ、少女は目を覚ました。

「あんたたち、校舎のセキュリティが解けたら外に放り出してやる。お母さんはどうしたの。お母さんはどこにいったの」

 双子の子猫は駆け回るのに夢中で聞いちゃいない。

「んぐっ!」

 それどころか、体を起こした少女の後頭部を踏みつけて飛び越え、母猫まで運動会に参加してしまった。

 夜の校舎を徘徊していて出くわした親子猫。

 この校舎は全校退校時間を越えるとロックされる。外に出すことはできない。そもそもこのかわいらしさに抗えない。女子高だし、生徒に餌を貰い慣れているのだろう。警戒もせずに少女がキャンプ地にしているこの教室までちょこちょことついてきた。夕ご飯はもう食べたし、ロックされているから買い出しにも行けない。昨夜は、餌をくれ餌をくれ攻撃でなかなか眠らせて貰えなかった。

 少女は苦笑を浮かべ、シュラフから出てうーんと体を伸ばした。

 パジャマを脱ぎ捨て下着姿になると、長い髪を縛り濡らしたタオルで体を拭く。

 長身痩躯。

 くんくんと髪の匂いを嗅いで、

「やっぱり二日髪を洗わないでいるわけにはいかないか」

 しょうがない。

 いちど帰るか。

 この子たちの餌も手に入れないといけないし。

 大きなスポーツバッグから制服とシャツを取り出しハンガーに掛け、歯を磨き顔を洗い、おろした髪に軽くブラシを通す。スポーツバッグには代わりにパジャマとシュラフを放り込む。そして念入りにブラシをかけた制服を着込めば、県立五十嵐浜いからしはま女子高等学校一年生のできあがりだ。

 教室に春の柔らかい朝日が差し込んできた。

「さあ、おまえたち。そろそろセキュリティが解除されるよ」

 猫の親子がにゃーと鳴いた。

「無邪気に鳴くなよ。追い出すって言ってるんだから」

 少女はまた苦笑を浮かべた。




 満開の桜の中を生徒たちが登校してくる。

 その中にひとり、大きなスポーツバッグを肩にかけ、流れに逆らうように学校から離れていく生徒がいるのだが、不思議とそれは目立たない。目立つとすれば彼女の長身ときれいな長い黒髪だろう。黒いセルフレームの大きなメガネをしているのだけれど、整った顔をしているのもわかる。

 校庭を出て幹線道路を少し歩き、少女は坂道へと降りていく。大きな桜がある駅から五十嵐浜高校へと伸びるその長い坂道にも、登校してくる生徒たちの姿がある。

 そのなかの四人と長身の生徒がすれ違った。

「……」

 南野みなみの陽向ひなたがその生徒へと振り返ったのは、自分並に長身の女子が珍しいからだろうか。いや、今のは。

「どうしたのです、ひなたちゃん」

「うん……」

 長い黒髪の生徒は坂を下りていく。

 今のは、あの卵サンドの馬鹿笑い女?

 忘れ物?

 それにしちゃ、ずいぶんと楽しそうだな。

「ねえ、林原はやしばらさん」

 不思議な予感のする後ろ姿から視線を外し、そして陽向が声をかけたのは一緒に登校している林原詩織しおりさんへだ。

「七不思議なんだけどさ」

 五十嵐浜高七不思議。

 ほんの少し前、林原さんが仕込んで陽向たちが挑んだ謎だ。

「あれ、夜に校舎を歩く自殺した生徒ってのがあったじゃない。あれのトリックはまだ聞いてなかった」

「あ、私も」

 佐々木ささき裕美ゆみが言った。

「はい、私も聞きたいでーす!」

 クックルー。

 オカメインコ篠田しのだ菜々緖ななおさんも言った。

「えっ、ごめん。あれにトリックなんてないよ」

 林原さんは面食らっているようだ。

「そうなの?」

「あれは不思議を七つ揃えるためだけに書いたものだから。死ぬ前の自分が映る鏡とか、夜始まる授業とかと同じ。フェイクだよ」

「おかしいな。おれ、ホントに見たんだけどなあ」

 全校退校時間ぎりぎりに、理科棟の最上階からこちらを見下ろす生徒。

「私も見ましたよ。たぶん」

 裕美が言った。

「私はー、私はー。私も見たかったなあ。ちえっ」

 オカメインコさんは正直だ。

「だとしたら、きっと偶然。兄ならなにか仕込めたかもしれないけど、私にはまだ無理。実際に誰かがそこにいたんじゃないかな」

 ああ、あのお兄さん。

 うちの馬鹿兄貴とコンビだったのには驚いたけど。

 それにしても、全校退校時間ぎりぎりに玄関ホールからいちばん遠い理科棟の最上階に? 悠然とこっちを見て?

 あれ?

 なんでおれ、急にこの話題を思いついたのだろう。

 あっと陽向は思った。

 理科棟の生徒は、あの馬鹿笑い女に似てたんだ。

 陽向はもう一度振り返った。生徒たちの波の中、さっきの生徒の姿はもう見つけることはできない。

 裕美も振り返った。

 裕美はその姿を見つけた。

 長身の生徒じゃない。裕美が見つけたのは中学で女王さまだった少女だ。うつむき気味にひとりで歩いている。バス通のはずの彼女が、どうしてこの坂を歩いているのだろう。裕美の心臓のバクバクが止まらない。



 すらりとしたきれいな立ち姿。

 ウェーブのかかった長い髪。

 笈川おいかわ真咲まさき。彼女は中学で女王さまだった。



 長身の生徒は坂道をそれて住宅地へと向かった。

 五十嵐浜高校があるこのあたりはちょっと町外れで、だからこそ大きな古い家と大きな新しい家がよく手入れされて建ち並んでいる。じろじろと眺めるわけにはいかないが、なかなか素敵なのだ。その中でもひときわ大きくて庭が広く、裕美や陽向もときどきほうっと見とれてしまう家がある。長身の生徒は、その家の門扉を開けた。

「ひっ!」

 息を呑む声が聞こえた。

 長身の生徒が顔を向けると、お隣の家の庭を掃除していたおばさんが真っ青な顔でこちらを見ている。

「しょうこちゃん……!?」

「……」

 長身の生徒はそれには答えず、メガネをはずして制服のポケットに入れた。

 けたたましい悲鳴が響いた。

 その中を、長身の生徒は玄関の鍵を開けて中に入っていった。



 意外なことに、この髪のウェーブは天然なのだそうだ。

 目立つ。

 かわいい子が多いと言われることが多い五十嵐浜でも飛び抜けている。

「真咲」

 呼び止められて顔を向けると、知らない顔じゃなかった。

 陽向や裕美と同じ。

 中学生の頃、私によく話しかけてきた子のひとりだ。この高校に来ているとは知らなかった。彼女は真咲の手を掴みひっぱって歩きはじめた。

 めんどくさいと真咲は思った。

「なにしてんの、あんた」

 彼女は理科棟まで真咲を連れて行き、そして廊下に誰もいないのを確認して真咲に顔を向けた。

「信じらんない。あんたがひとりぼっちで廊下歩いているとか。そんなの、中学の頃じゃ考えられない。なにしてるの、ねえ、どうしちゃったの、真咲!」

 音楽室に移動してただけなのに、なんでこんなこと言われなきゃならないのだろう。

「あたしさ、あんたが五十嵐浜に行くっていうからあたしもここにしたんだよ。こんな女子高なんかにさ。ねえ、どうしたのさ。ぜんぜん楽しくないじゃない。どうして前みたいにグループとか作ってくれないんだよ。ねえ、真咲!」

 ああ、思い出した。

 たしか、リコという名前だ。漢字でどう書くのかは知らない。ひらがなやカタカナなのかもしれない。どうでもいい。

「知らない」

 真咲が言った。

「グループなんてつくったことない」

「なにいってんの!」

 リコは両手を握ってきた。

「楽しくやろうよ! あんたがいればどこだって楽しくなるはずだよ! こんな学校だって楽しめるはずだよ! そうでしょう、真咲!」

 リコは息を呑んだ。

 真咲の雰囲気が一変している。

「はなして」

 真咲が言った。

「私、音楽室に行くの」

 なんて冷ややかな眼。

 なにも言い返せなくなる。

 大きな声をあげる必要もない。汚い言葉を使う必要もない。ただの入学したばかりの高校一年生でも、取り巻きなんかいなくても、この子は女王さまだ。

 笈川真咲は歩きはじめた。

 わざとらしい舌打ちが聞こえてきたかもしれない。

 関係ない。

 しつこい子は嫌い。




 たっぷりと薔薇の香りの入浴剤を入れ、午前中からお風呂を楽しんでいるのは、あの長身の生徒だ。

「ふふん」

 陽向に裕美。ふたりとも素敵に育っているじゃないか。

「美味しそう……」

 少女はぺろりと唇を舐めた。


 彼女が入った家の表札には「上遠野かみとおの」とある。

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