第20話 お弁当はみんなで 解決編

「ふうん、私が毒入りお弁当を?」

 席がそこしかないようなので二つのテーブルに分かれたうちの女子高生組の席に座り、コーヒーを手に泣きボクロ美女の黒瀬くろせひとみさんが言った。そのテーブルにはつまり妹の黒瀬まゆみさんがいるわけで、汗をだらだらと流しながら縮こまっている。

「あのお弁当が、そこまでのセンセーションを起こしていたのか。おまえも父も完食していたから気づかなかった。私は、もったいないことだと申し訳なく思いながらも捨ててしまったのだがな」

 えっ、自分は捨てたの!?

「まゆみ、今日のお弁当は食べたか?」

「えっと……」

「質問には簡潔に答えろ」

「食べてません。ごめんなさい!」

「そこにまだあるか」

「あります!」

「出せ」

 黒瀬さんがおずおずとカバンから出したのは、例の二段重ねお弁当箱だ。おかずの段は今日も見事なものだ。黒瀬姉は鶏の唐揚げを指でつまんで口に放り込んだ。

「あっ」

「あっ」

 何人かが声をあげてしまったのは、やはり、実際はどうであれ「毒入りお弁当」と聞かされているからだろう。

南野みなみの林原はやしばら

 陽向ひなたに林原さんも反応しそうになったが、もちろん「はいッ!」と声をあげたのは兄貴ズだ。

「おまえらも食べてみろ」

「はいッ!」

「はいッ!」

 黒瀬姉も食べたのだから同じ唐揚げならだいじょうぶだろう。まだピンピンしてるのだから少なくとも即効性の毒物ではないだろう。太陽たいよう伊織いおりも残りの唐揚げをそれぞれ食べた。

「ありゃ、うまい」

 太陽が言った。

「あれ、ほんとだ、うまい」

 伊織も言った。

 えっ?と、黒瀬さんは目を丸めている。

「時間があるなら、これからウチに来い。私の車じゃ全員乗れないから、そこの男三人は走れ。南野に林原、ウチは知っているだろう?」

 伝票とキーを手に黒瀬姉が立ち上がった。

 少しの沈黙の後、がばと陽向が立ち上がった。

「おれ、女ですッ!」



 黒瀬家のキッチンは、八畳大のダイニングキッチンだ。

 イケメンのツープラトン攻撃から解放されたからかどうか、元気を取り戻したオカメインコ篠田しのださんが目を輝かせてキョロキョロと楽しそうに眺めている。

「すごくきれいにしてますねっ!」

「清浄を保つのは基本だ」

「ところで、これはなんです?」

 篠田さんが調味料入れを手にとった。

「……」

 黒瀬姉は篠田さんをじっと見つめ、そして黒瀬さんに声をかけた。

「まゆみ。ここに入ってきたばかりで彼女はすぐに気づいた。おまえは毎日ここにいて気づかなかったのか」

「えっ、えっ!?」

 黒瀬さんは林原さんと裕美ゆみの後ろに隠れてオロオロしている。

「まあ、朝ごはんは時間がバラバラでトースト、夕ご飯はそれぞれ外でとってくるわけだからしょうがないか?」

「私、夕食用のお小遣いだけ貰って、ここでラーメンとかカレーとか……」

 ギロっ!

「ごめんなさーい!」

「オカメインコのような君」

「だから、そのオカメインコってなんですかっ」

「それは、ソディウムクロライドと読む」

 篠田さんが手にした調味料入れには、アルファベットと化学式が書かれた付箋がつけられているのだ。よく見れば、キッチンのそこら中に付箋が貼りつけてある。

「毒だよ」

 黒瀬姉が言った。

「致死量は、体重一キロあたり0.5~5g。大量摂取による中毒は頭痛、嘔吐、腹痛、意識障害を起こす。継続的に過剰摂取すると高血圧――」

 ワン!ワン!ワン!

 黒瀬家の犬が騒ぎ出した。

「塩だよ」

 ぜいぜいぜい。

 ダイニングキッチンの窓を開け、荒い息の中でそれを口にしたのは陽向だ。

「さすが若いな。もう到着したか」

「玄関の鍵くらい開けておいてください!」

「防犯上問題がある」

「窓は開いてるじゃないですか!」

「そういえばそうだ。今後気をつけよう。南野に林原はどうした」

「います……」

「います……」

 死にそうな声が聞こえてきた。

 陽向の全力疾走に付き合わされた大学生二人は、だらしなく陽向の足元でぶっ倒れて黒瀬さんちの犬にベロベロと顔を舐められている。

「ソディウムクロライド」

 陽向が言った。「NaClエヌエーシーエル、塩化ナトリウム――塩だよ。塩だって一度に大量に摂取すると毒なんだ」

「水をください……」

「水をください……」

 兄貴ズの懇願に、黒瀬姉は澄ましている。

「欲しいものがあるならわかるように言ってくれ、学部生」

H2Oエイチツーオーだっ!」

「一酸化二水素、ジヒドロゲンモノオキシドだっ! そう言わなきゃわからんのか、あんたはっ!」

 黒瀬さんと篠田さんに裕美は困惑しているが、林原さんには理解できたようだ。そんな林原さんを見て黒瀬姉はクスリと笑った。

「陽向りん、よく見ておけ」

 陽向の横から顔を出して太陽が言った。腕には黒瀬さんちの犬。

 逆の側から顔を出し、伊織が言った。

「あの白衣の魔女が笑うのは数年に一度らしい。おれたちはもしかしたら、月蝕なみに希な現象を観察できているんだぜ」

「このジヒドロゲンモノオキシドだって、大量摂取すると中毒を起こすんだぞ」

 コップに水を入れながら、軽やかに黒瀬姉が言った。



 理系は料理がうまいとオカメインコ篠田さんが言った。

 レシピ通りの手順を守り、きっちりと量るからだ。

 しかし黒瀬姉の場合、突然であったためにレシピの読み方がわからなかった。独特の用語にも困ってしまった。それでできあがったお弁当は、見た目は整っていたものの味に関してはとてつもない化学反応を起こしてしまったらしい。

「味見は?」

「レシピの再現性を信じた。そもそもできあがりの味がわからない」

 大学で自分のお弁当の酷さを確認した黒瀬姉。

 理系魂を発揮して、料理というか「レシピ」を徹底研究し、そしてキッチンは付箋の森になってしまったのだという。以後、失敗はない。さすがに「塩」「水」までいくと冗談なのだと思いたいが、「それもありうる人だ」とは兄貴ズの証言。

「あれ?」

 陽向が言った。

「でも、髪が抜けたというのはどこにいった?」

「ひなたちゃん。黒瀬さんは『毛』が抜けたと言ったのです」

 裕美が言った。

 陽向は裕美の顔を見て、そして隣の太陽に抱かれた人懐っこそうな犬を見た。

 ――犬!?

「うん、うちの柴太郞、この春はすごい毛が抜けるの、びっくり!」

 黒瀬さんが言った。

 あなた、そんな雑談を「殺される」って話題の中に混ぜたのですか!?

「じゃあ、お米を捨てたというのは……」

「それも――」

「ああ、そんなこともあったな」

 裕美の言葉に被せて黒瀬姉が言った。

「まゆみ、米をいでみろ。ただし、今日は一合いちごうだけだ」

「研ぐって?」

「米を洗うことだ」

「なーんだ」

「今日は怒らない。おまえの好きなように研げ」

 そのやりとりで、すでに何人かには予想がついたようだ。黒瀬さんは鼻歌を歌いながら炊飯器のお釜にお米を一合入れ、そして手にしたのは食器用洗剤なのだった。

 どぼどぼどぼ。

 全員が心の中で突っ込んだ。




 犯人はおまえだーー!




「こんにちはー…。はじめまして、おじゃましまーす……」

 人の多さに戸惑いながらも、黒瀬家のダイニングキッチンに顔を出したのはおにぎりの魔術師箱崎はこざき多佳子たかこさんだ。

「あ、いらっしゃい、箱崎うじ!」

 篠田さんは、すっかりこのキッチンの主となってしまっている。

「箱崎うじはクッキーの焼き方でしたねっ」

「あ、はい。でも私、お菓子を作った事がなくて……」

「簡単ですよ。はじめてならホットケーキミックスを利用すればいいんです。慣れてからいろいろ試すといいですよっ」

 なんともしまらない解決編の後ではじまったのは、オカメインコ篠田さんによる料理教室だ。

「体積表示とグラム表示が混在しているのはイラっとする。そもそも『少々』とはなんだ。ミクロスパーテルではだめなのか」

 きっかけは、黒瀬姉のそんな一言だ。

「少々は少々ですよ。指でつまむくらいです。やってみせましょうか?」

「すまないが、米を洗剤で洗う馬鹿妹にも少し常識を教えてやって欲しい」

「うう」

「あ、そうだ」

 と、その流れの中で裕美は箱崎さんの事を思い出したのだが、連絡先がわからない。

「箱崎多佳子うじのメールならわかりますよ。OKしてくれたクラス全員とメアド交換してますから」

 そうだっけ。

「でも、一通もまだ着信ないんですけど。あははっ」

 抱きしめたいと、そこにいた全員が思った。

「ごめんなさい」

 家から持ってきたエプロンをつけている箱崎さんに裕美がささやいた。

「勝手に、料理初心者だけどクッキー作ってみたいって箱崎さんが言ってたって話にしちゃいました。休み時間にクッキーならそれほど大食いキャラってわけじゃないし、手作りならお小遣いの範囲で済みますよね」

「うん、ありがとう、佐々木さん!」

 おや、あっしの名前を覚えてくれやしたね、お嬢さん。

 裕美もにっこりと微笑んだ。

 でかい兄ズは邪魔なので外に追い出され、足りない材料の買いだし係だ。「了解、ホットケーキミックスね」メモが届き、今度は太陽が黒瀬家のママチャリを駆る。

「やってもらうと、レシピだとわかりにくいところがよくわかるな」

「うふふっ」

「おや、にぎやかだね」

 帰宅した黒瀬父も顔を出した。




 県立五十嵐浜いからしはま女子高等学校。

 全校退校時間は過ぎ、校舎は真っ暗だ。

 理科棟の最上階の教室にバーナーの青白い炎が灯っている。制服姿の人影は床に片膝を立てて座り、カロリーメイトをかじり、沸かしたばかりのコーヒーをすすった。


 窓から見えるのは、桜舞う夜空に細い月だ。




※ミクロスパーテル:薬剤用スプーン。耳かき。

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