第19話 お弁当はみんなで 6

「はじめまして。そこの陽向ひなたの兄、南野みなみの太陽たいようです」

「はじめまして。林原はやしばら詩織しおりの兄貴やってます、伊織いおりです」

 高校の近く、とはいっても徒歩で数分のところにある喫茶店スピッツ。外装もそうだったけれど、内装も明らかに六〇年代や七〇年代を意識している。BGMまでもがビートルズなのにはちょっと驚いた。

 カウンターには新聞を立てて読んでいる小柄なマスター。

 新聞に隠れて姿が見えない。

 頭にジャン・レノや黒沢年雄のようなニット帽イスラムワッチを被ってそうだなと陽向は思った。きっといつも不機嫌そうで、ただナポリタンが注文された時にだけニヤリと笑うのだ。「おれ、ナポリタンだけは自信あんだよね」そんなこと口にしてご機嫌で作り始めるのだ。

 現実には八人をふたつのテーブルに分けて、夕ご飯前だからとクラブサンド二人前がそれぞれ一皿。そして、コーヒー。ただ、マスターは本当にイスラムワッチを被っていて、陽向は噴き出しそうになった。だけど。

「八人?」

 陽向が言った。

 ここには女子高生が五人に大学生が二人の七人だけだ。

「あとでうちの院生が来る」

「今は駐車場探して流してる」

「いつもはえー人なのに、五十嵐浜いからしはまの名前出したら車出してくれた」

 ああ、それで妙にこの二人の登場が早かったのか。

 南野太陽。

 林原伊織。

 林原さんのお兄さんも工学部の学生だと聞いた時にはまさかと思ったが、この二人は同じ研究室の親友同士なのだという。

「類は友を呼ぶ」

 陽向は思った。

 ここまでそれを体現している二人がいるだろうか。

 まず、理系オタク。

 陽向の理系好きは遺憾ながら兄の影響が強い。きっと林原さんもそうなのだろう。五十嵐浜高校七不思議事件では、錯覚を利用した目が動くモナリザを制作し、林原さんにプレゼントしたのだという。

 そして、二人とも長身で、太ってはいないがなぜか妙に筋肉質っぽい。

 ボサボサ頭に無精ヒゲ。

 さらに。

「うちの兄よりチェックのシャツが似合う人がいるとは思わなかった」

 林原さんが言った。

「ああ、林原さんとこも、いつもチェックのシャツなんだ」

 陽向が言った。

 太陽は自分のチェックのシャツを引っぱって見ている。

「いや、陽向ちゃん。これは陽向ちゃんのブレザーと同じだ。制服なんだ。一目で『ああ、理系大学生だ』『ああ、同類だ』とわかるんだ。便利だろ?」

「ちゃん言うのやめろ。全国の理系の学生に叱られてしまえ」

「そうだぞ、詩織。おまえも早くうちの学部に来い。お兄ちゃんとお揃いのチェックのシャツでキャンパスを歩こうじゃないか」

「死んでも嫌」

 そして、シスコン――失礼、その残念なファッションセンス。

 ああ、いや。

 ふたりともシスコンであるのも事実そうなのだ。それも重度の。

「伊織! 彼女がおまえの自慢の妹さんだな!」

「太陽! 彼女がおまえの自慢の妹さんだな!」

「ははは、バカを言うな。陽向は妹じゃない。おれの彼女だ!」

「殺すぞ」

「ははは、よし、おれも今そう決めた。詩織はおれの彼女だ!」

「自殺しますよ?」

「なんだよー、陽向きゅん。昔は、お兄ちゃんのお嫁さんになるって言ってただろうー?」

「きゅん言うのやめろ。おれの黒歴史を持ち出すな」

「おまえの身長に釣り合う男なんて、おれくらいなものだろう。素直になれよ、陽向りん。あとホント、『おれ』やめてね、『おれ』。『ぼく』にして!」

「りんってなんだ!」

「おれは、詩織がおれの女王さまをやってくれるのなら、死んでもいいなあ……」

「話の流れが読めません」

 もりあがる馬鹿兄妹二組の隣のテーブルで、顔を伏せてがたがた体を震わせているのはオカメインコ篠田しのださんだ。

「イケメン怖い……イケメン怖い……」

 呪詛のようにつぶやいている。

 そう、ファッションセンスは残念でも、ボサボサ頭に無精ヒゲでも、このふたりは無駄にイケメンなのだ。しかも、精悍系のシュッとしたイケメンなのだ。黙っていれば、ちょっと危険な香りがしそうな二人なのだ。ガタイもいいし、なんだか戦場帰りのような二人バディなのだ。

「ベクトルが違う危険さはあるけどな」

「あぶなさというか。あと香りというより匂い」

 二人の妹の評価は厳しい。


「それで」

 コーヒーを手に太陽が言った。

「お弁当に毒物?」

 そして「真面目」にジョブチェンジしてしまうと、ボサボサ頭に無精ヒゲまでもが不思議とかっこよく見えてきてしまう。

「お弁当に関しては、おれも相当やるぜ?」

 伊織が言った。

 林原さんにジロリと睨まれたが、この人にはそれがむしろ嬉しいらしい。

「全員、元気そうに見えるんだがな。まあ、味覚を強烈に刺激するかどうかはともかく、死なない程度に相手を苦しめる薬物ならいくつか思い当たらないこともない」

 危ないことをさらりと言う。

「だけどな、薬物の取り扱いや管理が甘いものだと思ってもらっても困る」

「その辺で採取できるような植物から抽出ってのはできないの?」

 これは陽向。

「できる。というか、抽出する必要もない」

「一般的には毒きのこがあるだろう? 秋になれば大騒ぎだ。歴史的にもソクラテスの毒ニンジンに、聖アントニウスの火と呼ばれた麦角菌がある」

「そもそも薬物や毒物ってのは合成のものより自然由来が多い。そして圧倒的に強い」

「ユリの球根にも毒があるといいますね」

 これは林原さん。

「ユリの球根に毒ってのはあまり正確じゃない。猫に悪いってのが広まったのだろう」

「細かい事を言えば、梅の実には青酸配糖体があるし、バナナにはカリウムの放射性同位体が多く含まれているので放射線が出ている。毒と言えないこともない。ただ、人には害のないレベルだし、バナナの場合は体外に排出される」

「まあ、とにかくだ」

「ああ、とにかくだ」

 おまえら、なんかのアイドルデュオか。

「実際にお弁当を食べて健康被害があると言うのなら、こんなところでごちゃごちゃ言ってないで、さっさと医者に診てもらうことだ」

「そういうことだ」

 こんなところで悪うございましたね。

 カウンターの向こうでイスラムワッチのマスターが新聞をひろげている。

「しかし、その健康被害が出てそうな子がいないな」

「そこの、オカメインコみたいな無闇にかわいい小動物が妙におびえている以外はな」

 びくっ!

「ああ、ほんとうだ。なんだか裕美ちゃんのような小動物がいる。あれ、いつの間にか裕美ちゃん本人までいるじゃないか。やっほー、太陽ちゃんだよ!」

 最初からいましたけどね。

 ほんと、どれだけあっしは影が薄いんでやんしょね。

「オカメインコの君、毒弁当の被害者というのは君か?」

「オカメインコの君、毒弁当の被害者というのは君か?」

「私じゃありませんっ! ごめんなさいっ、ごめんなさいっ! ていうか、そのオカメインコってなんですかっ!」

 泣かなくても。

「私です」

 黒瀬まゆみさんが手を上げた。

 あの納豆とソースの荒ぶる魔人が、澄ました女子高生の顔になっている。

「私が毒物入りお弁当の被害者、黒瀬まゆみ。一五才、乙女座、O型。彼氏募集中です」

 バカ兄二人の顔に、さっとおびえが走ったのをミステリ研の少女たちは見た。

 黒瀬まゆみさんだけは目をキラキラさせているのだけど。

「――黒瀬?」

「――黒瀬?」

 喫茶店のドアのカウベルが鳴った。

 数曲続いたビートルズから、デレク・アンド・ザ・ドミノスの『レイラ』に曲が変わった。

 カッ、カッ、カッ!

 ヒールを響かせ、女性が店に入ってきた。

 街中まちなかだというのに白衣。長い黒髪を無造作に結い上げヘアクリップで留めている。そして白衣の下は洗いざらしのジーンズにトレーナー。そんな姿だがヒールだ。そして美人だ。化粧っ気はないがたしかに美形だ。ただ、表情がない。あえて言うなら、冷徹に人を査定しているかのような表情だ。

 目もとには泣きボクロ。

 太陽と伊織はこの院生に聞いたことがある。なぜいつもそんな格好なのだ。実験に追われてオシャレどころじゃないのはわかる。ならばなぜ足だけヒールなのだ。

「役に立たねえ学部生の足の甲を踏みつけるためだ」

 無表情のまま、彼女はそう答えたらしい。

 カッ、カッ、カッ!

 カッ、カッ、カッ!

 クラプトンのギターが響く中を、泣きボクロの美女は真っ直ぐに陽向たちのテーブルに向かってくる。

 ふたりの大学生は振り返りもせず、その大きな図体でおびえている。

 黒瀬まゆみさんも顔を蒼白にさせている。

「なぜおまえが役に立たねえ学部生と一緒にいるんだ、まゆみ」

 やがてふたつのテーブルの間に立ち、妹を見下ろして黒瀬ひとみが言った。

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