第18話 お弁当はみんなで 5

 今日も、県立五十嵐いからしはま浜女子高校一年三組に昼休みの時間が来た。

 ほんの少し前の四時間目には、じっと見つめてくる裕美ゆみに訴えかけるような表情で箱崎はこさき多佳子たかこさんがおにぎりを口に放り込んでいたし、そして黒瀬くろせまゆみさんは今日も荒ぶった。

 クラスの注目の中、昨日と同じ二段重ねお弁当箱を前に、黒瀬さんがどこからともなく取り出したのは五〇〇ミリリットルボトルのウスターソースなのだった。


 ソースかよ!

 今日はソースかよ!


 昨日、納豆を持ち込んだのだから、今日も納豆でいいじゃん!

 わざわざ日替わりで趣を変化させる必要がどこにあるんだよ!

 ていうか、なにそのでっかいソース! 量も半分くらいだし、家で使っているソースをまんま持ってきたんだろ、それ! 今ごろ家でソースがないって困ってるかもしれないぞ!

 そもそも、その二段お弁当箱、片方には豪華なおかずが詰められているようなんですけど!


 一年三組一同の疑問と驚愕が渦巻く中、その豪華なおかずに目もくれずに黒瀬まゆみさんはソースの蓋を取り、ごはんにドボドボとかけたのだった。

「なんでそこまでワイルドにこだわるんだ」

 今日も器用に片手だけで牛乳パックにストローを差して、陽向ひなたが言った。



 放課後の空き机は、学校未承認ミステリ研の部室だ。

 しかし今日は五人目の生徒が空き机に突っ伏している。

「あのー、黒瀬さん」

 裕美が声をかけた。

 そう、突っ伏しているのは、納豆とソースの魔人黒瀬まゆみさんなのだ。

「顔やワイシャツにシャーペンの跡がついちゃいますよ」

「つまりまあ」

 と、陽向。

「『どうしよう、お姉ちゃんに殺される』――これを書いたのは黒瀬さんなんだね」

 裕美と陽向。そしてオカメインコ篠田しのださんにクールビューティ林原はやしばらさんのミステリ研の面々は顔を合わせた。いや、しつこいようだが、陽向はミステリ研に入った覚えはないのだけれど。

「殺されるって――どういうことです?」

 クールビューティ林原さんが言った。

「もし問題があるなら、空き机とかミステリ研より先生に相談した方がいいですよ」

 黒瀬さんが、がばと顔を上げた。

 裕美の言うとおり、顔に文字がついてしまっている。

「お母さんが入院したんです!」

 黒瀬さんが言った。

 そして慌てて付け足した。

「あっ、こっちは変な話じゃなくて。ただの盲腸ですし。一週間で退院できるそうですし。えへっ」

「はあ」

「はあ」

「それで、その間のお弁当はどうしようかって話になって、お姉ちゃんは理系の大学院生で忙しいしお父さんは料理したことがないし、じゃあ、私が作るって言ったんです」

 私もあまり料理したことないけど、でもラーメンしか作ったことがないようなお父さんよりぜったいマシだし。授業で少しは習ったし。

 それにちょっと楽しみだったんです。

 ネットで見る美味しそうなお弁当を再現してみたいなって。

 だけど。

「朝、お米を洗っていたら、お姉ちゃんが台所に入ってきて、私を突き飛ばしてお米を全部捨てちゃったんです」

「えっ、どうしてですっ?」

 オカメインコ篠田さんが言った。

「わかりませんよ! だから怖いんですよ!」

 じろっと睨まれて、結局、お弁当はお姉ちゃんが作ることになって。

 お姉ちゃんは怖いんです。

 年も離れているし。表情が変わらない人だし。

「怒るとなにするかわからない感じの人なんです。たいていは怒っているオーラを発散させるだけでなにもしないんだけど、もしかしたら裏でなにかすごい復讐されているのかもしれないんです。なんだかわからないけど怖い人なんです」

 いや、それはちょっとお姉さんが可哀想なような。

 裕美は思った。

「で、お弁当はお姉ちゃんが作ることになって。だって私、逆らえませんから。お米捨てられた時もすごい勢いだったし」

 家で料理するの見たことなかったのだけど、スマホでレシピ見ながら、なんだかすごく美味しそうなお弁当をあっという間に三組作っちゃって。お母さんのお弁当より美味しそうなんじゃみたいな。

 でも。

 でも。

「お昼休みにお姉ちゃんの作ったお弁当のおかずをひとくち食べて、わかったんです。お姉ちゃんは怒っている。ものすごく怒っているんだって」

 見た目は卵焼きなのに、理解できない味がするんです!

 サラダまでもが名状しがたい味がするんです!

 これっておかしい。

 ぜったいにおかしい。

 お父さんにも聞いてみました。「やばいと思って、全部捨てて昼は定食屋で食べた」って!

「ただの料理オンチじゃないの?」

 頭をかきながら陽向が言った。

 黒瀬さんは無言でお弁当箱を空き机の上に置いた。二段のお弁当箱のうち、おかずの段は手がつけられずにそのまま残っている。

「すごいですね。簡単に作れるものじゃないです。お姉さんは料理好きですね」

 オカメインコ篠田さんが言った。

 まあ確かに、味つけもまともにできないような人が作ったお弁当にはとても見えない。

「食べてみてください」

「う」

南野みなみのさんも。委員長も」

「う」

「う」

「~~さんも。食べてみてよ。食べればわかるから。絶対おかしいって。私の言うことが大げさじゃないって絶対わかるから。さあ!」

 また名前をごまかされちまいやした。

 どれだけ影が薄いんでやしょうね、あっしは。裕美は思った。

「なにがお姉ちゃんを怒らせたのかわからない。でもお姉ちゃんは怒っているんです。殺されちゃうまでいかなくても、私は、それにお父さんも、お姉ちゃんに復讐されるんです。私には、お姉ちゃんの目を盗んで納豆やソースをカバンに入れるのがせいいっぱいなんです。ねえ、ミステリの知識がある人って、ペロッと舐めれば『青酸カリだ!』ってわかるんでしょう。教えて、このお弁当にはなんの毒がはいっているんですか!」

 鑑識さんじゃありませんよ、私たち。

 ていうか、死んじゃいますよ、それ。裕美は思った。

「うーん」

 目を閉じ腕を組み、陽向が言った。

「とりあえず、何か変わったことはあった? ここ数日で」

 おまえはなにを言いだしているんだ。

 裕美は思った。

「そういえば、毛がごそっとぬけるようになって。いつものことなんだけど、ちょっと激しいかなって」

「えっ!」

 色めき立ったのは裕美をのぞくミステリ研の面々だ。

「それ、タリウムじゃないか!?」

「タリウム中毒!?」

「クリスティーのミステリにありましたねっ!」

 おまえたちはなにを言っているんだ。

 いや確かに、クリスティーの『蒼ざめた馬』だなーとは裕美さんもちょっと思ってしまいましたけど。家に全巻そろってますからね、クリスティーは。

「でも、タリウムは無味無臭のはず」

 林原さんが言った。

 ほんとに無駄に知識あるよね、お嬢さんたち。

「じゃあなんだろう。ああ、くそ、毒物の本だって何冊も読んだのに、肝心な時に役に立たないな、おれって!」

 なんのために読んだんだよ、それ。

「もしかして、タリウムがほかの物質と化学反応を起こして味が変化したり、それで黒瀬さんの健康被害もそこまで酷くないのかも……」

 陽向は考え込んでいる。

 林原さんはスマホを取り出した。

「兄を呼びます。私たちの知識じゃどうにもならない。工学部だから、少しは見当をつけてくれるかも」

 いや、あのですよ、林原さん、委員長さん。

 ついさっき、問題があるなら先生に相談しろと正論を口にしたばかりでやしょう。

「あっ!」

「どうしました、南野うじ!」

「うちのバカ兄まで来るって……」


 いったい、どうなっちまうんでやしょう。

 裕美は激しく口をもぐもぐさせている。




 父兄とはいえ、女子高に部外者の男を入れるわけにもいかない。陽向たちミステリ研と黒瀬まゆみさんは、学校近くの喫茶店に移動することにした。誰もいなくなった放課後の一年三組に入ってきたのは長身で黒いセルフレームメガネの生徒だ。長身の生徒は空き机にスマホを差し入れ、そして今撮影したばかりの画像を確認して眉をひそめた。


 この馬鹿どもを お天道様の下に連れ出してやってください しょうこさん


 話が見えない。

「……むずかしい」

 長身の生徒はスマホの画面を見つめて立ち尽くしている。



 窓の外には、息を呑むほどきれいな新潟の夕焼け空だ。

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