第17話 お弁当はみんなで 4

 そろそろおなかが減ってくる四時間目。

 今日はゴマの匂い。

 さすがにもう誤認しない。トリップもしない。

 箱崎はこざき多佳子たかこさんの席は教室の最後列。だから彼女がなにかを始めたことに誰も気づかない。ごそごそと机の中でなにかをしていた箱崎さんの手に、半分だけラップをはずしたおにぎりが握られている。彼女はすばやくそれを口に放り込み、ラップは丸めて机の中に戻した。片手で口を隠し、軽く咀嚼して飲み込み、そして気配を感じたらしい。

 箱崎さんはゆっくりと視線をこちらに向けてきた。

「……」

「……」

 ばっちりと。

 箱崎さんがそわそわと動き出してから、じっと箱崎さんを観察していた裕美ゆみと箱崎さんの目がばっちりと合ってしまったのだった。

 BGMは、古典の先生が朗読する清少納言である。



「ねえ、裕美、どこかに紛れ込んでない?」

 例のごとくコロッケパンと牛乳パックを手にダッシュで購買から戻ってきた陽向ひなたは、空き机にちんまりとした裕美の姿がなく、クラスを眺め渡してもハムスター少女の気配はなく、しょうがないので、別の席で昼ご飯を食べているオカメインコ篠田しのださんとクールビューティ林原はやしばらさんに声をかけてみた。

「あれ、いませんねえ」

「ああ、さっき、箱崎さんに引っぱられて教室を出て行きましたよ」

 箱崎って、だれ。

 裕美にかけようとスマホを取り出して、陽向はあれっと思った。

 納豆?

 なんだか、納豆の匂いがしないか?



「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!」

 はじめは女子トイレに飛び込んだのだが、どうやらここは密談に適さないと気づいた箱崎多佳子さんは学年棟の屋上まで裕美をひっぱってきた。もっともドアには鍵がかかっていて屋上にでることはできない。塔屋で息を整え、そして箱崎さんはまくし立てたのだった。「ごめんなさい」だけだけど。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!」

 まずは落ち着こうや、お嬢さん。

 裕美は思った。

 こっちも暇で困っているわけじゃねえんだ。そろそろ購買に行ったひなたちゃんが戻ってくる頃なのですよ。

「今日はゴマのおにぎり。昨日は海苔のおにぎり」

 裕美が言った。

 びくっと箱崎さんが体を震わせた。

「その前は……」

「とろろ昆布のおにぎり……」

 あっさりと誘導尋問にひっかかる箱崎さんである。

「そんなに前からおにぎりを食べてたんですか、四時間目の授業中に」

 びくっ!

 箱崎さんは顔を真っ赤にさせてうつむいている。涙目かもしれない。

「……鳴るんです」

「はい?」

「私、鳴るんです。おなかが。四時間目になると」

「はあ」

「大食いってわけじゃないし、ダイエットは考えてはいるけどごく普通の範囲でだし、朝ごはんはちゃんと食べるようにしているし、でも鳴っちゃうんです。中学の頃からなんです。きっと体質なんです。嫌なんです。恥ずかしいんです!」

「……」

 まあ、それはわかる。

 裕美も昨日、盛大におなかが鳴ってしまってものすごく恥ずかしかったのだし。

「ていうか、あれは思いっきり箱崎さんのせいでしたけどね」

 びくっ!

「だったら、授業中なんて危険なことしなくても、四時間目の前の休み時間に食べればいいじゃないですか」

「そんなん、早弁やろうって言われるじゃないですか!」

「はあ」

「私、おとなしくて引っ込み思案な子なのに、そんなん、いつもなにか食べてるおデブキャラになっちゃうじゃないですか。いつもニコニコ笑ってカレーとなぞなぞが大好きみたいな!」

 なにを言っているんだ、おまえは。

 だいたい、授業中の早弁が見つかってしまうほうがインパクトあると思うのですが。

「だったら、お菓子とか。(ひなたちゃんのように)牛乳パックでも」

「それはアリかなと少し思ったのですけど」

 検討済みだったんかい。

「私のお小遣い五千円なんです。きついです!」

 なんてえわがままなお嬢さんなんだい……。

「席替えで最後列じゃなくなったらどうするのです。さすがに後ろの席の人には気づかれちゃいますよ」

 横の席にはこうして気づかれたわけですし。

「それは……」

 箱崎さんはグッと拳を握り締めた。

「訓練します!」

 だからおまえはなにを言っているんだ。

「お母さんと相談して、毎日おにぎりのお弁当にして、おにぎりの一個だけラップに包んでもらうようにしたんです。そうすれば授業中に食べても手も汚れない。すごく助かってます。おかげで高校生になってからおなかが鳴ることもなくて。――お願い!」

 箱崎さんは手を合わせて拝んできた。

「~~さん。このことは誰にも言わないで!」

 お嬢さん、今、あっしの名前を言えずに適当にごまかしたね。

 微妙にカチンとくる裕美である。

 空き机の眷族として名が売れるようになるまでは、まだ早い。



「なんだか……」

 塔屋での秘密会談を終えた裕美が、お弁当を手に空き机にやって来た。

「私がいなかった間に、納豆の匂いに満たされていませんか、この教室」

 何事もなかったかのように前の席の椅子に座り、牛乳パックのストローをくわえる陽向だが、体が小刻みに震えている。

 それはダメだ。

 その話題はダメだ、裕美。

 お昼のお弁当に納豆を持ち込むという蛮行を決行した犯人は、裕美の背後で机に突っ伏しているんだ。

 角田浜かくたはま中学出身、黒瀬くろせまゆみさん。

 特別エキセントリックというわけじゃなかった。まだ数日の付き合いでしかないけれど、目立つ子でもなかった。その彼女は、お弁当箱をひろげると豪華なおかずには目もくれず、どこからともなく納豆をとりだしたのだ。そして納豆を練り始めたのだ。念入りに練ったのだ。

 やがてタレとカラシを投入。

 さらに練ったのだ。

 高校って中学とスケールが違う。超然と納豆を練りまくる黒瀬さんの姿に、なんだかよくわからない感動を覚えた陽向たちなのだった。

「たかがお弁当でも、いろいろあるよな……」

 いつも通りの幼稚園お弁当をつつき始めた裕美を眺め、陽向は思った。

 着信があったようだ。

 陽向はスマホを取り出し、そして顔を激しく歪めた。

「たいようちゃんですか?」

「うん」

 ホームズのように読み取ってしまう裕美だ。

 南野みなみの太陽たいよう。陽向の実のお兄さんである。


『やあ、陽向。君の麗しのお兄さんだ』


 うぜえ。


『ねえ、お兄ちゃんもこんなん作ろうか。作ろうか。食べてくれるかな、陽向ちゃん』


 うるさい、死ね。

 なにを作るって言うんだ。おれ専用の携帯型原子炉か? 欲しいけど食べないぞ。


 不機嫌そうに半眼でスマホを眺めていた陽向の眼が、突然ぱあっと見開かれたのを裕美は見た。そして顔を上げた視線の先にいるのはクールビューティ林原さんだ。

 視線を感じたらしく、林原さんも陽向に目を向けてきた。

 相変わらず蓋でお弁当を隠している。

 そろそろ食べ終わりそうだ。

 陽向の口がパクパクと動いている。

「共食い」

 やがて陽向はそう口にした。聞こえたのかどうなのか、首をひねっていた林原さんだったが、彼女の眼もまた突然ぱあっと見開かれた。そして冷静沈着、纏う空気まで違うと言われる彼女が上げた悲鳴は長く語り草となる。

「きゃーーーーーあああーーー!」

 陽向のスマホに表示されているのは、林原さんそっくりなキャラ弁なのだった。



「似てますね……」

 放課後の祥子さんの空き机。

 それはミステリ研の部室に変わる。

 陽向からスマホの画像を見せてもらったオカメインコ篠田さんが言った。

「似てない!」

 林原さんは顔が真っ赤だ。

「私、こんなに大きな目をしてないし、頬染めてない!」

 今は真っ赤ですよ。

 南野陽向の兄、太陽。

 林原詩織しおりの兄、伊織いおり

 ふたりは同じ大学の工学部の学生で、しかも親友同士だったのだ。

「地球公転軌道が狂いますね、ひなたちゃん」

「うん、どうりでこの頃異常気象が続くと思った……」

「うふふ」

 と、篠田さんが嬉しそうに微笑んだ。

「このお弁当、ものすごく手間がかかってますよ。それに、きっと美味しかったんじゃないですか?」

「美味しかったけど……恥ずかしかっただけで」

「理系の人はきっちり分量を量るので料理を美味しく作れるんですよ。それと、この似顔絵作ったあとの残りの材料は……」

「兄が自分のお弁当に入れてる」

「でしょう。すごくいいお兄さんですね」

 へえ、と陽向と裕美は思った。

 自分ではディスタンス感が掴めないとか言うけれど、篠田さんって、ものすごく気遣える共感力のある人じゃないか。それに、どうやらやっぱりあの素敵なお弁当はお手製だったんだな。

「……そりゃ、感謝してる」

 林原さんが言った。

「だいたい私は、両親の希望に逆らって受験を失敗しちゃったのよ。そんな私が今でもあの家にいられるのは、兄の無邪気さのおかげなんだもの……」

「たいようちゃんが作るひなたちゃんのキャラお弁当も見てみたいです」

「全身全霊を持って拒否する」

「あれっ」

 と、裕美が空き机を覗き込んだ。

 また新しい書き込みが増えたらしい。そういえば昼休みはそれどころじゃなかった。

「物騒なことが」

「え?」

 みなが空き机を覗き込んだ。

 裕美の指先にその言葉があった。



 どうしよう お姉ちゃんに殺される。


  

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