第16話 お弁当はみんなで 3

 


 あ、海の香りがする。



 裕美ゆみは思わず目を閉じ、鼻をひくつかせた。

「……」

 違うくない?

 そうだ、これは海苔の匂い。そして今は授業中。

 あ、困る。

 この魔性の香りには抗えない。

 今は四時間目。お昼前。おなかが鳴ってしまう。陽向ひなたには「幼稚園児のお弁当」と言われるちんまいお弁当の裕美さんとはいえ、圧倒的燃費の良さを誇る少食の裕美さんとはいえ、これはまずい。


 ぐう。


 鳴ってしまった。

 裕美は慌ててキョロキョロと隣を窺った。

 裕美の席はクラスの一番後。まだ新学期が始まったばかりで出席順で自動的に席が割り振られたからなのだが、助かった。せいぜい前と両隣の三人にしか聞こえなかったろう。

 恥ずかしいけど。

 いや、とっても恥ずかしいけど。

 隣の箱崎はこさき多佳子たかこさんと目が合った。

 彼女には聞かれたらしい。だけど箱崎多佳子さんはすぐに目を逸らした。逸らしてくれたのかな。でもなんだか、顔が赤い。まるでむしろ彼女のおなかが鳴ってしまったかのように。

「……」

 幸い、それから授業が終わるまで、おなかは鳴らないでくれた。

 さあ、しょうこさんの空き机でお弁当だ。




「また増えましたね」

 お弁当の包みをほどきながら、オカメインコ篠田しのださんが言った。

 ミステリ研の部室のようになっている一年三組の空き机。その天板に書き込みがされるようになったのは今朝のことだ。その時には「彼ができますように」だったのが、休み時間ごとに増えているようだ。


 彼ができますように

 数学が得意になりたい

 アルビレックスが優勝しますように

 夢がかないますように


「寄せ書きの色紙みたいになっちゃいましたねー」

「寄せ書きというより」

 と、裕美が言った。

「巨大な絵馬?」

 ひとごとのように。

 おそらく、この書き込みは昨日の裕美の発言がきっかけなのだ。

 ふてぶてしく睨みを利かせる陽向を従え(いや、勝手に着いてきただけなのだが)、「しょうこさんを覚えていますか」とクラスの全員に聞いてまわった裕美だったが、全員から「知らない」と言われてしまった。もともと同じ小学区で同じ中学区であるオカメインコ篠田さんにクールビューティ林原はやしばらさんが知らないというのだから、他の学区の子に聞いても無駄なのだけれど。

 とにかく、昨日の放課後。

 裕美さんは癇癪を起こしてしまったのだ。


「しょうこさんはいるんです!」

「しょうこさんは、私の願い事を叶えてくれたんです! なんどもなんども!」


 そら、だれだってあの机に霊験あるのかと思ってしまいます。


 片手で器用に牛乳パックにストローを差し込み、もう片手にはいつものようにコロッケパン。空き机の天板を眺め、陽向は思った。

 でも、はじめにここに書き込んだのは林原さんだったな。

 ――学校七不思議を調べてみたらどうだい?

 陽向はくすっと笑った。

 なんだか、まるで、ずいぶん前のことのようだ。

「林原さん」

「え?」

 陽向の呼びかけに林原さんが顔を上げた。

 今日も蓋でお弁当を隠し、眉間にはシワだ。なにか不愉快なことでもあるのだろうか。

「そこの数学が得意になりたいってのさ、おれも知りたいな」

「あ、それ、私も知りたいでーす!」

「私も!」

 オカメインコ篠田さんと裕美も言った。

「うーん」

 林原さんは苦笑を浮かべた。

「みんなに同じことが通用するかどうかわからないけど、私は毎日ちょっとずつ問題を解いてる。それが癖になれば苦手意識とか消えるし、パターンが見えてくるし。いい参考書を……」

「なるほどー!」

「きゃっ!」

 突然背後から声をかけられて、林原さんは小さな悲鳴をあげてしまった。

「その参考書、教えて貰えます!?」

 名前はまだ覚えていないが、クラスの子だ。

「あ、うん。いいよ」

「あの~…」

 別の生徒が話しかけてきた。

「私のも読んで欲しいんですが。これ」

 彼女が指を置いたところには小さく「流れ星に願い事をしたいのですが、いい方法を教えてください」とある。

「流れ星かー」

 陽向が言った。

「いい方法になるかどうかは分からないけど、流星群を待てばどうかな」

「流星群って、いつ流れるか決まっているんです?」

「これからなら、こと座流星群、みずがめ座ηエータ流星群……」

「ああ、でも」

 と、数学の参考書をメモに書いていた林原さんが話題に参加してきた。

「その両方、流れ星を見るのは難しいと思う。夏のペルセウス座流星群を待った方がいいんじゃないかな」

「うん。そうだね」

 さすが。

 理系が好きとは聞いていたけれど、天文関係にも詳しいらしい。陽向は仲間を見つけたようでちょっと嬉しい。

 「夏のペルセウス座流星群!」と、質問してきた生徒はスマホで検索している。

「ねえ、海岸でひすいが拾えるってホント!?」

 別の生徒が手を上げた。

「机に書きなよ」

「そうだよ」

 他の生徒に注意されている。

「いや、いいよ。そんな決まりがあるわけじゃないし」

 陽向が苦笑して、

「新潟の海岸でひすいが拾えるってのは、糸魚川いといがわのあたり。姫川ひめかわ青海川おうみがわにひすいの産地があるので、そのまわりの海岸だね」

「こっちじゃだめ?」

「だめだろうなあ。むしろ富山のほうにひすい海岸が伸びてるらしいね」

「拾ってパワーストーンにしようと思ったのになあ」

「ああ。そっちのほうはよく知らないけど、川とかで結構いろいろな石が拾えるらしいよ。そういう本も幾つかあるから紹介しようか」

 盛り上がっている。

 しかし、無口になっている少女が一人いる。

 マシンガントークは鳴りをひそめたが、それでもこの四人の中でいちばんのおしゃべりが先ほどから顔を伏せて沈黙している。

「……無理ですっ!」

 オカメインコ篠田さんが涙声で言った。

「私、こんなに注目浴びるのまだ無理ですっ!」

 今日も手間のかかったお弁当を手に、篠田さんがダッシュで自分の机に戻っていった。

 陽向たちは呆然と見送ったが、林原さんが苦笑して「ごめん。私も」と席を立ち、篠田さんの机へと向かった。まあ、林原さんにとっては篠田さんが大切な存在なので、そうなっちゃうだろう。

「……」

 陽向も考えた。

 陽向としても、こう人目を引くのは裕美を護る誓い的によろしくない。この机でお昼を食べるのもどうだろうかと思っていたところでもあるのだし。

 どうしようか。

 おれたちもおれか裕美の席に移ろうか。

 それともオカメインコの席に。

 空き机から移動すれば、注目も浴びないよな、たぶん。

 パックのストローをくわえて裕美を見たら、裕美はお弁当を食べるのを中断して祥子さんの机の中に手を入れている。

「……」

 今日も裕美は、なにかを空き机に書いている。

 たぶん。

 たぶん、きっとこれも、いじめられたという報告じゃないだろう。なにか書き込むことが頭に閃いてしまったのだろう。

 裕美がこの机になにを書いているのか、楽しみになっている陽向がいる。

 まあいいか。

 裕美がこの机を好きなのなら。




 朝。

 教室に入ると裕美は空き机に突進した。

 だけどそのあと、まわりを覗っている。特に陽向に視線を合わせてくる。

 ああ、そうか。

 陽向は背を向けて、カバンの中身を確かめているふりをした。

「ひなたちゃん! ひなたちゃん!」

 裕美がぴょんぴょんと飛び跳ねてやって来た。

 空き机の天板の裏を確認したのだろう。

 たぶん自分と同じスマホでかな。

「知ってますか、環天頂かんてんちょうアーク!」

 陽向は笑顔が抑えきれない。

 昨日、裕美が机に書き込んだのは「しょうこさん 空にさかさまの虹を見たんだけど あれはなにかな いいことがあるのかな」だった。

 昨日の放課後それを確認した陽向は、さっそく練習の成果をみせた。

 鏡文字にならないように答を書き込んだのだ。

 さすがに漢字にはまだ自信を持てなかったのでひらがなでだけど。「めずらしいげんしょうなので、みただけでもラッキーだよ!」とも添えて。

「えー、知らない。教えて、裕美」

 だめだ、嬉しい。

 むっちゃ嬉しい。

「しょうがないですね。いいですか、環天頂アークというのは――ちょっと待ってください」

 裕美がちらちらと見ているのはスマホの検索画面だ。

 陽向は頬杖をついてニコニコと裕美の話を聞いている。

 裕美は気にならないのかな。

 天板の裏に返事したのは誰なのかって。

 妖精さんとでも思っているのかな。それならそれでいいや。



 それは環天頂アーク

 読み方は かんてんちょう

 あとは自分で調べるんだ、裕美



 陽向は知らない。

 ひらがなを漢字に直し、きれいに清書までしてくれた妖精さんまでいることに。

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