第15話 お弁当はみんなで 2

 今日もお昼に、ミステリ研が空き机に集まってきた。

 陽向ひなたはまだミステリ研に入った覚えはないのだけれど。

 ただ、いつもなら四時間目の授業が終わるとダッシュで飛び出していって、よほど好きなのだろう必ずコロッケパンをひとつ、そして牛乳のミニパックを手にダッシュで戻ってくる陽向がはじめから机にいる。それで勝手が違うのか、陽向が戻ってきたらお弁当を包んでいるハンカチをほどきはじめる裕美ゆみも今日はまだほどこうとしない。

 ふたりとも、それぞれのスマホを眺めて少し幸せそうなのだ。

「どうしたんです、佐々木うじ

 好奇心旺盛なオカメインコ篠田しのださんが裕美のスマホを覗き込もうとした。

「なんでもありませんっ」

 慌てて裕美はスマホをしまった。

 そしてお弁当のハンカチをほどこうとして、あれっと陽向を見た。

「ひなたちゃん、今日のお昼は?」

「今日は食欲がないからいいや」

 陽向が言った。

 実は篠田さんにのぞかれそうになって裕美が慌てたとき、陽向も同じようにスマホをしまっている。

「だめです。それでなくてもその図体なのですから。裕美さんのお弁当を半分上げましょうか」

「そんな幼稚園児のようなお弁当から半分なんてもらったら、裕美が縮んでしまう」

 陽向は頭をかきながら立ち上がった。

「じゃ、行ってくるかな。もうたいしたパンは残っていないだろうけど。どのみち牛乳パックを買ってこなけりゃ」

「じゃあ、ひなたちゃんが戻るまで、裕美さんも待っています」

「先に食べていてよ、裕美」

 陽向が教室を出て行った。

「あ、篠田さんに林原はやしばらさんはどうぞお先に。ひなたちゃんを待つのは裕美さんの勝手なのですから」

 にこにこと裕美は微笑んでいる。

 なんというのか……。

 なんというのか……。

 篠田さんと林原さんは思う。



 彼女と彼氏だよね、ほとんど。



「おや、期待の陸上選手は今日は歩いているようですな。体調でも崩しましたかな、藤森ふじもり先生」

 教頭先生が言った。

 教務室の窓から学年棟から管理棟への渡り廊下が見える。今そこをスマホを弄りながら歩いているのは長身の生徒だ。

 走っても走らなくてもイヤミ言われるのかよ。

 藤森先生は青筋を立てて配達お弁当を食べている。



 桜がきれいだ。

 陽向は思う。

 こんなにたくさんの桜のある高校で良かった。毛虫被害がひどいとかだったかな、住宅街にあるうちの中学には植えられてなかったんだよな。

 陽向はスマホに目を戻した。


 しょうこさん、裕美だよ!

 もちろんひなたちゃんもいますよ!

 学校においでよ!

 はやくあいたいな、しょうこさん!


 笑顔が浮かんでしまう。

 これが昨日のお昼に、裕美が空き机の天板の裏に書き込んだ言葉だ。

 この五十嵐浜いからしはまで、中学のときのように裕美がいじめられているとは思えない。ずっとと言ってもまだ数日だけど、ずっと監視してきた陽向だ。この図体でいつも裕美の傍にいて、ふてぶてしく睨みを利かせてきた。書込んだ時の表情からも、深刻な内容ではないとは思っていた。

 だけど五時間目の教室移動で裕美に先に行ってもらい、誰もいない教室で空き机にスマホを差し込み、この書き込みを確認できたときには安堵で全身の力が抜けるのを感じた。

 良かった。

 やっぱりただのあいさつだった。

 でも怖かったんだ。確認するまで怖かったんだ。中学生だった時に見たあの言葉がまた並んでいるのかもしれないと怖かったんだ。



 裕美が自分の机の天板の裏になにかしているらしいのに気づいたのは、中三の秋だった。

 裕美は器用だ。

 書き込んでいても二の腕が少しも動かない。

 だからたぶん、陽向しかそれに気づいていない。

 気になって放課後に裕美の机を調べてみた。何か書いてあるようだけど、読めない。今しているようにスマホをいれて撮影してみた。裕美は本当に器用だ。裏返しに書いているのに鏡文字になっていない。それに関しては、むしろ危険だからやめたほうがいいと今は思うのだけど、まさか陽向からは言えない。

 画像を確認した陽向は吐きそうになった。

 ここで吐いたらまずい。

 我慢して水飲み場まで走り、そこで吐いた。クラスメイトに見られて、しばらくあだ名が「ゲロ」になってしまった。だからなんだっていうんだ。天板の裏には裕美の心の叫びがびっしりと書き込まれていたんだ。


 さみしい!

 しにたい!

 みんなしんじゃえ! わたしもしんじゃえ!


 たすけて、しょうこさん!

 たすけて、しょうこさん!


 わたしをはやくたすけにきて、しょうこさん!


 「しょうこさん」。

 クラスにも陽向の記憶の中にも思い当たる人はいない。

 きっと、たぶん、孤独を癒やすために裕美が作り出した架空の存在なんだろう。どこからかやってきて裕美を救い出してくれる白馬の騎士なんだ。

 おれじゃない。

 それは絶対におれじゃない。

 ヒエラルキーのトップ。中学の女王さま。笈川おいかわ真咲まさきから無視されクラスから無視され、孤独の中にいた友達の苦しみにも気づかず、へらへらとどちらにもいい顔をしていたおれじゃない。それどころか、むしろ真咲に媚びていたおれじゃない。



 空き机の書き込みを確認して、陽向はしばらく泣いた。泣きはらした眼を見た養護教員の美芳みよし先生はすぐに信用してくれて、陽向は昨日の午後を保健室のベッドで過ごした。そのベッドからも咲き誇る桜がよく見えた。

 あらためて誓え、南野みなみの陽向。

 何度でも誓え、南野陽向。

 おまえは裕美を守るんだ。裕美の前にほんとうの「しょうこ」さんが現れるまで、それが一生であってもおまえは裕美を守るんだ。

 それにしても、と陽向は思った。

 それにしても裕美の中では、「しょうこさん」は本当に存在しているんだね。ある意味、トイレの花子さんのように。

 あとさ、天板の裏に書き込むの、漢字も使えるようになったんだね。

 やっぱり裕美はすごいや。

 おれも、天板の裏に文字が書けるように練習しよう。陽向は思った。久々によく眠れたとも思った。



 購買の前のパン売り場は今日も戦争だ。

 女子高であってもそれは変わらない。

 普段ならダッシュで来て、卵サンドパンを探すのだけど、もう売り切れているのだろう。人気のパンなのだ。ならもっと作ってくれればいいのにと思うのだけど、そう簡単な話ではないのかもしれない。稀少価値があるから売れるというのもあるのかもしれない。

 あった!

 今日はゆっくり歩いてきたのに卵サンドパンが残っている! やっぱり簡単な話じゃない!

 だけど無情にも、その卵サンドパンは目の前で別の手に奪われてしまった。しかも最後の二個をふたつとも。こいつ、人気パンの一個は他の人のために残すという譲り合い精神はないのか。

 背が高い。

 陽向も一七四センチあって、運動部ではない生徒の中ではかなり高い方なのだが、その生徒も陽向と同じかそれよりも高い。そしてその細い背を流れるのは、さらさらの長い髪だ。陽向がショートであることが多いのは、長くすると見た目が重くなってしまう髪質だからだ。さらさらの長髪は、陽向にとってあこがれに近いコンプレックスでもある。

 そういえば、入学式にもこんな風景を見たような気がするな。

 ふっと思考を飛ばした陽向に、卵サンドパンの代金を払った生徒が振り返った。黒いセルフレームのメガネだ。

 あれ、やっぱりこんな風景を見た。

 あの子は赤いセルフレームだったけど。

 陽向は「夢キス事件」の森川もりかわ志津子しづこさんを思い出している。この時にはまだ「夢キス事件」は起きていないが、ふたりは桜の下で出会っている。

 でも、おとなしく儚げな森川さんと目の前の生徒は違う。

 その生徒は陽向と目を合わせて「にやり」と挑戦的に笑ってきたのだ。それどころか高笑いをあげたのだ。

「あーっはっはっは!」

 陽向だけではない。

 パン争奪戦で生徒でごった返す購買が時間を止めた。

 少女は笑い声を上げながら、これ見よがしに卵サンドパンを両手に誇示して歩いていった。

「なんだ、ありゃ……」

 陽向はぽかんと口を開けてその姿を見送った。




 陽向を待つ裕美は、またスマホの画面を見ている。


 やあ、裕美。

 元気だったかい?


 それは誰にも、陽向にも見られずに今朝撮影した空き机の天板の裏の画像だ。

 裕美は嬉しそうに微笑んだ。

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