第13話 五十嵐浜高七不思議 解決編

「まず確認したいのは」

 陽向ひなたが言った。

「空き机の書き込みなんだ。最初のは前の時間が体育だったから、みんなが教室をでるまで待って書き込めばいい。だけど掃除時間に文字が変わったのは――おれの予想を言わせて貰えば、机ごと入れ替えた?」

「そう。今の『空き机』は、昨日までは私の席だった」

 林原はやしばら詩織しおりさんが言った。

「六時間目までに七不思議の構想を考えて、授業中に自分の机に書いた。それを掃除の時間に入れ替えただけ」

「よくまわりに気づかれなかったね」

「一気に入れ替えたんじゃなくて、机を上げ下げするときに半分ずつずらしたのよ。その机の上げ下げも、ほとんど私がやったの。なにかやってるぞって気づいた人だっているんじゃないかな。人の事なんてあまり気にしないだけで」

 ああ、それで「真面目な人」ってコメントがついたのか。

「あの時には思いつかなかったよ。まさか現実にミステリのようなイタズラを仕込んでくる人がいるなんて想像してなかったからね。わかっていれば、林原さんの机を確認していたのにな。たぶん、最初の書き込みが消されずに残ってたでしょう?」

「そう。カバンを載せて隠してただけ。机に消しゴムをかけるなんて目立ちそうだもの」

 そう考えるとよくできている。

 すぐに準備出来る「蛇口から血」は上にあって、時間が必要な「肖像画の目」は下にある。

「蛇口は色をつけたセメダイン」

 陽向が言った。

 セメダインの膜が水を通さずに膨らんで「ぼこぼこ」「もこもこ」になる。あらかじめ色をつけておくとスライムのようなものが蛇口からでてくるように見える。

「それも正解。あなたも化学実験番組が好きなタイプだったのね、南野みなみのさん」

「うん、今も」

「誤算だったのは階段からすぐに水飲み場に行くと思ったのに、あなたたちが急に体育館のほうに歩き出しちゃったこと」

「それで関係ない人を巻き込んじゃったわけか」

「これの」

 と、林原さんは床におろしていたモナリザの絵の額縁を、ポンと叩いた。

「説明は必要ないわよね」

「うん。できれば林原さんならホロウフェイス、ホロウマスク錯視を使って欲しかったけど、それはそれですごいと思った」

「だめ。ホロウマスク錯視は動画限定。肉眼では片眼をつむらないと起こらない」

「えっ、そうなの」

「実験は自分で試してはじめて意味があるんだよ」

「わかったよ、ごめん。でもわからないのは、なぜここまで大がかりなイタズラをしたの。林原さんも大変だったでしょう。そのモナリザなんてすごいよ」

「楽しんでもらいたかったのよ」

「え?」

篠田しのださんと、そして篠田さんの友達であるあなたたちに楽しんで欲しかったのよ」


 雪がちらつく中で、その少女は泣いていた。

 目を閉じ、唇を噛み、涙は彼女の頬を落ちていった。


「南野さんは知らなかったみたいだけど、高専合格発表のローカルニュースの映像として、私が泣いている姿が繰り返し流されたの。カメラマンは歓びの涙と思ったのかもしれないけど、普通、表情でわかるよね。私は新潟で今年一番有名な、受験に失敗した子なのよ」

 昔から理系が好きだった。

 だからいっそのこと高校から浸っちゃえと周囲の反対を押し切って高専を受験することにした。だけど受験の日、問題の一問目がよりによっていちばん苦手な問題だった。そして両隣の男の子たちがさらさらとよどみなく鉛筆を走らせる音が聞こえてきた。


 落ちる!?

 この私が男子に負けちゃう!?


 かあっと頭に血が上った。女の癖に理数系かと馬鹿にした男たち。県高ケンタカに行ってくれと哀願し怒鳴りテーブルを叩いた両親。そして先生。

 それみたことか。

 ――。

 さんざんだった。

 ただそれで、自分が人より上がりやすい、思い込みが激しいと分析でき、男子への変な対抗心があることもわかった。だけど傷は深く自信を取り戻せなかったので、県高は避け(受験でとなりに男子が座るのはまだ怖かった)五十嵐浜いからしはまに決めた。

 困ったのは、どう分析し自分に言い聞かせても、人の囁き声が自分を噂しているように聞こえること。笑い声が自分への嘲笑に聞こえてしまうこと。

「どんなに論理的になろうとしても、このひがみっぽい性格は直らない。この被害妄想、自分はかわいそうな子だって自己憐憫が消えない」

 そんな時。

 駅からの長い坂で、肩を叩いてきた人がいた。

「あっ、私っ、篠田菜々緖ななおといいますっ! 影薄かったから知らないと思うけど、同じ中学出身ですっ! あのっ、そのっ、よろしくお願いしますっ!」

「……」

「クラス同じなんですっ! 一年間、よろしくお願いしますっ! あっ、繰り返しになっちゃったっ!」

 林原さんが「よろしく」と返したのは、ただの挨拶だ。深い意味があるわけがない。だけど篠田さんは嬉しそうに笑ったのだ。

 にっこりと。

 天真爛漫に。

 ああ、あの笑顔か。陽向には想像できた。

「嬉しかった」

 林原さんが言った。

「私こそ、すごく嬉しかった。ただの私に声をかけてくれた。ハリネズミになっていた私が、本当に嬉しいって思ったんだ」

 篠田さんがミステリ研を作りたいのなら協力したいと思った。

 友達を作っりたいなら応援したいと思った。

「でもやっぱり思い込みの激しい私だから、空回りしちゃったかな?」

 林原さんは苦笑を浮かべた。

「あのさ」

 と、陽向が言った。

「おれ、こんな感じで、言葉遣いもこうなんだけど。今ほど自分が女の子で良かったなと思ったことはないと思うんだ」

「? なにを言っているの?」

「だって、おれが男だったら、こんな事言ったらひっぱたかれるよね。おれ、今、すごく林原さんを抱きしめたいんだ」

 林原さんは眼を見開いた。

「……あなたがもし男だったら、私、ひっぱたいてる……」

「ね。だめかな、やっぱり」

 ふわり、と。

 モナリザの額縁を離し、林原さんが陽向の胸に飛び込んだ。陽向は林原さんの髪を優しくなでた。林原さんの眼から涙がひとつ、ふたつ、落ちていった。



 ちょっと、役得。

 でも、そうだね。あなたが男の子だったら、私、こんなに素直にとびこめなかった。こんなに素直に泣けなかった。


 ちょっとだけかわいそうだった私だから。

 ちょっとだけつらかった私だから。

 ちょっとだけ神さまがくれたプレゼント。


 落ちて良かったなんて少しも思わない。

 行きたかった。

 反対したみんなを見返してやりたかった。


 だけど五十嵐浜に来て良かった。


 幸運があるのなら。

 いろいろあったけど、その結果として今ここにいることが、幸運。



「ほんとうだっ。どの角度から見てもモナリザがこっちを見てますよっ!」

 篠田さんが歓声を上げた。

 朝の一年三組。

 四人は空き机に集まり、林原さんのモナリザの細工を確認中だ。

 昨日はあれから、林原さんの涙のあとを二人に見せるわけにもいかず、裕美と篠田さんにはメールを送って先に帰ってもらった。

「モナリザの目の部分だけ凹ませて、奥に黒目が描いてあるの」

 林原さんが言った。

 陽向の胸で泣いて少しだけさっぱりしたのか、今朝の林原さんの表情は優しい。そう陽向は思う。

「スプーンを眼に見立てて中央に目玉を描いて動かしてごらん。えっと思うから」

 陽向が補足した。

「だけど、よく複製画を使いましたね。安いものじゃないでしょう……」

 裕美が考えているのはそっちのようだ。

 とはいえ、実は陽向もそれが気になっていたのだ。

「それは――モナリザの目を動かしたいと兄に相談したら、目の細工まで済ませてあるそれを持ってきてくれたの。ごめんね、昨日は偉そうなこと言ったけど、私も自分ではホロウマスク錯視を使えないかって考えてたんだ。兄に、それじゃダメだって」

「へえ、林原さんのお兄さんも面白い人なんだな」

「工学部の学生でね。おかしなことばかりしてる。この複製画をどう入手したかはあまり聞きたくないかな……」

「……」

「……」

「……」

 相当変なお兄さんらしい。

「たいようちゃんみたいなお兄さんですね」

 裕美が言った。

 南野太陽。妹萌えの陽向の兄だ。

「やめてくれ。あんなのがふたりもいたら公転軌道が乱れる」

「それにしてももったいないですね、これ。こっそり美術室に飾れませんかね」

 篠田さんが言った。

「こっそりだと問題にならない? 先生に相談してトリックアートとして飾らせてもらえばどうだろう」

 陽向が言った。

「五十嵐浜高校七不思議も書き替えないといけませんね」

 裕美が言った。

 ふふふっと林原さんが笑った。

 藤森ふじもり先生が今朝も陽気に教室に入ってきた。

「結局」

 と陽向は思う。

「おれも裕美もミステリ研なのかな。林原さんも。篠田さんってただ慣れていないだけで、本当は人たらしなんじゃ」

 篠田さんが言った「ディスタンス感」を思い出して、陽向はぶっと噴き出しかけた。

「さて」

 陽向は手を上げた。

「おれもできるところからかたづけていくことにしよう」



「先生、その机の人はいつ登校するんですか?」



 新潟県立五十嵐浜女子高等学校。

 今年の春はどうやらいつもより騒がしい。

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