第12話 五十嵐浜高七不思議 6

 


 雪がちらつく中で、その少女は泣いていた。

 目を閉じ、唇を噛み、涙は彼女の頬を落ちていった。

 高専の合格発表。

 彼女の受験番号はそこになかった。




「きゃああーーーーーーーッ!」

 薄暗くなった校舎に悲鳴が響き渡った。

 大体育館へと歩き出していた陽向ひなたが踵を返して走り出し、裕美ゆみ篠田しのださんが続いた。

 悲鳴は体育館の中にも届いたのだろう。鉄扉を開けて防具姿の鉄道部員が出てきた。外した面から現れたのは、顔を上気させた涼しい目元の少女だ。


 今の悲鳴、一年棟だ!

 陽向は急いだ。

 ――夜になると血が噴き出す一年棟水飲み場の蛇口

 管理棟の玄関ホールに差し掛かったとき、視野の端に人影を見た気がして陽向はホールの大きなガラス窓を見た。中庭を挟んで建つ理科棟の最上階からこちらを見下ろしている長い髪の生徒が見えた。

 もうすぐ全校退校時間だぞ。

 そんなところにいたら間に合わないだろう。

 ――深夜に校舎を歩く自殺した生徒

 ゾッと全身を悪寒が走ったが、陽向は頭を振って玄関ホールを駆け抜けた。


 一年棟から走ってきたジャージの生徒が、陽向たちの姿を認めて奥を指さした。

「血が! 血が!」

「なにがあったの!」

「蛇口から、血が! ボコボコって!」

「こらあッ!」

 先ほどの悲鳴に負けない大きな声が響いた。

 体の大きな男性教師が階段を駆け下りてきた。

「おまえたち、なに騒いどるッ! とっくに下校してなきゃならん時間だぞッ!」

 迫力だ。

 一年棟の水飲み場を確認したいが、これではさすがに動けない。

「おっ、なんだ、太刀川たちかわ、おまえまで!」

 背後の一年棟への廊下をチラチラ見ていた陽向が、えっ!?と完全に動きを止めた。

 袴姿の剣士が歩いてくる。

 手には竹刀。

「大きな声が聞こえたもので」

 澄んだ声だ。

「おまえもだ、太刀川。もうすぐ全校退校時間だぞ。着替えとる時間はない」

「このまま校舎をでます。慣れてますから」

「しょうがないヤツだ。練習熱心なのはいいが……」

「先生、そこの子は私の後輩です。あとは私に任せていただけますか」

「早く校舎を出ろよ。あと五分もないぞ」

 ブツブツいいながらも男性教師は戻っていった。

「陽向」

 少女剣士が言った。

「そこの子たちも。校舎をでるぞ。全校退校時間だ。忘れ物があってもあきらめろ」

 そして背を向けると、さっさと歩き出した。

「誰です」

 裕美が囁いてきた。

「太刀川琴絵ことえ――先輩。剣道部の先輩で、県有数の剣士だよ」

 陽向が言った。


 カバンを手に校庭に出ると、本当に袴に革靴姿の太刀川先輩が待っていた。

 さすがに防具は部室に置いているようだが、竹刀は竹刀袋に入れて背に担いでいる。バッグは学校指定のものよりかなり大きいが、教科書の他に制服も納めているのだろう。

「陽向――」

 覚悟はしていたが、太刀川先輩が睨み付けてきた。

「血が出てきたんです、蛇口から!」

 陽向が返事をする前に、ジャージの生徒が言った。

 太刀川先輩は眼を細めた。

「ほんとうです! ボコボコって! 真っ赤なのが!」

 陽向はジャージの生徒の肩に手を置いた。

「疑ってないよ。おれたちは」

「おれ?」

 太刀川先輩に聞き咎められたが、陽向は目を伏せて返事をしなかった。

「そこの子」

 太刀川先輩が言った。

「ちゃんと家に帰ることができるか。この通り目立ってもいいなら私が送ってもいいが」

「えっ、いえっ、だいじょうぶです。びっくりしただけですから。あの、あれってなんでしょうか。ボコボコって」

「知らんよ。そこの陽向がなにか知っているようだから聞けばいい。陽向」

「はい」

「おまえが五十嵐浜いからしはまに来たのはわかっていたから、私はおまえが剣道部に来るのを待っていたんだ。なぜ来ない。道場にも誘ったよな」

「申し訳ありません」

「剣道をやめたのか?」

「やめました」

 ぐっと、太刀川先輩は顔を歪め、背中を向けた。

「行け! 話はあとで聞く!」

 陽向は深々と頭を下げ、ジャージの生徒の手を引いて歩き出した。裕美もなぜかわからないが太刀川先輩の背中にお辞儀をして、それを見た篠田さんもまたお辞儀をした。


 校門をでたところで校舎を振り返り、陽向が言った。

「そういえば、あの彼女はちゃんと校舎を出たのかな」

「え?」

 ジャージの生徒はきょとんと陽向を見上げている。

「なんでもない。あ、ごめん」

 まだジャージの生徒の手を握っていた。陽向は慌てて手を放した。

 ジャージの生徒は握られていた手を見て、「えへへ~」と頬染めて喜んでいる。

「それで確認していい? 思い出したくないならごめんね。一年棟の水飲み場の蛇口から赤い水が出たんだね?」

「ああっ、うん、ぜんぜんだいじょうぶ! 驚いただけだから! でもほんと驚いちゃった!」

 タフな人らしい。

「部活動終えて――あ、私、はじめからバレー部に入るつもりだったからもう練習に参加させてもらっているの。それで帰ろうとしたんだけど忘れ物に気づいて慌てて教室に戻ったの。のど渇いたからもう一度水飲もうって蛇口ひねったら……」

「ボコボコ?」

「そう、真っ赤な水がボコボコって」

「夜になると血が噴き出す一年棟水飲み場の蛇口――そのままですね」

 篠田さんが言った。

「え、なにそれ?」

 篠田さんはスマホで七不思議が書かれた机の画像を見せた。

「わあっ! あれって五十嵐浜七不思議なの! 私、七不思議に遭遇したんだ! きゃあ、やだ、その画像ちょうだい。拡散しなきゃー!」

 どうやら、ショックを受けてないか心配することはないようだ。




「はい、先生からは以上です。それでですねー」

 朝のHR。

 いつものように、語尾にハートがついていそうなしゃべり方の藤森ふじもり先生だ。

「水飲み場がにわかに人気スポットになっているようですが、なにがあったのでしょう~」

 朝、裕美にも頼んでいつもより早めの電車で来たのだけど、もう水飲み場にはなんの痕跡も残っていなかった。それどころか、空き机の七不思議の書き込みも消されていた。せめて、あの時に確認できていたなら。

「私も試してみましたよっ!」

 楽しそうに言ったのは篠田さんだ。

「残念ながらただの水でしたっ。ボコボコって、見てみたかったですねえっ!」

「ほんとに水道から血が噴き出たのでしょうか」

 裕美が言った。

「血じゃない。血だったらその匂いが鼻につくよ。人間はそういう匂いに敏感にできてる。たぶん、赤い色の塗料。安全考えたら食紅かな」

「つまり、だれかのイタズラ?」

「でも、どうやって赤い色を水道につけるんですっ?」

 それを確認したかったのだけど。

 昨日の彼女は本当に七不思議の画像入りで拡散したらしい。音楽室に行ってみると、数人の生徒がベートーヴェンの肖像画の前でウロウロしている。

「動いている、目が動いてる!」

 そう騒いでいるが、そりゃモナリザ効果などといって既知の錯覚だ。

「水道に赤い色を仕込める人なら、モナリザ効果より確実な手段で目を動かすだろうな」

 陽向が言った。

「なにか方法があるのですか?」

 裕美が言った。

「うーん……」

 それにしてもこの調子だと、太刀川先輩が今日も居残り練習をしたなら、彼女も怪異の仲間入りしちゃうのだろう。

 あとは。

 陽向の全身をまた悪寒が走った。

 そうだ、理科棟から見下ろしていたあの生徒はいったい――。




 美術部は運動部と違って遅くまで活動していない。

 五時になれば帰りはじめるし、六時近くになればもう美術室には誰もいなくなる。その薄暗い美術室に入ってきた生徒がいる。

 彼女は美術室のうしろのほうに固めておいてある額縁の中からひとつを取りだした。そこには絵が貼られている。モナリザの複製画だ。

「来たね」

 その声にその彼女ははっと振り返った。

 机の陰から立ち上がったのは陽向だ。

「ベートーヴェンは目くらまし。もしかしたら本当にベートーヴェンの絵を動かすつもりだったのかもしれないけど、吹奏楽部は運動部なみに遅くまで練習している。だから手が出せない。休み時間にダッシュして確認させてもらったよ、美術室にそれが隠されているのを」

「……」

「裕美とオカメインコ――篠田さんには理科棟を調べてもらっている。『自殺した生徒』をね。おれは見たし、その話をしたら裕美も見た気がするんだそうだ。そっちでもなにか仕掛けが見つかるかもしれない」

「なにを言っているの?」

「うん、そうだね。とりあえずはそのモナリザだ。よくできてる。どうするつもりだった? 君が自分で悲鳴を上げて呼び水になるつもりだった?」

「……」

「興味があるのは、なぜ君がこんなイタズラをしたのかってことなんだ。ねえ――林原さん」

 林原はやしばら詩織しおりさんは唇を噛みしめた。

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