第9話 五十嵐浜高七不思議 3

 そりゃあ、ミステリには興味がある。

 陽向ひなた裕美ゆみも、小学校の図書室でホームズや二十面相を読みあさったクチだ。今でも読書は好きだ。

 裕美は翻訳ミステリー。

 両親がそもそもミステリ好きで、早川書房のクリスティー文庫が家に全巻揃っている。もちろんホームズも訳者が違う数バージョンが揃えられている。ただ、ミステリの翻訳は古いものが多く、一世紀前に翻訳されたままというものも珍しくない。ときどき裕美の口調がおかしくなるのはその影響もあるらしい。時代小説もよく読むというのもあるようだが。

 陽向は東野圭吾や今野敏。

 トリックより物語を楽しむタイプのようだ。もっとも陽向の場合は読書の幅が広い。サイエンス・アイのシリーズがお気に入りらしい。

「私はもうそのあたりなんでも読むっていうかっ! チャンポン!チャンポンっ! 面白ければなんでもっ!」

 そして、二人の前でマシンガントークを繰り広げているのは同じ中学出身の篠田しのだ菜々緖ななおさん。

「最近読んだのは『チョコレートゲーム』っ。あ、古い本なんだけどはじめて読んだのっ。すっごいよかったっ! 柴村仁さんの『プシュケの涙』もいいよね。キュンとしちゃうっ! もちろんクリスティーも大好きっ。だけどクリスティーって有名作品よりそうでもない本のほうに名作多いよねっ、そんな気がするっ!」

 中学では、いつもひとりで本を読んでいた地味な印象しかない。

 こんなテンションが高い人だったとは。

 というか。

 陽向は思った。

 こいつ、なんでおれの存在を無視しているんだろう……。

 たしかさっき、裕美のついでにおれの名前も呼んだはずだと思うのだけど。それからはずっと裕美とだけ話しているじゃないか。一方的にしゃべっているだけだけど。

「ひなたちゃん」

 裕美が言った。

「スマイル」

 どうやらまた不機嫌な顔になってしまっていたようだ。

 ぎぎぎぎ……

 油を差していないアンドロイドのように、陽向はぎこちなく表情筋を動かした。

「やっぱりごめんなさい、ひなたちゃん。篠田さんが不自然に顔をそらして怯えています」

「あのさ」

 わざとらしく頬杖をつき、ふたりに割り込むようにして陽向が言った。

「おれもけっこうミステリ好きなんだけどな。そうは見えないのかも知れないけどさ――?」

 陽向は言葉を止めた。

 篠田さんがこの世の終わりのような顔をしてこちらを見ているのだ。

「……どうしたの?」

「ひあっ!」

 今度は一声吠えて椅子の背にしがみつく篠田さんだ。

「……」

「……」

 子犬だ、怯える子犬だ……。

 裕美は思った。

 陽向は思った。

 インコだ。せわしないオカメインコだ……。

「無理ですっ!」

 篠田さんが叫ぶように言った。

「ヒエラルキーが極端に違う人と話すのは、まだ無理ですっ!」

 おまえは何を言っているんだ。

南野みなみのさん、運動部に入るんでしょっ! モテモテだし、かっこいいし、ぜんぜん違うっ! 残酷ですっ! ヒエラルキーが違いすぎますっ!」

 困る。

 こういう場合、なんて言っていいのかわからない。それに。

「つまりそれは」

 にっこりと裕美が微笑んだ。

「裕美さんはブスでモテないし、ヒエラルキーど底辺で話しかけやすいわけです」

「わああああっ!?」

 今ごろ気づくなよ。

「あれ?」

 陽向はなにか違和感を覚えた。

 頬杖をついたまま顔を動かさず、ぐるりと視野を確認する。放課後のクラスはもう陽向たちの三人だけだ。いや、もうひとりいる。

 涙目で震えている篠田さんのむこう。

 林原はやしばら詩織しおりさんが自分の席で本を読んでいる。

 林原詩織さんも同じ中学出身。

 中学のときには常に成績トップを争っていた秀才だ。その彼女が県高ケンタカではなく五十嵐浜いからしはまにいるのは不思議ではあったが、五十嵐浜も県高には及ばなくても南高ナンコーと並ぶ進学校ではある。単に選択の問題なのかもしれない。

 新入生のわりにこの高校のウラ事情に妙に詳しい裕美によると、新入生の春の委員長は暫定で入試の順位で決められるらしい。

 もちろん、この一年三組の暫定委員長は林原さんだ。

 さすがに雰囲気が違う。

 そう陽向は思う。

 冷たい感じがしないでもないが、陽向は少なからず彼女に畏敬を抱いている。

 林原さんが読んでいるのは、サイエンス・アイのシリーズだとわかる本だ。そういえばさっき、サイエンス・アイを頭に浮かべてしまったのは、彼女の姿を無意識に見ていたからだろう。

「私、春休みに急に思ったんです……」

 さっきまでのテンションはどうしたのか、シュンと体を丸めて篠田さんが言った。

 陽向は篠田さんに視線を戻した。

「中学のことを思い出そうとしたら、ほとんど思い出すことがないんです……。本読んでたってだけで……。小学校の思い出も同じようなものなんですけど……」

「はあ」

「はあ」

「それで、なんだか怖くなって……」

「はあ」

「はあ」

 怖くなったんかい。

 寂しくなったとか悲しくなったとかじゃなくて。

「私、ダメなんですかね……。今までサボってきたから。友達作るとか、仲間作るとか、思い出作るとか、もう遅いんですかね……」

 えっ!

 えっ!

 陽向と裕美はぎょっとしてしまった。

 うつむいている篠田さんの目から涙が落ちている。

「私だって友達と楽しい高校生活を送りたいですよお……。今まで経験ないからわからないけど、そんなことちょっとしてみたいですよおぉ……」

「ちょ、ちょ、ちょっと待った!」

 こうなっては、いくら身長を伸ばしても、ふてぶてしい表情を作れるようになってもなんの役にも立たない。

 裕美がすうっと動き、篠田さんのとなりに寄り添い、手に手を添えた。

 陽向はさすがに裕美だと思い、裕美がいてくれて助かったと思い、そして陽向もまた泣きたくなった。

 裕美は優しい。

 裕美には共感力がある。

 それは――裕美も悲しみを知っているから。

 そして陽向は気づいた。

 本を読んでいた林原さんの姿がない。

 ああ、篠田さんが泣き出したので遠慮したのかな。意外と彼女も気を使う。というか、おれだけががさつなのかもしれない。

 そしてもうひとつ、ああと思った。

 さっきの違和感。

 そうだ。なんで彼女はわざわざ放課後の教室に残って本を読んでいたんだろう。



 まだ目をこすっている篠田さんの手を引き、彼女にカバンを確認してもらい、陽向と裕美は廊下に出た。同じ中学出身だ。家も近所だろう。

 すでに薄暗くなり始めている廊下の向こうから同じ一年生が歩いてくる。

 すらりとしたきれいな立ち姿。

 ウェーブのかかった長い髪。

 派手なわりに成績もけっこう良かったのは知っていたけど。

 苦々しく陽向は思った。

 なんで五十嵐浜に来るかな。進学校を選ぶにしても南高や県高に行けば、あんたの望み通り取り巻きにちやほやしてもらえただろうに。たったひとりで廊下を歩いているあんたなんて、想像もできなかったよ。

 笈川おいかわ真咲まさき

 目が覚めるような美少女だ。

 陽向は篠田さんと裕美を庇うように前に出た。

「――」

 陽向はぎくりとした。握った裕美の手が冷たい。

 くそ、と陽向は歯を食いしばった。

 すれ違うときに笈川真咲の視線がちらりと動いた。形のいい口元がにこりと笑ったようにも見えた。陽向はそれらを無視した。


 くそ。

 おっつかない。まだぜんぜんおっつかない。おれとアイツじゃ、まだこんなにも格が違う。

 陽向は裕美の冷たい手をかたく握り締めた。


 裕美は優しい。

 裕美には共感力がある。


 それは――裕美にはいじめられていた悲しい経験があるから。

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