第8話 五十嵐浜高七不思議 2

「今、なんていいましたか、ひなたちゃん」

 プリントから顔をあげ、裕美ゆみが言った。

 入学してまだ三日目なのに、なんだかもうずっと同じ教室で過ごしてきているような気がする。そんな感覚に戸惑う朝。HRで配られたのは、部活動を紹介するプリントだ。次の月曜の一時間目に、大体育館で各部のデモンストレーションもあるらしい。

「部活動」

 自分の手のプリントに目を落としたまま陽向ひなたが言った。

「その前です」

「おはよう」

「前に戻りすぎです。しかもそれからもう一時間以上経ってます。あ、ごまかしてますね。ひなたちゃんはごまかしてますね」

「……」

 顔をそむけてはいるが陽向の耳は真っ赤だ。

 プリントを持つ手もぷるぷると震えている。

「なんでもいいじゃないか。裕美はなにか部活動やるつもりなのか? それなら――おれ――もそこに入るから……」

 陽向が言った。

「『おれ』!」

「……」

「『ぼく』を素通りして、『おれ』!」

「……」

 実際に「その前」に陽向が口にしたのは「おれさー」だった。

 HRを終えた藤森ふじもり先生が教室から出て行き、自分の席から立ち上がると妙にふてぶてしく近づいてきて、裕美の机にどかっともたれ、わざとらしくプリントを見ながら「おれさー」だ。ちなみに今日の藤森先生は酒臭くもクールミント臭くもなかったようだ。

「おれさー、裕美は部活動どうするのー」

 脈絡もなければ次の言葉にも繋がってない。

 そういえば朝からおかしかったのだ。

 なんだかそわそわしていて、話しかけてこようとしては目を逸らしていた。ずっと「おれ」と口にする機会を窺っていたのだろう。

「ひなたちゃん、高校デビューですか! それも『おれ』デビューですか! おばさんが聞いたらなんて言うか!」

「ゲラゲラ笑ってた……」

「あ、もう南野家で『おれ』デビューしてましたか……」

親父おやじは怒り出すし、兄貴は『ぼく』にしろとうるさいし……」

「『親父』! 『親父』デビューまでしちゃいましたか! この間まで『お父さん』でしたよね!」

「……」

「たいようちゃんは相変わらずオタクさんですね!」

 南野太陽。

 陽向の兄だ。

「あいつ、『おれ』じゃいやだと泣きやがった……」

「おれッ子じゃ萌えませんからね!」

「だから!」

 陽向は涙目だ。

「裕美はどこの部活動に入るんだよ!」

「ひなたちゃんは剣道部に入るんでしょう。どうして裕美さんの希望を聞くのです」

「おれ」

 と陽向が言った。

 あ――と、裕美は思った。

 馴染んだ。

 なにがスイッチだったのだろう。今の一瞬で、ひなたちゃんはこの一人称に馴染んでしまった。

「剣道部には入らない。やめたんだ」

「段がとれそうだったのでしょう」

「だからやめたんだ」

 陽向は机から腰を上げた。

「決めといてよ。裕美の入る部におれも入るから」

 そう言ったひなたちゃんの横顔は、裕美が今まで見たこともない大人の顔で。身体は大きかったけど泣き虫で臆病で。甘いものやかわいいものが大好きで。

 自分をおれと呼ぶひなたちゃんの向こう。

 昔のひなたちゃんはもういないんだ。


 一月は始まりの月だけど。

 ただ自分の一年が始まるだけの月で。

 自分を取り巻くものたちが駆け出すのは四月。

 特に私たちは進学したのだから、これからの三年間が始まる特別な四月。不思議なデビューしちゃう人もいるし、出番がくるのを待っている人もいる。


「でも」

 裕美は口をもぐもぐさせた。

「『おれ』ですかー…」


 そして。

 ここにも高校デビューした少女がひとり。

「ねえ、佐々木ささきさんっ! どこにも入らないなら、ミステリ研究部に入らないっ!」

 篠田しのだ菜々緖ななお

 同じ中学出身の子だ。

「でもねっ、でもねっ、プリント見たらミステリ研究部がないんだよっ。うわ、がーんだなあ。それなら自分で作っちゃえみたいなっ!?」

 なんなのだ、そのテンションは。その言葉遣いは。

 お昼休み。

 裕美がいつもの「幼稚園児かっ!」と突っ込まれそうなちんまりとしたお弁当箱を取り出し顔を上げたら、篠田さんと目が合った。ていうか、裕美が顔を上げるのを待ち受けていたのかもしれない。目が合った瞬間、がばっ!と両手でお弁当箱を持った篠田さんが立ち上がって突進してきたのだ。

「佐々木さんも読書好きだよねっ! 中学時代に読書してるのよく見たもんっ! 佐々木さんはどんな本を読むのっ!」

 篠田菜々緖さんの印象と言えば。

 休み時間はいつもひとりで本を読んでいた地味でおとなしい人、だ。

 隣の椅子を引っぱってきて座り、裕美に迫っているこの少女は誰なのだろう。

 そもそもつまり、朝の裕美と陽向の会話を耳をダンボにして聞いていたのだ。このマシンガントーク少女は。

 その篠田さんが、びくっとすくみ上がった。

 裕美の背後に、なんなら地響きのような効果音が聞こえてきそうな雰囲気で南野陽向がそびえている。購買で買ってきたコロッケパンと牛乳を手に、篠田さんをふてぶてしく見下ろしている。

「ひなたちゃん」

「なに」

「顔をもとに。篠田さんが子犬のように震えています」

 陽向の顔に困惑が浮かんだ。

 どうやら、その怒っているような顔は無意識だったらしい。

「ひなたちゃん」

「なに」

「スマイル」

 ぐぐっと陽向の口が広がって口角が上がり、ぐぐぐっと眼が細められた。しかしその形の良い眉はつり上がり、眉間には皺。側頭部に青筋。目に殺意。

 笑っているつもりらしい。

 そうではあるらしい。

 どう見たって因縁をつけているチンピラの顔なのだが。

「ひなたちゃん」

「なに」

「無理を言ってごめんなさい」

 がたっ!

 真っ青な顔で篠田さんが立ち上がった。

 裕美も、そして正直陽向もびくりと身構えたが、篠田さんはくるっと背を向けた。

「どわっ!」

「うわああああっ!」

「だあああ!」

 しかし逃げようと試みた少女は、なにがどうしたらそうすることが出来るのだという形で躓き、机をいくつか巻き込み、転がった。

 派手だ。

 裕美と陽向は思った。

 クラスメイトたちは思った。

 なんらかの神が舞い降りている少女だ。

 床に手をつき呆然としていた篠田さんだったが、すっくと立ち上がり無言のまま机と椅子を元に戻し、なぜか涙目で裕美と陽向をキッと睨んだ。

「出直してきますっ!」

 死守したらしいお弁当箱を手に、篠田さんは教室を飛び出していった。直後にまた「どあああ!」という声が響いた気がするが、見ないでおいてあげようと裕美と陽向とクラスメイトたちは思った。

「メリハリのある人です」

 と思ったのは裕美で、

「あいつも小動物系だな。かわいいといえなくもない」

 と思ったのは陽向だ。

 しかし裕美の頭のてっぺんを見下ろし、

「裕美のほうが何倍もかわいいけどな!」

 なぜかドヤ顔になってしまう陽向でもあるのだ。


 陽向は教室を見渡した。

 確認したのは今の篠田さんの席。

 そしてもうひとりの同じ中学出身、林原はやしばら詩織しおりさんの席。林原さんは自分の机で、この騒動のなかでもひとり静かにお弁当を食べている。

 あの通り林原詩織は孤高の秀才だし、篠田菜々緖はおとなしい子のはずだから気にする必要はないと思ったのだけど。

 二人の席の位置からいちばん離れていてなおかつ空いている席。

 同じ中学の連中とはなるべく関わらずにすむ席。

「裕美、あの窓際の席があいてる。あそこで食べよう」

 陽向が言った。

「え、だれの席です?」

「気にする事ない。入学式からもう三日、ずっと空いてるんだ。空き机の彼女が登校してくるまで使わせてもらおう」

 さっさとその机に近づいた陽向は、空き机の前の席の椅子にどかっと座った。陽向が座った席の生徒は、別のところで数人の友達と机を寄せ合ってお昼ご飯を食べている。陽向が座ってもひとまず苦情は出ないだろう。ちんまりとしたお弁当箱を手にとととと寄ってきた裕美は、空き机の椅子に座った。

 そして、その日だけではなく、何日経ってもその空き机の主が登校してくることはなかった。その空き机は、陽向と裕美のお昼ご飯のための予約席のようになった。



 やがて「祥子さんの机」「空き机の祥子さん」と呼ばれることになる。



 一年棟の薄暗い階段に腰掛け、涙目でひとりお弁当を食べているのは篠田さんだ。

「負けない。あきらめない」

 なぜか闘志を燃やしている。



 放課後。

 ふたりのところにまたしても篠田さんが突進してきた。

「佐々木さんっ! 南野さんっ! ミステリ研究会つくらないっ!」

 篠田菜々緖はへこたれない。

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