第3話 あなたのキスを数えましょう 3

「夢で私にキスした人はだれですか」

 裕美ゆみが言った。

 その視線は祥子しょうこさんの机に注がれている。

「ええっ!?」

「なになになに!?」

「やだ、佐々木ささき(裕美)、朝からなに言い出してるの!?」

 裕美の言葉にクラスは大騒ぎになった。

「私じゃありません。祥子さんの机に書いてあるんです」

 数人のお調子者が祥子さんの机に集まってきた。

「あっ、ほんとだ!」

「書いてあるー!」

「『夢で私にキスした人はだれですか』!」

「きゃー!」

 「はい、はい、はい」藤森ふじもり先生が出席簿をぱんぱんと叩いた。

「朝のホームルームですよー。皆さん座ってねー。今日の空き机の祥子さんは、少しインパクトがあるようですねー」

 そして陽向ひなたと裕美にちらりと視線を向けてきたのに陽向は気づいた。裕美が気づいたかどうかはわからない。黒目がちな目を据わらせ、口をもぐもぐさせるいつもの小動物モードに入っていたからだ。

 藤森先生はにっこりと笑って出席簿を開いた。

「『夢で私にキスした人はだれですか』。ロマンチックでいいじゃない。野暮な詮索はやめにしましょうねー。じゃあ、出欠の確認をとりまーす」



「夢で私にキスした人はだれですか」



 そわそわふわふわ。

 なにも知らないでやってきた数学教師までクラスの浮ついた空気に戸惑いながらの一限目が終わり、次の授業の教室移動で一年三組はささめいている。同じ中学出身、新しい友達。それぞれにグループがもうつくられていて、クスクスと笑いながら教科書とノートを抱えて教室を出て行く。

 森川もりかわ志津子しづこさん。

 小針こばり中学出身。

 さらさらストレートの長い髪にセルフレームのメガネ。

 すらりとした長身だが目立たない。

 彼女も教科書とノートを準備してひとりで教室を出た。ちらりと見たのは祥子さんの机だ。



「夢の中で一緒にいる人がだれかわからないことがあるかというと」

 お昼休み。

 いつも通り祥子さんの机でお昼ご飯を食べていた裕美が、ぼそりとつぶやいた。

 朝の「夢キス事件」の浮ついた空気を引きずりながらも、にぎやかなおしゃべりや笑い声で満ちていたクラスが一瞬静まった。

 こいつら、いつも耳ダンボにして裕美の発言を待っているんだな。

 むすっとした顔でコロッケパンを囓り、陽向は思った。

 裕美は今日もこぢんまりとしたお弁当。ミートボールにレタスときゅうりとミニトマトのサラダ。ごはんにはのりたまのふりかけ。おばさん、今日も手抜きだな。盗み見て陽向は思った。裕美には似合っているけど。

 かわいいけど。

 むっちゃかわいいけど。うふふ。

「それはわりと難しいのではないかと思うのです」

 裕美の話は続いている。

「私はお父さんとファッションショーに出た夢を見たことがあるのですが」

 裕美さん、それはどんな状況でしょうか。

「お隣のきれいで背の高いモデルのお姉さんを、夢の間中、ずっとお父さんだと認識していたのです」

 それはどんな絵面でしょうか。

「夢を自由に操れる明晰夢ってものもありますけど」

 また話が飛んだなー。

「それこそ、キスの相手がわからないなんてことはないと思うのです」

 まあ、おれもたしか澁澤龍彦の本で明晰夢の話を読んだことあるけど、達人になると観察している人にいま夢を見てるよと合図を送れるようになるそうだ。そこまで行かなくても、確かに、夢の中でキスした相手がわからないなんてことはなさそうだ。

 つまり。

 裕美はこの質問の意味か、質問そのものを疑っている?

 裕美が言葉を止め、またもぐもぐとお弁当を食べ始めたのでクラスもまた賑やかさを取り戻した。

 パンを食べ終え牛乳に口をつけた陽向は、あれっと思った。

 裕美は空になったお弁当箱をじっと見ている。食べ終わったのにどうしたのだろう。さすがにその幼稚園児用のような小さなお弁当箱じゃ、高校生になったのだしそろそろ足りなくなったのかな。

 違う。

 すぐには気付けなかった。

 二の腕が動いていなかったから。

 机の中に手を入れて、裕美がなにかをしている。なにをしているのか、陽向にはわかる。

 陽向は思った。

 これを祥子さんに聞くのかい。

 こんな冗談かもしれない話を、祥子さんに聞くのかい、裕美。

「ごちそうさまです」

 手を合わせ、裕美が言った。



 放課後の祥子さんの机のまわりには、もう何人もの女の子たちが集まってしまっている。ときおり華やかな笑い声が聞こえてくる。

 これじゃ、今日は祥子さんの机に近寄れそうもない。

 陽向は裕美に声をかけた。

「おれもう帰るけど、裕美はどうする?」

「あ、じゃあ、私も帰ります。時代劇の再放送を見るのです」

 録画しておきなよ。

 それにしても裕美は、祥子さんの机にあれだけ人が集まっているのに気にならないのだろうか。

 まあ、あれに気づく人なんていない。普通は。

 そうあって欲しい。



 森川志津子さんも鞄を確認し席を立ちあがった。

「筆跡でわからないかなー」

 祥子さんの机を囲んでいる女生徒たちの声が聞こえてきた。

「みんなのノートを見せて貰えば、誰が書いたのかわかるよ」

「そこまでするー?」

 そしてまた、笑い声。

 森川さんの足が止まっている。


 許してくれないの。

 たったこのていどのいたずらも、あなたたちは許してくれないの。脇役にはなにもするなっていうの。


 祥子さんの机に背を向けたまま、森川さんは急ぎ足気味に教室を出て行った。



「あらごめんなさい、裕美ちゃん。陽向ね、朝練だって七時前に飛び出していっちゃったわよ」

 朝。

 いつものように迎えに行くと、陽向のお母さんにそう言われてしまった。

「朝練ですか」

「あの子、いまは部活してないのにね」

「そこは突っ込まなかったのですか」

「高校生ともなれば、親に言えない秘密ができちゃうものよ」

「はあ」

 人差し指を唇に当ててウインクされましても。

「それにしても裕美ちゃん、あいかわらずかわいいなあ。いいわねえ。陽向は無闇に大きくなっちゃうし、うちにも裕美ちゃんが一人欲しかったわー」

「私は量産型ではないのです」

 朝練ですか。

 小首をかしげて考えてみる裕美である。そんなときにはなぜかモグモグモグと口も動いてしまう。



 誰もいない。

 陽向はなんども周囲を確認して教室に入った。

 あたりを窺いながら祥子さんの机に近づき、スマホを突っ込む。念のため位置をずらしで数枚撮影する。

 まいったな。

 これからクラスメートが来るまでに考えて、答を出して、そして書き込み返さないといけない。もういっそのこと、裕美が祥子さんにメッセージを送ったときには学校に泊まり込もうか。非現実的かな。いや、案外いい考えかも。

 いままでは放課後でよかったんだ。

 空き机の祥子さんの伝説ができてからも、放課後になれば誰もいなくなる事が多かったんだ。いろいろ理由を作って裕美を先に帰して作業することができたんだ。見られたって、なにをしているかわかりにくいからごまかすこともできた。

 でも伝説がどんどん広まってしまって、この頃は他のクラスからも書き込みに来る生徒がいる。昨日の放課後の人の多さは「夢キス事件」のせいだろうけど、今後もこんな事が起きないとも限らない。

 学校に泊まり込みか。

 こんど真面目に考えてみよう。

「……」

 祥子さんの机から離れて窓辺にもたれ、手にした牛乳パックのストローを歯で剥がしてパックに突き刺し、陽向はスマホを確認した。


 森川志津子。

 彼女はなぜそんな事を書いたのか?


 スマホの画面にはシャーペン書きの文字が並んでいる。

 祥子さんの机の天板の裏に書かれた文字だ。天板の裏に書かれているのに、鏡文字になっていない。裕美はこれができる。

 森川志津子?

 陽向は首をひねった。

 だれだ、それ。

 裕美はいったいなにを言っているんだ? 誰のことを言っているんだ? 夢キス事件を祥子さんに質問したんじゃないのか?

 そして陽向はあっと口を開けた。

 気配を感じて見たカーテンの陰。

 そこに顔を真っ赤にさせた少女が潜んでいたのだ。

「……」

「……」

 口を開けたまま、ふたりは見つめ合っている。

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