第2話 あなたのキスを数えましょう 2

 新潟県立五十嵐浜いからしはま高校一年三組。

 四月にしてすでに生まれてしまったクラスの伝説、「空き机の祥子しょうこさん」。この放課後、その祥子さんの机を囲んでいるのは三人だ。

 机の正面に並んで座るのは空き机の眷族たる、南野みなみの陽向ひなた佐々木ささき裕美ゆみ

 鹿とキツネである。

 そして背側に椅子を逆向きにして座っているのは今回の依頼人、高橋たかはし菜穂子なほこさん。

「手短に」

 陽向はふてぶてしさを取り戻し、腕を組みふんぞり返っている。

「ひなたちゃん」

 しかし、裕美の冷たい声にビクッと反応していたりもする。

「ねえ」

 ふたりのやりとりを見ていた高橋さんが言った。

「ふたりって、付き合っているの?」

「ば、馬鹿な事を言うなーー!」

 がばと立ち上がり、真っ赤な顔と涙目で叫んだりもする。

「不埒なことを言うなーー! お、おれと裕美はーー! そんなんじゃなくーー! 清く正しくーー!」

「ひなたちゃん」

 そして裕美の冷え冷えとした声にぴたりと停止してしまう。

 青春は忙しい。

「座って。話が進まない」

 すとん、と糸の切れた操り人形のように陽向は椅子に腰を落とした。

 裕美が机の上に身を乗り出し、口に手をあててヒソヒソと囁いた。

「あのですね、カチューシャさん」

「高橋です」

「ひなたちゃんは純情なのです。あまり刺激しないようにお願いします」

「了解です」



 高橋菜穂子さんは日和浜ひよりはま中学出身。

 毎日変えてくるカチューシャがトレードマークともいえる。陽向の牛乳と一緒にするのも失礼だが。そして彼女には、かわいい盛りの真央まおちゃんという姪がいる。

「へえ、高校一年生なのにもう叔母さんですかー」

 そんな感想を漏らしたのは、裕美でも魂が抜けている陽向でもない。

 それどころか感想と言うには微妙に悪意の響きすらある。二八歳独身。担任の藤森ふじもり先生が教室を漂っているのだ。

「一番上の姉とは一二歳離れているんです」

「一二歳年上。ずいぶん離れていますねー。そんなに離れているのに、それなのに、なぜかお姉さんは私より年下なのですね。おかしいよね。不思議だよね。私も空き机の祥子さんにこの謎を解いてもらいたいですねー」

「あの」

 魂を取り戻したらしい陽向が言った。

「なんで放課後なのに、教師が教室をうろちょろしてるんですか」

「だって私、この高校の教師だしー。このクラスの担任ですしー」

「カチューシャさん」

 裕美が言った。

「高橋です」

「無視して話を進めてください。話がぜんぜん進みません」

「はい」



 真央ちゃんは三歳になったばかり。

 三姉妹の末っ子である高橋さんにとって、妹ができたようでむちゃくちゃ嬉しい。真央ちゃんも高橋さんによく懐いてくれている。

「ついこの間までそうだったんです。それが、この頃は私の顔を見るとお姉ちゃんの後に隠れるようになって」

「あーー、わかるわー! それ、わかるわー! どうせあなた、おばちゃんと呼ぶなって怒ったんでしょ!」

 うざったい独身二八歳が言った。

「若い頃は叔母さんってよばれるのがなんだか新鮮でちょっとこそばゆくて、でもある年を境に突然イラっとくるのよ! わかる、わかるわー! お姉さんと呼びやがれこんちくしょうって、姪ちゃんをどなりつけちゃったのね! わかるー!」

 ばんばんと高橋さんの背中を叩いている。

 うざったいこの上ない。

「真央は、最初から私のことを『お姉ちゃん』と呼んでますけど」

「ごふっ」

「ああ、そうか。きっと姉が気を回してくれたんですね。私や真ん中の姉のことはお姉ちゃんと呼ぶのよって。そうか、なんで真央は叔母オバちゃんって言わないんだろうって不思議だったんです。なるほどー!」

「ばばあの気持ちはばばあが知る……ぐふっ」

 ひとり、直撃弾をくらって崩れ落ちたようだ。

 静かになっていい。

 高橋さんは椅子の上でぴょんぴょん弾んでいる。

「やだ、不思議だったこと、ひとつ解決しちゃった。さすが空き机の祥子さん!」

「じゃあ、これで一件落着ということで」

 すっと陽向が立ち上がった。

「座って、ひなたちゃん。なにも解決してない」

 すっと陽向が椅子に座りなおした。

「それで、カチューシャさんには真央ちゃんから嫌われてしまった理由が思い当たらないのですね」

 裕美が言った。

「うん……」

 高橋さんは首を傾けた。「いろいろ考えたんだけどわからないです。なにが真央を怒らせちゃったのかなあ」

「推しアイドル、知らずにけなしちゃったとかさー」

「スカートのめくりあいっこしてて熱くなりすぎたとかさー」

 うざったい上にしぶとい二八歳独身をナチュラルに無視して、高橋さんは鞄の中から小さめのカチューシャを取りだした。

「わあ、かわいい」

 裕美が歓声を上げた。

 濃いブルーのリボンがいくつも重ねられている。

 ムスッとしていた陽向まで頬を染めている。かわいいものが好きというのは本当のようだ。

「私とお揃いなんです。喜んでくれると思ったんだけど、あげようとしたら火がついたように泣き出しちゃって」

 高橋さんが寂しそうに笑った。

 おや、と陽向は思った。

 裕美が口をもぐもぐさせてなにかを考えている。

「あ、姉からです。保育園で真央を拾って学校まで来てくれるそうです」

 スマホでメールを確認して高橋さんが言った。



 それが校内であっても、陽向が歩くと注目が集まる。

 本人はまだ長身とはいえないというが、スラリとのびた手足。ほどよくきつくない切れ長の目。ナチュラルに形のよい唇。どこからどう見たってとびきりの美少年なのだ。

「あの、なんで先生までついてくるんです?」

 陽向が言った。

「だって、暇だから」

 業務に忙殺される令和の全国の教師を敵に回す二八歳独身である。

 裕美は相変わらずもぐもぐしながら、手にした真央ちゃんのためのカチューシャを見つめている。

「ひなたちゃん」

 と、裕美が言った。

「中島みゆきさんに『銀の龍の背に乗って』て歌があるんですよ。素敵な曲なんだけど、途中で『最高だぜ!』って言葉がはいるんですよ。裕美は不思議でした。なんで突然ロックンロールになるんだろうって。歌詞を確認したら『さあ、行こうぜ!』だったのです」

「はあ」

 わけがわからない。

 わけがわからないのは、この依頼もだ。なぜ姪に嫌われちゃったのかと聞かれても、家族でもないおれたちには雲をつかむような話じゃないか。

「だけどまあ」

 と、陽向は思った。

「どうやらこれは、空き机の祥子さんの助けが必要な話じゃない。それはそれでいいじゃないか」



「こんにちわー」

 高橋さんのお姉さんは赤い軽に乗ってやってきた。

「あら、先生ですか」

「はい、ぱっと見で生徒に誤認されちゃうこともありますが、たしかに担任の藤森でございます」

 無茶振りするなよ。

「あら、イケメン」

「お姉ちゃん、うち、五十嵐浜だよ」

「う!?」

 注目の真央ちゃんは助手席のチャイルドシートに座ったままだ。高橋さんの姿を見つけて降りてこないのだ。高橋さんとお姉さんは顔を合わせて苦笑いを交わした。裕美が車に近づき、高橋さんのカチューシャを真央ちゃんに見せた。

「あっ」

 高橋さんとお姉さんが思わず声を上げてしまったのは、前にそれを見せたとき、真央ちゃんが泣きだしてしまったからだろう。

 だけど、今日は泣かない。

「かわいい髪飾りでしょう。きっと似合うよ」

 そう言って、裕美は真央ちゃんの髪にカチューシャをつけてあげた。

 嫌がるどころか、真央ちゃんはサイドミラーに自分を映して嬉しそうだ。

「どうして……?」

 悲しそうに高橋さんが言った。

「やっぱり、私だから嫌がったの……?」

「そうじゃないと思います」

 裕美は微笑んだ。

「これはただの私の想像ですけど、高橋さんはカチューシャを渡すときにこんなふうに言ったんじゃありませんか。『カチューシャする?』」

「?」

 みなきょとんとしている中、陽向だけがそれに気づいた。

「ああ、『お注射する?』か……」

 高橋さんたちも気づいたようだ。

 カチューシャしない?

 カチューシャだよ。

 カチューシャしてあげる。

「やだ、そうだった! あの頃、この子立て続けに注射してたのよ。風邪ひいちゃって!」

 高橋さんのお姉さんが言った。

 真央ちゃんは高橋さんが近くにいるのも忘れ、かわいいカチューシャに夢中だ。



「ありがとう。昨日はあれから三人でファミレス行きました。真央はまだ警戒してるようだったけど、ちょっとずつ距離を縮めていきます。忠告通り、いきなり全部を説明するとかじゃなくて、ちょっとずつ」

 次の日の朝。

 高橋さんがお礼を言いに来た。

「でもあれ、私の想像なだけですよ。違う理由があるのかもしれません」

「そうだとしても、きっかけはできたもの。ありがとう」

 高橋さんの今日のカチューシャは、昨日の真央ちゃんとお揃いの青いリボンだ。よく似合う。

 藤森先生が教室に入ってきた。

 自分の席に着こうとしていた裕美の足が止まった。祥子さんの机をじっと見つめている。

「夢で私にキスした人はだれですか」

 裕美が言った。


 一年三組が時間を止めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る